ウィザーズの舞台裏に迫る!番外編:ダービス・ベルターンス選手がライブインタビューに出演
【ワシントン・ウィザーズ】
ワシントン・ウィザーズがお届けするインタビューシリーズ! 今回は番外編でアメリカ時間の5月7日に行われたダービス・ベルターンス選手が出演したウィザーズ公式ツイッターでのライブインタビューの一部を掲載いたします。
「ウィザーズに来て、ヨーロッパにいた時と同じようにプレーできている」
–––3月にシーズンが中断してからどんなことをされていましたか?
毎朝同じ時間に起きている。娘の気分次第だけど、だいたい朝7時ぐらいに起こしにくるんだ。その後は毎日同じことの繰り返し。朝食を取ってから、アパートの部屋でトレーニングに取り組む。アサルトバイクをこぎ、本の詰まった重いスーツケースがあるから、それを使ったスクワット、ウィザーズが用意したメニューもあって、毎日欠かさず同じことをする。それから娘が新鮮な空気を吸えるように、少しだけ散歩に出掛ける。彼女はその後に昼寝するから、それからはリラックスタイムだ。バスケットボールの感覚を忘れないように“NBA 2K”をプレーする。娘が起きたら、後はまた決まったことの繰り返し。少し外に出てから夕食を取り、彼女がベッドに入ったら、しばらく『Netflix(ネットフリックス)』を見て、寝る。
–––ウィザーズに来て一番良かったことは何ですか?
一番はたぶん、ヨーロッパにいた時と同じようにプレーできていることだと思う。僕はボールをもらった瞬間にスクリーンを使ってシュートするのが得意で、そもそもそれで認められるようになったんだ。それはすごく楽しかったよ。昔からずっとそうやってプレーしていたし、サンアントニオ・スパーズではどちらかというとスポットアップシューターだった。そこでは素晴らしい経験を得たけど、同時に以前のプレースタイルに戻れたのも楽しかったよ。
–––“ラトビアンレーザー”という異名をお持ちですね。そう呼ばれる気分はどうですか?
最高のニックネームだよ。いい意味だと思うし、僕が優れたシューターだということを表しているんだろうから、とても光栄だ。すごく気に入っている。たまに自分で選んだニックネームで周囲に呼ばれる人もいるけど、これは他の人が付けてくれた名前だ。よく合っていると思うし、すっかりなじんでいる。
–––シュートを連続で決めた後でベンチの反応を見ることはありますか?
試合中はないね。普段はボールがバスケットに入るのを見届けて、ディフェンスに戻ることに集中している。でも時々ハイライトを見る機会があって、そういう時はベンチの反応に気が付かない方が難しいね(笑)。
–––お兄さんとは仲がいいですか?(兄のダイリスは現在ロシアのプロバスケットボールチームに所属)
子どもの頃はあまり良くなかったな。兄弟というのはいろいろ苦労もある。よく泣かされていたよ。けんかばかりしていたしね。僕はいつも彼と1on1(ワン・オン・ワン)でプレーしたかったんだ。他の人たちとプレーすると、相手はだいたい兄と同じ年の友達だから、僕が一番年下になってしまって全然ボールが回ってこないんだ。そのうちにすねてしまって、ベンチに座りこんで泣き始める。だいたいそうやって終わっていた。
僕は間違いなく、兄がいたからバスケットボール選手として成長したと思う。彼を倒すことが常に目標だったからね。いつだって彼の方が僕よりうまかったから、それがモチベーションになっていた。同時に、彼がどれほど努力しているかも見てきた。成長するに従って、彼は僕ほど身長が伸びなかったんだ。188cmの彼がチームやリーグでプレーするためにどれほど努力して成功し、多くを成し遂げたかを見てきた。だったら、208cmの僕は彼と同じくらい努力して、もっと上にいかないといけないよね。兄がいたことは間違いなく僕のバスケットボールキャリアで大きな助けになった。関係は年令を重ねていくにつれて良くなっていったよ。
僕が12歳か13歳の頃、彼は車で30分離れた違う町の高校に行くために家を出ることになったから、週末に月1、2回ぐらいしか会うことがなくなってしまったんだ。2人ともバスケをしていたからね。離れて暮らすことで僕らはいい兄弟になっていった。その後はずっといい関係だし、すごく親しくしているよ。連絡はできる限り頻繁に取り合っている。
–––シーズン中、あなたとお兄さんはラトビアにバスケットボールのコートを作る話をされていましたね。コービー・ブライアントが亡くなった時、そのデザインを少し変更したとおっしゃっていました。どのような経緯だったのか、またあなたとお兄さんがどのように協力されたのか教えてください。
僕らはちょうど彼を見ていた世代なんだ。僕はたまたまコービーを見て育ってきて、ロサンゼルス・レイカーズとボストン・セルティックスが因縁の対決を繰り返すのを見ていた。歴代選手で一番好きなのはマイケル・ジョーダンだけど、彼の現役中に生で試合のプレーを見ることはほとんどできなかった。ハイライトや昔の試合の録画、ドキュメンタリーは見たけど、自分の世代で多くのバスケットボール選手にインスピレーションを与えたのはコービーだった。今でも彼は多くの若い選手たちの目標になっている。そんな彼を何かの形でたたえたいと思ったんだ。いい方法だったと思う。世界でそうする人がもっと増えたらいいな。僕が生まれたラトビアの小さな町を訪れると、コービー・ブライアントと彼の娘さんにささげられたバスケットボールコートがあるなんてすごいと思わない? それは彼の思い出をずっと長く後世に残すことになると考えている。
–––スリーポイントシューターになろうと思ったのは誰の影響ですか?
僕自身だな。ジムにいる時はいつも、ゴールからできるだけ離れてシュートすることを考えていた。子どもだったから、ここからでもシュートできるぞって思いながら、ゆっくりスリーポイントラインの外に出ていた。当時のシュート技術はひどいものだったけど、結構うまくいったんだ。記憶が間違っていなければ、5歳ぐらいの時からスリーを打っていたはずだ。だから、誰かに触発されて打つようになったわけではないけど、歴代の選手で最高のシューターが誰か選ぶとすればレイ・アレンかレジー・ミラーだな。うん、レイ・アレンにしておこう。
–––NBAではワシントン・ウィザーズとサンアントニオ・スパーズの2チームでプレーをされていますね。2つのチームに文化的な違いはありましたか?
最大の違いは、ウィザーズの方がサンアントニオと比べて民主的なことかな。サンアントニオではグレッグ・ポポヴィッチの言うことはほぼその通りになるのが普通だった。長年、彼に意見して、説き伏せることができるような人はほんの数人しかいなかった。彼に反論しようなどと思ったら、自分が100%、いや150%正しいという自信がなければできない。ウィザーズはもっと民主的で、意見を言っても恐れなくていいし、間違っていても何も起こらない。誰かが正解を教えてくれて、それで終わりさ。
もう一つ違うのは、サンアントニオは僕が入る前に18年連続でプレーオフに進出していたことだね。ウィザーズは行ったり行けなかったりだ。だから、トレーニングキャンプに入る時のメンタリティが違った。サンアントニオは初日から、まずはプレーオフに行って、それからチャンピオンシップに勝とうなんてことは考えていない。準備段階からチャンピオンシップに勝つことだけを想定しているんだ。彼らはずっとそういうメンタリティだった。
やってくる人たちも自分たちがチャンピオンシップを争うと分かった上でやってくる。たとえプレーオフに進んでも、第1ラウンドで敗れたら成功とはいえず、その程度は当たり前だと思われた。ウィザーズは再建の途中で、若手や新しい選手が多いから、少し違っている。全てが素晴らしい経験だった。どちらの状況にもいられた僕はラッキーだったよ。
–––リスペクトするシューターは誰ですか? NBAでライバルだと考えている選手はいらっしゃいますか?
ライバルは、今ならダンカン・ロビンソンを選ぶよ。彼の成功率はすごく高いし、スリーの打ち合いで何度か接戦を繰り広げたことがある。リスペクトするシューターは・・・いないな。強いて言えば自分自身?
–––ブラッドリー・ビールについて、ファンが知らない彼の一面はありますか?
彼がすごく発言力を持っていることはあまり知られていないと思う。責任感が強く、周りの人たちみんなを高めようとするんだ。自分の考えを口にすることをためらわない。今、配信されている“マイケル・ジョーダン:ラストダンス”を見ると、マイケル・ジョーダンはいつも練習で周りに攻撃的なのが分かる。それについての意見は人それぞれだろうけど、チーム全体となるとみんなが同じゴールを持ち、勝ちたいと願っている。つまり、責任を喚起しようとする人がいたら、それはその人が気に掛けてくれていて、チームの向上を望んでいることを意味するんだ。ここのトレーニングキャンプに参加して、すぐにそれに気付いたよ。2日目から彼は厳しく注意し、こんなことじゃだめだ、勝つためにはもっと強くならなければいけないと声を上げていた。
–––テレビや試合で見られるチームの仲の良さは普段からそうなのですか?
もちろん。コート外でもよくつるんでいるよ。僕はできるだけ娘と一緒にいたいから家にいることが多くて、ワシントンD.C.で一緒に過ごす機会を何度か逃しているかもしれないけど、遠征中は試合が終わった夜に夕食に出掛けたり、試合前日の夜に出掛けたりする。チームの絆を高めるにはいい方法だよ。
コート外でのそういうものがないと、長い道のりを越えてチャンピオンシップチームを作ることなんてできない。コート外で友人でなければ、ロッカールームで家族の話もできないし、コート外で家族になることはできない。ここへ来てうれしい驚きだったことの1つがそれだ。来る前はジョンやブラッドのこととか、いろいろなうわさを耳にしたけど、来てみたら全部本当ではなかった。それを理解するのに長くはかからなかったよ。
毎朝同じ時間に起きている。娘の気分次第だけど、だいたい朝7時ぐらいに起こしにくるんだ。その後は毎日同じことの繰り返し。朝食を取ってから、アパートの部屋でトレーニングに取り組む。アサルトバイクをこぎ、本の詰まった重いスーツケースがあるから、それを使ったスクワット、ウィザーズが用意したメニューもあって、毎日欠かさず同じことをする。それから娘が新鮮な空気を吸えるように、少しだけ散歩に出掛ける。彼女はその後に昼寝するから、それからはリラックスタイムだ。バスケットボールの感覚を忘れないように“NBA 2K”をプレーする。娘が起きたら、後はまた決まったことの繰り返し。少し外に出てから夕食を取り、彼女がベッドに入ったら、しばらく『Netflix(ネットフリックス)』を見て、寝る。
–––ウィザーズに来て一番良かったことは何ですか?
一番はたぶん、ヨーロッパにいた時と同じようにプレーできていることだと思う。僕はボールをもらった瞬間にスクリーンを使ってシュートするのが得意で、そもそもそれで認められるようになったんだ。それはすごく楽しかったよ。昔からずっとそうやってプレーしていたし、サンアントニオ・スパーズではどちらかというとスポットアップシューターだった。そこでは素晴らしい経験を得たけど、同時に以前のプレースタイルに戻れたのも楽しかったよ。
–––“ラトビアンレーザー”という異名をお持ちですね。そう呼ばれる気分はどうですか?
最高のニックネームだよ。いい意味だと思うし、僕が優れたシューターだということを表しているんだろうから、とても光栄だ。すごく気に入っている。たまに自分で選んだニックネームで周囲に呼ばれる人もいるけど、これは他の人が付けてくれた名前だ。よく合っていると思うし、すっかりなじんでいる。
–––シュートを連続で決めた後でベンチの反応を見ることはありますか?
試合中はないね。普段はボールがバスケットに入るのを見届けて、ディフェンスに戻ることに集中している。でも時々ハイライトを見る機会があって、そういう時はベンチの反応に気が付かない方が難しいね(笑)。
–––お兄さんとは仲がいいですか?(兄のダイリスは現在ロシアのプロバスケットボールチームに所属)
子どもの頃はあまり良くなかったな。兄弟というのはいろいろ苦労もある。よく泣かされていたよ。けんかばかりしていたしね。僕はいつも彼と1on1(ワン・オン・ワン)でプレーしたかったんだ。他の人たちとプレーすると、相手はだいたい兄と同じ年の友達だから、僕が一番年下になってしまって全然ボールが回ってこないんだ。そのうちにすねてしまって、ベンチに座りこんで泣き始める。だいたいそうやって終わっていた。
僕は間違いなく、兄がいたからバスケットボール選手として成長したと思う。彼を倒すことが常に目標だったからね。いつだって彼の方が僕よりうまかったから、それがモチベーションになっていた。同時に、彼がどれほど努力しているかも見てきた。成長するに従って、彼は僕ほど身長が伸びなかったんだ。188cmの彼がチームやリーグでプレーするためにどれほど努力して成功し、多くを成し遂げたかを見てきた。だったら、208cmの僕は彼と同じくらい努力して、もっと上にいかないといけないよね。兄がいたことは間違いなく僕のバスケットボールキャリアで大きな助けになった。関係は年令を重ねていくにつれて良くなっていったよ。
僕が12歳か13歳の頃、彼は車で30分離れた違う町の高校に行くために家を出ることになったから、週末に月1、2回ぐらいしか会うことがなくなってしまったんだ。2人ともバスケをしていたからね。離れて暮らすことで僕らはいい兄弟になっていった。その後はずっといい関係だし、すごく親しくしているよ。連絡はできる限り頻繁に取り合っている。
–––シーズン中、あなたとお兄さんはラトビアにバスケットボールのコートを作る話をされていましたね。コービー・ブライアントが亡くなった時、そのデザインを少し変更したとおっしゃっていました。どのような経緯だったのか、またあなたとお兄さんがどのように協力されたのか教えてください。
僕らはちょうど彼を見ていた世代なんだ。僕はたまたまコービーを見て育ってきて、ロサンゼルス・レイカーズとボストン・セルティックスが因縁の対決を繰り返すのを見ていた。歴代選手で一番好きなのはマイケル・ジョーダンだけど、彼の現役中に生で試合のプレーを見ることはほとんどできなかった。ハイライトや昔の試合の録画、ドキュメンタリーは見たけど、自分の世代で多くのバスケットボール選手にインスピレーションを与えたのはコービーだった。今でも彼は多くの若い選手たちの目標になっている。そんな彼を何かの形でたたえたいと思ったんだ。いい方法だったと思う。世界でそうする人がもっと増えたらいいな。僕が生まれたラトビアの小さな町を訪れると、コービー・ブライアントと彼の娘さんにささげられたバスケットボールコートがあるなんてすごいと思わない? それは彼の思い出をずっと長く後世に残すことになると考えている。
–––スリーポイントシューターになろうと思ったのは誰の影響ですか?
僕自身だな。ジムにいる時はいつも、ゴールからできるだけ離れてシュートすることを考えていた。子どもだったから、ここからでもシュートできるぞって思いながら、ゆっくりスリーポイントラインの外に出ていた。当時のシュート技術はひどいものだったけど、結構うまくいったんだ。記憶が間違っていなければ、5歳ぐらいの時からスリーを打っていたはずだ。だから、誰かに触発されて打つようになったわけではないけど、歴代の選手で最高のシューターが誰か選ぶとすればレイ・アレンかレジー・ミラーだな。うん、レイ・アレンにしておこう。
–––NBAではワシントン・ウィザーズとサンアントニオ・スパーズの2チームでプレーをされていますね。2つのチームに文化的な違いはありましたか?
最大の違いは、ウィザーズの方がサンアントニオと比べて民主的なことかな。サンアントニオではグレッグ・ポポヴィッチの言うことはほぼその通りになるのが普通だった。長年、彼に意見して、説き伏せることができるような人はほんの数人しかいなかった。彼に反論しようなどと思ったら、自分が100%、いや150%正しいという自信がなければできない。ウィザーズはもっと民主的で、意見を言っても恐れなくていいし、間違っていても何も起こらない。誰かが正解を教えてくれて、それで終わりさ。
もう一つ違うのは、サンアントニオは僕が入る前に18年連続でプレーオフに進出していたことだね。ウィザーズは行ったり行けなかったりだ。だから、トレーニングキャンプに入る時のメンタリティが違った。サンアントニオは初日から、まずはプレーオフに行って、それからチャンピオンシップに勝とうなんてことは考えていない。準備段階からチャンピオンシップに勝つことだけを想定しているんだ。彼らはずっとそういうメンタリティだった。
やってくる人たちも自分たちがチャンピオンシップを争うと分かった上でやってくる。たとえプレーオフに進んでも、第1ラウンドで敗れたら成功とはいえず、その程度は当たり前だと思われた。ウィザーズは再建の途中で、若手や新しい選手が多いから、少し違っている。全てが素晴らしい経験だった。どちらの状況にもいられた僕はラッキーだったよ。
–––リスペクトするシューターは誰ですか? NBAでライバルだと考えている選手はいらっしゃいますか?
ライバルは、今ならダンカン・ロビンソンを選ぶよ。彼の成功率はすごく高いし、スリーの打ち合いで何度か接戦を繰り広げたことがある。リスペクトするシューターは・・・いないな。強いて言えば自分自身?
–––ブラッドリー・ビールについて、ファンが知らない彼の一面はありますか?
彼がすごく発言力を持っていることはあまり知られていないと思う。責任感が強く、周りの人たちみんなを高めようとするんだ。自分の考えを口にすることをためらわない。今、配信されている“マイケル・ジョーダン:ラストダンス”を見ると、マイケル・ジョーダンはいつも練習で周りに攻撃的なのが分かる。それについての意見は人それぞれだろうけど、チーム全体となるとみんなが同じゴールを持ち、勝ちたいと願っている。つまり、責任を喚起しようとする人がいたら、それはその人が気に掛けてくれていて、チームの向上を望んでいることを意味するんだ。ここのトレーニングキャンプに参加して、すぐにそれに気付いたよ。2日目から彼は厳しく注意し、こんなことじゃだめだ、勝つためにはもっと強くならなければいけないと声を上げていた。
–––テレビや試合で見られるチームの仲の良さは普段からそうなのですか?
もちろん。コート外でもよくつるんでいるよ。僕はできるだけ娘と一緒にいたいから家にいることが多くて、ワシントンD.C.で一緒に過ごす機会を何度か逃しているかもしれないけど、遠征中は試合が終わった夜に夕食に出掛けたり、試合前日の夜に出掛けたりする。チームの絆を高めるにはいい方法だよ。
コート外でのそういうものがないと、長い道のりを越えてチャンピオンシップチームを作ることなんてできない。コート外で友人でなければ、ロッカールームで家族の話もできないし、コート外で家族になることはできない。ここへ来てうれしい驚きだったことの1つがそれだ。来る前はジョンやブラッドのこととか、いろいろなうわさを耳にしたけど、来てみたら全部本当ではなかった。それを理解するのに長くはかからなかったよ。
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