ショートボード革命後にひらかれた1968年サーフィン世界選手権
【1968World Surfing Championship Rincon, Puerto Rico】
『我々はニュースウェルを待ち続けた。それは試合5日目の木曜日に訪れた、夜には波が崩れる音が聞こえだし、夜明けとともに現れたのは、5週間の滞在中で最大の波だった。世界選手権の最終日が始まった』
ポール・ウイッチグ(フィルムメーカー)
ナット・ヤングが豪快なターンで1966年の世界選手権を制し、サーフィン界にショートボード革命が勃発、そして2年後の1968年、ふたたび世界戦が開催された。革命後のサーフィンが、どのような変化を遂げたかを知る意味でも1968年の選手権はたいへん興味深い。
ABCの番組では、これだけサーフボードが短くなったと説明があった (当時の世界選手権は2年に一度開催されていた) 【1968World Surfing Championship Rincon, Puerto Rico by ABC】
予選は波が小さくプアーなコンデションで試合が進められたが、最終日は6フィートクラスという、世界戦に相応しいコンデションとなった。ショートボード革命が起きてから2年後の世界戦ということで、選手のサーフボードやそのスタイルはそれぞれが大きく異なった。サーフボードは平均して約2フィートほど短く、2キロほど軽量となった。サーフィンのスタイルも波のフェイスをカービングでアップダウンを繰り返すようになり、ノーズライディングやトリミングは影を潜めた。さらに選手のファッションも60年代らしくベルボトムのジーンズやペイズリー柄のシャツという風に変化していた。
プエルトリコのファイナルが行われたサーフポイントは「ドーム」と呼ばれたが、それは原子力発電所のことだった 【1968World Surfing Championship Rincon, Puerto Rico by ABC】
選手のパフォーマンスのなかで最も進んでいたのが17才のウェイン・リンチとリノ・アベリラだった。ウェイン・リンチはすでにバックサイドでリエントリーを披露していたがセミファイナルでは波に恵まれず敗退した。
『ウェインはこの時17才。すでにバックハンドでオフザリップすることができた。歴史を振り返ってさまざまな意見が語られているが、ただ一つ明白な事実がある。それはウェインが誰よりも遥かに進化していたということだ。ただ年長で大男のサーファーと戦うにはあまりにも若過ぎたんだ』
ニック・キャロル(サーフジャーナリスト)
若干17才だったウェン・リンチは最も進んだサーフィンを披露した 【1968World Surfing Championship Rincon, Puerto Rico by ABC】
異彩を放ったリノ・アベリラとそのボード「蛇」 【1968World Surfing Championship Rincon, Puerto Rico by ABC】
ディフェンディングチャンピオンのナット・ヤングは、ウェイン・リンチやテッド・スペンサーたちと試合前にヨーロッパへ遠征し、そこでサーフボードの開発を進め1ヶ月以上前からプエルトリコ入りしていた。ヤングはファイナルまで進出したが、良い波に恵まれず、ワイプアウトしてボードを流してしまう。彼が泳いでいるときに良い波がブレイクしチャンスを逃した。本人もそのファイナルの状況を、ある記事のなかで認めている。
『最終日に波が上がり、フレッドは堅実に戦って勝つことができた。海から上がって少なくとも私はそう思っていた。しかし多くの指摘を受けた。ファイナルの良い波のときに私が泳いでいたこと。それから多くの波を見逃していたこと、私の日記にはこう書いてある。ラッセルが勝てたかもしれない。ミジェットもいくつか良いライディングをした、とね』
ナット・ヤング(サーファーズジャーナル日本版21-2,1968年世界選手権)
虎視眈々とタイトルを狙っていたのはミジェット・ファレリーだろう。ナット・ヤングに、非公式の世界チャンピオンと批判されたミジェットはリベンジに燃えていたはずだ。プエルトリコでは、練習中に海のなかで出くわした2人が波を奪い合って口論していたのをグレッグ・マクギリバリーが目撃している。ミジェットも順当にセミファイナルを勝ち、ファイナルへと進んだ。
ミジェット・ファレリーが優勝と予想した人は多かったが、違った 【1968World Surfing Championship Rincon, Puerto Rico by ABC】
『1968年の世界選手権は変革という輝きを放っていた。リノはその象徴だった。ウェイン・リンチは持てる才能をナット・ヤングに支配されていたし、競技者としては勝利の欲望に欠けていた。ナットにはその強い欲望があったんだ。波には多く乗ったが、ファイナルでは大きい波に乗ることができなかった』
フレッド・ヘミングス(サーファーズジャーナル日本版21-2,1968年世界選手権)
ウイメンズでは後にプロサーファーとして大活躍するマーゴ・ゴッドフレイが弱冠15才で初優勝を飾る。当時、高校2年生だったマーゴに米サーフィン誌が原稿を依頼した。『チャンピオンシップについて考えるとプレッシャー、プレッシャー、さらにプレッシャーが高まった』さらに『わたしの胃はひっくり返り、脚は震え、心はどこかに吹き飛んでしまっていた』と試合のときの印象を書きつづった。その後彼女はプロとして3度の世界チャンピオンに輝いた。2位にはハワイのシャロン・ウェバーが入った。シャロンはその後2度世界チャンピオンとなる。3位は1964年の世界チャンピオンでオーストラリア人のフィリス・オドーネル。
メンのファイナル、フレッドのボードが8’6”、リノが6‘それらが同じ土俵で戦うとは、大らかな時代でもあった。クライテリアはマニューバビリティよりも、波のサイズとロングライドを優先した 【1968World Surfing Championship Rincon, Puerto Rico by ABC】
優勝が決まった瞬間フレッド・ヘミングスに抱きつくベン・アイパ(左)。ミジェットと同点だったがカウントバックでフレッドの勝ちが決まった。しかしオールドスタイルのサーフィンだと批判を浴びた 【1968World Surfing Championship Rincon, Puerto Rico by ABC】
マイク・ドイル
『この世界戦は後世にまで語り継がれる大会の一つだったと言えるね。おそらくは、旧ロングボード世代の生き残りを賭けた戦いだったってことさ。フレッド・ヘミングスは、いわばその代表として幸運にも勝者になったんだ。対抗した新しい世代のウェイン・リンチやナット・ヤング、そしてリノ・アベリラたちは本当に凄かったものの、頭の固いジャッジたちはそれを認めなかった。この構造は現在の ASP(WSL)でも見られると指摘する者もいる。歴史は繰り返されるってことさ』
ニック・キャロル
■1968年サーフィン世界選手権リザルト
MEN
1 Fred Hemmings
2 Midget Farrelly
3 Russell Hughes
4 Nat Young
5 Mike Doyle
6 Reno Abellira
WOMEN
1 Margo Godfrey
2 Sharron Weber
3 Phyllis ODonell
4 Martha Sunn
5 Candy Chase
6 Janice Domorski
TANDEM
1 Ron Ball / Debbie Gustafon
2 Robert Scott / Lis Herd
3 Rod Sumpter / Annete Hughes
4 Fred Hemmings / Leslie Scott
5 Mike Doyle / Margo Godfrey
執筆:李リョウ
参考文献
サーファーズジャーナル日本版25-2 『ショートボード革命の閃光』
サーファーズジャーナル日本版21-2『1968年世界選手権』
サーファーズジャーナル日本版26-1『インタビュー、フレッド・ヘミングス』
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