【新日本プロレス】“ベールに包まれた男”DOUKIに初の単独インタビュー!

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社/DOUKI選手】

昨年、『BEST OF THE SUPER Jr. 26』に電撃参戦をはたしたDOUKI選手に初の単独インタビュー!

タイチ選手のオファーによる『SUPER Jr.』参戦への背景、そして公式戦を振り返るとともに対戦相手をぶった斬り!

さらには、「“日の当たらないところ”で散々試合をしてきた」と語るメキシコでの過酷な環境についても言及!

プロフィール写真提供/DOUKI選手

※以下、インタビューの「序盤部分(※一部抜粋)」をWEBでSportsnaviで無料公開!

いままでメキシコの“日の当たらないところ”で散々試合をしてきたから、「日の当たってるヤツらをボコボコにできるチャンスが来たな」って

――さて、DOUKI選手。初の単独インタビューとなりますが、よろしくお願いします。さっそくですが、現在の自粛生活はいかがですか?

DOUKI 2月(6日後楽園ホール大会)の試合を最後にメキシコに戻って、3月の新日本のシリーズに合わせて帰って来たんだけど、コロナの影響でキャンセルになって、もう一回メキシコに戻ったんだよ。
 
――そうだったんですね。その時のメキシコの状況はいかがでしたか?
 
DOUKI まあ、メキシコも試合がない状況は一緒だよ。
 
――この自粛期間中のトレーニングというのは?

DOUKI 自宅でトレーニングもできてるから、普段と違う気持ちでいい期間になってるよ。

――今回のインタビューは、デスペラード選手からの紹介で実現したのですが、デスペラード選手との関係というのは?

DOUKI エル・デスペラードとは本当に“エルマーノ(兄弟)”と言える関係性だな。ホント、メキシコでは毎日のように一緒にメシを食って練習してたけど、試合をする場所、団体が違ったから、現地では一緒にリングにあがることはなかったな。

【新日本プロレスリング株式会社】

――その兄弟分のデスペラード選手の欠場で、去年、『BEST OF THE SUPER Jr.』に電撃的に出場が決定しました。あの時の経緯というのは?

DOUKI まあ、デスペラードが『タカタイチマニア』(2019年5.7後楽園ホール)で負傷して、『SUPER Jr.』の出場ワクが一つ空いた。そこでタイチが俺を会社に推薦したっていうだけの話だよ。

――じつは『タカタイチマニア』終了後、DOUKI選手がメキシコに帰る直前に、タイチ選手から連絡があったということもお聞きしましたが。

DOUKI そうだったな。もともと俺は『SUPER Jr.』が開幕する前の日程で、メキシコに帰る飛行機を取っていたんだけど、タイチから連絡があって急遽チケットをキャンセルしたんだ。

――土壇場で、『SUPER Jr.』への緊急参戦が決まった時の心境はいかがでしたか?

DOUKI メキシコのヤツらも『SUPER Jr.』っていうのがスゲー大会ってことはみんなわかってるし、そもそも新日本自体が世界的に有名だからな。まあ、『SUPER Jr.』に出るっていう意気込みより、俺はいままでメキシコの“日の当たらないところ”で散々試合をしてきたから、「日の当たってるヤツらをボコボコにできるチャンスが来たな!」っていう気持ちが強かったな。

――そんな意気込みで臨んだ『SUPER Jr.』を振り返っていかがですか?

DOUKI 俺としては、どの試合もけっこう印象深いな。どいつもこいつも一度も対戦したことない選手ばかりだったから、最初に当たった成田(蓮)から最後に当たった(エル・)ファンタズモまで、俺のなかではどれも意味ある試合ではあったな。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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