ウィザーズの舞台裏に迫る! 第4回:日本のスポーツ産業の発展に可能性を見いだすジミー・リン氏
【ワシントン・ウィザーズ】
ワシントン・ウィザーズがお届けするインタビューシリーズの第4弾は『Kiswe Mobile(キズウィ・モバイル)』の共同創設者であり、『Monumental Sports & Entertainment(モニュメンタル・スポーツ&エンターテインメント/MSE)』の顧問役として組織の成長を支えるジミー・リン氏をお迎えし、モニュメンタル・スポーツでの取り組みや市場拡大を目指す日本のスポーツ産業の将来性について語っていただきました。
「日本には飛躍的にスポーツマーケットを成長させる巨大なポテンシャルがある」
–––はじめに、これまで歩んでこられたキャリアについてお聞かせください。また、現在のお仕事はどのようなものなのでしょうか?
私はスポーツ産業で31年間働いてきました。そのうち25年間はデジタルスポーツに関わっています。最初はインターネット関連でしたが、今はモバイル分野により力を入れています。
主な仕事は2つあり、1つ目はKiswe Mobileの共同創設者兼ビジネス開発担当副社長としての仕事です。われわれはスポーツリーグやチーム、エンターテインメントブランドや放送会社と組んでクラウドベースのリモート・プロダクション・プラットフォームを開発し、彼らがモバイルファーストの視聴者にリーチを広げ、引き入れる手伝いをしています。
もう1つの仕事はジョージタウン大学での指導とアドバイスです。マクドノー・ビジネススクールと院生向けのスポーツ産業マネジメントプログラムで4つの授業を受け持っています。ビジネススクールでは上級顧問も務めています。
その2つがメインですが、他にも『National Fitness Foundation(ナショナル・フィットネス財団)』とパートナーの『Sophia Entertainment(ソフィア・エンターテインメント)』で取締役理事を兼任していて、後者はスポーツのドキュメンタリー映像を制作しています。
––– 現在の日々のお仕事やスケジュールはどのようになっているのでしょうか?
キャリアの最初の20年は『AOL』、『Time Warner(タイム・ワーナー)』、『CBS』、『ABC』といった主要企業に勤めていました。ですが、今は企業家、そして非常勤教授として毎日が違う1日です。たいていはバーチャルオフィスで仕事をしていて、同僚たちとは“Slack(スラック)”、“Google Hangouts(グーグル・ハングアウト)”、Eメールやショートメッセージ等で常に連絡を取り合っています。今はこの多様性をとても楽しんでいて、ちょうどいいワーク・ライフ・バランスが取れています。
––– AOL時代にモニュメンタル・スポーツ&エンターテインメントのオーナーであるテッド・レオンシス氏とお仕事をされていますね。彼との仕事はいかがでしたか?
私がAOLで働き始めたのは1995年、インターネットスポーツが初めて立ち上げられた年でした。テッドがAOLのトップで、私はスポーツ・コンテンツ・パートナーシップの管理を任されていました。私にとって彼は大きな存在で影響力のある人物です。初めて会ったのは1995年ですが、25年たった今もそれは変わりません。
彼は素晴らしい経営者で、常にテクノロジーとイノベーションの最先端にいます。さらに、私はそれと同じぐらい慈善活動、メンタリングや社会奉仕といったことの重要性についても学びました。
彼はAOLの大きな成功に寄与し、今はモニュメンタル・スポーツで同様の成功を収めつつあります。
––– レオンシス氏と仕事を続け、MSEでは顧問的なお仕事をされていますが、これまでどのようなプロジェクトに関わってこられたのでしょう?
テッドは私にとって長年の師であり親友であり、Kisweの共同創設者、ビジネスパートナーでもあります。また、キム・ジョン博士も同様に私の偉大なる友人でモニュメンタル・スポーツのオーナー兼パートナーです。
MSEのオーナーグループや上級幹部とは、彼らが1999年にチームを買い取った時から親しくしてきましたが、2019年のNBAドラフトで彼らが八村塁選手を1巡指名してからのこの1年はいっそう親密になったと言えるかもしれません。
母の家族が東京出身で、私は日本とアメリカのハーフなのです。16歳までの13年間は日本で暮らしていて、年に1、2回は帰っています。
日本人としてのバックグラウンドがあるため、MSEのジム・バン・ストーンCCO兼ビジネス部門代表と彼のチーム、それからウィザーズのジェネラルマネジャー(GM)であるトミー・シェパード氏とも親密に仕事をしています。
グローバル顧問として、私はワシントンD.C.の日本大使館から日本の多くのトップ企業まで複数の日本企業や高官と、ウィザーズという組織との橋渡し役に力を入れてきました。
––– ジョージタウン大学の上級顧問兼非常勤教授という役割をお持ちでいらっしゃる関係で、MSEと共同で1月に早稲田大学の学生たちを招待するプログラムを実現されましたね。これはどのようなきっかけで生まれたプログラムだったのでしょうか?
この11年間、われわれはジョージタウン大学で世界最大の院生向けスポーツ・マネジメント・プログラムを作り上げてきました。また、過去10年はMENA(中東と北アフリカ)で2022年のFIFAワールドカップを開催するための準備支援プログラムをドーハのカタールで開発してきました。
私には日本、中国、韓国に大学生や院生の教え子たちがたくさんいます。彼らから、アジアの大学にはスポーツのビジネス面に特化した学問的プログラムがほとんどないと聞いています。
韓国、日本、そして中国でオリンピックが3回続けて開催されるのですから、アジアはどんどん重要なグローバルスポーツの市場になりつつあります。バスケットボールとサッカーはアジアで大きく成長中です。そこで、スポーツ産業のビジネス面の教育に取り組むアジアの大学とパートナーになるのは素晴らしい考えだと思ったのです。
私には3年前に日本大使館の友人たちのつてで早稲田大学とのつながりができていました。数年前から話し合ってきたことなので、この2月に最初のプログラムをワシントンD.C.で立ち上げられたことを誇りに思います。
素晴らしい1週間でした。午前中はマクドノー・ビジネススクールで講義を行い、午後はプロスポーツチームで働くGMやマーケティング担当者(ウィザーズ、キャピタルズ、オクタゴン等)から話を聞き、夜は試合(ウィザーズ2試合、キャピタルズ、ジョージタウン・ホイヤーズ)を観戦しました。
––– アメリカでスポーツ産業に関わる仕事をしたいと考えている日本の学生やプロたちに何かアドバイスはありますか?
アジアの大学のスポーツに関する学問的プログラムは、スポーツトレーニング、スポーツコーチング、スポーツリサーチ等が中心となっています。そのため、われわれが目指したのはもっとスポーツのビジネス面に寄ったプログラムを開発し、スポーツビジネスのプロが学生たちを指導し、対話する場を設けて実際のビジネスを共有してもらうことでした。
早稲田大学の学生たちの反応やインプットを見ると、われわれが提示し、教えたことをしっかりと理解してくれていました。1週間のプロジェクトの課題として、日本の学生たちにはワシントン・ウィザーズと八村塁選手の認知度を日本で高めるためのソーシャルメディア戦力を作成してもらいました。彼らは素晴らしいものを作り上げ、その成果をチーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)のハンター・ロックマン氏と彼のシニアチームの前で発表してもらいました。
日本の学生たちやプロがスポーツマネジメントを学ぶことは大事だと思います。そして可能ならば本物の業界を知るインターンシップを体験すべきです。学生たちが業界のプロと対話し、スポーツ産業やその中のさまざまな職業をより深く理解できるスポーツイベントに参加するのはいいことだと思います。
––– ワシントン・ウィザーズがドラフトで八村塁選手を指名したと知った瞬間はどう思われましたか? また、この8カ月でそれがウィザーズにどのような機会をもたらしたとお考えですか?
最初に思ったのは最高の選択だということです。NBAにとってグローバル的に素晴らしいことですし、ウィザーズや八村選手にとっても同様です。私はNBAと20年以上仕事をしてきました。最初は10年近くAOLでNBAのパートナーシップを管理していて、ここ数年はKiswe Mobileを通じてNBAとグローバルに仕事をしています。
NBAは最高のグローバルスポーツリーグだと私は強く信じています。これまでアジアにおけるNBAの成長をこの目で見てきました。姚明(ヤオ・ミン)で火がつき、ジェレミー・リンで爆発的人気を得ました。しかし、日本の選手がドラフトで1巡指名されたことは過去にありませんでした。
すでに述べたように、私はウィザーズのトミー・シェパードGMととても親しく、彼らが八村選手を指名した夜にすぐさまメールでやりとりしました。次の朝、八村選手と彼の家族がワシントンD.C.で歓迎を受けている時、私はキャピタル・ワン・アリーナにいました。
そしてすぐに、ワシントンにいる日本大使館の友人たちとのミーティングをセットしたのです。
この8カ月間というもの、私はジム・バン・ストーンや彼のスタッフと協力して日本企業や経営者たちとの橋渡しをしてきました。日本の企業は軒並み、八村選手がNBAでプレーしていることをとても喜び、誇りに思っています。
多くの日本政府関係者や経営者たちと八村選手やウィザーズへの熱い思いをメールでやりとりできてとても感激しました。
私にも日本の血が流れているので、誇らしい思いでこの現象を見ていますし、われわれが次の10年から15年で成し遂げられることを考えると胸が高鳴ります。
––– グレーター・ワシントン地域におけるスポーツの展望についてはどのように捉えていらっしゃいますか?
ワシントンD.C.は素晴らしいスポーツマーケットです。ここにはウィザーズ、キャピタルズ、レッドスキンズ、ナショナルズ、ミスティックス、D.C.ユナイテッド、フリーダムなど、とても多くのプロチームがあり、大学のスポーツプログラムも盛んです。
また、ここはチャンピオンたちの町でもあり、ナショナルズとミスティックスは昨年のチャンピオンシップを制覇していますし、キャピタルズは2年前にNHLのスタンレーカップを獲得しました。ジョージタウン大学とメリーランド大学も過去2回のNCAA男子サッカー選手権で優勝しています。
加えて、グローバル・スポーツ・マネジメント・プログラムの“Octagon(オクタゴン)”がここにはあります。グレーターDCエリアには『Under Armour(アンダーアーマー)』、『Capital One(キャピタル・ワン)』、『GEICO(ガイコ)』を含むスポーツの巨大マーケターたちも多く拠点を置いています。
スポーツプロパティの運営オフィスや主なスポーツ慈善団体も複数あります。
そして、先ほど述べたようにジョージタウンには世界最大のスポーツ・マネジメント・プログラムが用意されています。
––– 長年にわたって日本のコミュニティと多くの仕事に関わってこられましたが、日本のスポーツ産業をどのように捉えていらっしゃいますか? どこにポテンシャルがあるとお考えですか?
日本には飛躍的にスポーツマーケットを成長させる巨大なポテンシャルがあると思います。スポーツで収益を生み出すことに関してアメリカは世界のリーディングマーケットです。日本を含め、産業の成長を促すために共有できる多くの実践例をわれわれは持っています。
日本は2019年にラグビー・ワールドカップを見事成功させました。来る夏のオリンピックでも立派にホスト国の役目を果たしてくれるでしょう。新型コロナウイルスの影響でオリンピックが2021年に延期されてしまったことは非常に不運ですが、それは明らかに正しい決断でした。
日本の国民的スポーツは野球です。しかし、日本でさまざまな人々と会い、バスケットボールやサッカーにも強い関心があることを私は知っています。バスケットボールのBリーグとサッカーJリーグの人気はどちらも高まっていて、アメリカのプロリーグやチームには日本の友人たちと共有できる成功事例がそろっています。
日本はスポーツから得る収益を数年前の5.5兆円から2025年までに15兆円に拡大することを目指すという記事を読みました。それは達成可能な数字ですし、成長の大部分はスポーツメディアライツ、チケット収益、スポンサーシップマーケティング、eコマースとゲーミングから生み出すことができます。
––– 30年以上関わってこられたスポーツ産業はどのような進化を遂げましたか? 近い将来トレンドになるのはどのようなものでしょう?
過去100年以上、スポーツは常に新技術を真っ先に導入してきました。ラジオ、テレビ、カラーテレビ、ケーブルテレビ、インターネット、衛星ラジオ、そして今はモバイルへと進化しています。私は光栄にも非常にイノベーティブなテクノロジー企業と仕事をさせてもらうことができました。
小さな会社だったAOLが、1990年代半ばから2000年代初頭にかけて世界最大のメディア企業に成長していく様子を私はこの目で見ました。その中でスポーツはコンテンツからブランドマーケティング、カスタマー獲得に至るまで、中心的役割を果たしたのです。
今、Kisweでワールドクラスのビジネス経営者や技術者たちと仕事ができることは幸運です。世界的に、モバイルデバイスで動画コンテンツやスポーツ情報を利用する人々はますます増えています。そしてスポーツは『Netflix(ネットフリックス)』、『Hulu(フールー)』、『Amazon(アマゾン)』や『YouTube(ユーチューブ)』等で一気見するような他のコンテンツと違い、ファンがライブで見るべきコンテンツカテゴリーなのです。
ファンとよりダイレクトな関係を築こうとするリーグやチームにはこれからいっそう関心が集まるでしょう。
私は1990年代にインターネットにおけるスポーツの進化を目撃できて幸運でした。そして再びスポーツのモバイル革命に立ち会えたことを幸運に思います。学生たちに教えているように、スポーツは“グローバルで、モバイルで、ソーシャル”なものです。Kisweでわれわれはスポーツリーグやチーム、エンターテイメント企業や放送局といった戦略パートナーたちと一緒にそれを目指しています。
私はスポーツ産業で31年間働いてきました。そのうち25年間はデジタルスポーツに関わっています。最初はインターネット関連でしたが、今はモバイル分野により力を入れています。
主な仕事は2つあり、1つ目はKiswe Mobileの共同創設者兼ビジネス開発担当副社長としての仕事です。われわれはスポーツリーグやチーム、エンターテインメントブランドや放送会社と組んでクラウドベースのリモート・プロダクション・プラットフォームを開発し、彼らがモバイルファーストの視聴者にリーチを広げ、引き入れる手伝いをしています。
もう1つの仕事はジョージタウン大学での指導とアドバイスです。マクドノー・ビジネススクールと院生向けのスポーツ産業マネジメントプログラムで4つの授業を受け持っています。ビジネススクールでは上級顧問も務めています。
その2つがメインですが、他にも『National Fitness Foundation(ナショナル・フィットネス財団)』とパートナーの『Sophia Entertainment(ソフィア・エンターテインメント)』で取締役理事を兼任していて、後者はスポーツのドキュメンタリー映像を制作しています。
––– 現在の日々のお仕事やスケジュールはどのようになっているのでしょうか?
キャリアの最初の20年は『AOL』、『Time Warner(タイム・ワーナー)』、『CBS』、『ABC』といった主要企業に勤めていました。ですが、今は企業家、そして非常勤教授として毎日が違う1日です。たいていはバーチャルオフィスで仕事をしていて、同僚たちとは“Slack(スラック)”、“Google Hangouts(グーグル・ハングアウト)”、Eメールやショートメッセージ等で常に連絡を取り合っています。今はこの多様性をとても楽しんでいて、ちょうどいいワーク・ライフ・バランスが取れています。
––– AOL時代にモニュメンタル・スポーツ&エンターテインメントのオーナーであるテッド・レオンシス氏とお仕事をされていますね。彼との仕事はいかがでしたか?
私がAOLで働き始めたのは1995年、インターネットスポーツが初めて立ち上げられた年でした。テッドがAOLのトップで、私はスポーツ・コンテンツ・パートナーシップの管理を任されていました。私にとって彼は大きな存在で影響力のある人物です。初めて会ったのは1995年ですが、25年たった今もそれは変わりません。
彼は素晴らしい経営者で、常にテクノロジーとイノベーションの最先端にいます。さらに、私はそれと同じぐらい慈善活動、メンタリングや社会奉仕といったことの重要性についても学びました。
彼はAOLの大きな成功に寄与し、今はモニュメンタル・スポーツで同様の成功を収めつつあります。
––– レオンシス氏と仕事を続け、MSEでは顧問的なお仕事をされていますが、これまでどのようなプロジェクトに関わってこられたのでしょう?
テッドは私にとって長年の師であり親友であり、Kisweの共同創設者、ビジネスパートナーでもあります。また、キム・ジョン博士も同様に私の偉大なる友人でモニュメンタル・スポーツのオーナー兼パートナーです。
MSEのオーナーグループや上級幹部とは、彼らが1999年にチームを買い取った時から親しくしてきましたが、2019年のNBAドラフトで彼らが八村塁選手を1巡指名してからのこの1年はいっそう親密になったと言えるかもしれません。
母の家族が東京出身で、私は日本とアメリカのハーフなのです。16歳までの13年間は日本で暮らしていて、年に1、2回は帰っています。
日本人としてのバックグラウンドがあるため、MSEのジム・バン・ストーンCCO兼ビジネス部門代表と彼のチーム、それからウィザーズのジェネラルマネジャー(GM)であるトミー・シェパード氏とも親密に仕事をしています。
グローバル顧問として、私はワシントンD.C.の日本大使館から日本の多くのトップ企業まで複数の日本企業や高官と、ウィザーズという組織との橋渡し役に力を入れてきました。
––– ジョージタウン大学の上級顧問兼非常勤教授という役割をお持ちでいらっしゃる関係で、MSEと共同で1月に早稲田大学の学生たちを招待するプログラムを実現されましたね。これはどのようなきっかけで生まれたプログラムだったのでしょうか?
この11年間、われわれはジョージタウン大学で世界最大の院生向けスポーツ・マネジメント・プログラムを作り上げてきました。また、過去10年はMENA(中東と北アフリカ)で2022年のFIFAワールドカップを開催するための準備支援プログラムをドーハのカタールで開発してきました。
私には日本、中国、韓国に大学生や院生の教え子たちがたくさんいます。彼らから、アジアの大学にはスポーツのビジネス面に特化した学問的プログラムがほとんどないと聞いています。
韓国、日本、そして中国でオリンピックが3回続けて開催されるのですから、アジアはどんどん重要なグローバルスポーツの市場になりつつあります。バスケットボールとサッカーはアジアで大きく成長中です。そこで、スポーツ産業のビジネス面の教育に取り組むアジアの大学とパートナーになるのは素晴らしい考えだと思ったのです。
私には3年前に日本大使館の友人たちのつてで早稲田大学とのつながりができていました。数年前から話し合ってきたことなので、この2月に最初のプログラムをワシントンD.C.で立ち上げられたことを誇りに思います。
素晴らしい1週間でした。午前中はマクドノー・ビジネススクールで講義を行い、午後はプロスポーツチームで働くGMやマーケティング担当者(ウィザーズ、キャピタルズ、オクタゴン等)から話を聞き、夜は試合(ウィザーズ2試合、キャピタルズ、ジョージタウン・ホイヤーズ)を観戦しました。
––– アメリカでスポーツ産業に関わる仕事をしたいと考えている日本の学生やプロたちに何かアドバイスはありますか?
アジアの大学のスポーツに関する学問的プログラムは、スポーツトレーニング、スポーツコーチング、スポーツリサーチ等が中心となっています。そのため、われわれが目指したのはもっとスポーツのビジネス面に寄ったプログラムを開発し、スポーツビジネスのプロが学生たちを指導し、対話する場を設けて実際のビジネスを共有してもらうことでした。
早稲田大学の学生たちの反応やインプットを見ると、われわれが提示し、教えたことをしっかりと理解してくれていました。1週間のプロジェクトの課題として、日本の学生たちにはワシントン・ウィザーズと八村塁選手の認知度を日本で高めるためのソーシャルメディア戦力を作成してもらいました。彼らは素晴らしいものを作り上げ、その成果をチーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)のハンター・ロックマン氏と彼のシニアチームの前で発表してもらいました。
日本の学生たちやプロがスポーツマネジメントを学ぶことは大事だと思います。そして可能ならば本物の業界を知るインターンシップを体験すべきです。学生たちが業界のプロと対話し、スポーツ産業やその中のさまざまな職業をより深く理解できるスポーツイベントに参加するのはいいことだと思います。
––– ワシントン・ウィザーズがドラフトで八村塁選手を指名したと知った瞬間はどう思われましたか? また、この8カ月でそれがウィザーズにどのような機会をもたらしたとお考えですか?
最初に思ったのは最高の選択だということです。NBAにとってグローバル的に素晴らしいことですし、ウィザーズや八村選手にとっても同様です。私はNBAと20年以上仕事をしてきました。最初は10年近くAOLでNBAのパートナーシップを管理していて、ここ数年はKiswe Mobileを通じてNBAとグローバルに仕事をしています。
NBAは最高のグローバルスポーツリーグだと私は強く信じています。これまでアジアにおけるNBAの成長をこの目で見てきました。姚明(ヤオ・ミン)で火がつき、ジェレミー・リンで爆発的人気を得ました。しかし、日本の選手がドラフトで1巡指名されたことは過去にありませんでした。
すでに述べたように、私はウィザーズのトミー・シェパードGMととても親しく、彼らが八村選手を指名した夜にすぐさまメールでやりとりしました。次の朝、八村選手と彼の家族がワシントンD.C.で歓迎を受けている時、私はキャピタル・ワン・アリーナにいました。
そしてすぐに、ワシントンにいる日本大使館の友人たちとのミーティングをセットしたのです。
この8カ月間というもの、私はジム・バン・ストーンや彼のスタッフと協力して日本企業や経営者たちとの橋渡しをしてきました。日本の企業は軒並み、八村選手がNBAでプレーしていることをとても喜び、誇りに思っています。
多くの日本政府関係者や経営者たちと八村選手やウィザーズへの熱い思いをメールでやりとりできてとても感激しました。
私にも日本の血が流れているので、誇らしい思いでこの現象を見ていますし、われわれが次の10年から15年で成し遂げられることを考えると胸が高鳴ります。
––– グレーター・ワシントン地域におけるスポーツの展望についてはどのように捉えていらっしゃいますか?
ワシントンD.C.は素晴らしいスポーツマーケットです。ここにはウィザーズ、キャピタルズ、レッドスキンズ、ナショナルズ、ミスティックス、D.C.ユナイテッド、フリーダムなど、とても多くのプロチームがあり、大学のスポーツプログラムも盛んです。
また、ここはチャンピオンたちの町でもあり、ナショナルズとミスティックスは昨年のチャンピオンシップを制覇していますし、キャピタルズは2年前にNHLのスタンレーカップを獲得しました。ジョージタウン大学とメリーランド大学も過去2回のNCAA男子サッカー選手権で優勝しています。
加えて、グローバル・スポーツ・マネジメント・プログラムの“Octagon(オクタゴン)”がここにはあります。グレーターDCエリアには『Under Armour(アンダーアーマー)』、『Capital One(キャピタル・ワン)』、『GEICO(ガイコ)』を含むスポーツの巨大マーケターたちも多く拠点を置いています。
スポーツプロパティの運営オフィスや主なスポーツ慈善団体も複数あります。
そして、先ほど述べたようにジョージタウンには世界最大のスポーツ・マネジメント・プログラムが用意されています。
––– 長年にわたって日本のコミュニティと多くの仕事に関わってこられましたが、日本のスポーツ産業をどのように捉えていらっしゃいますか? どこにポテンシャルがあるとお考えですか?
日本には飛躍的にスポーツマーケットを成長させる巨大なポテンシャルがあると思います。スポーツで収益を生み出すことに関してアメリカは世界のリーディングマーケットです。日本を含め、産業の成長を促すために共有できる多くの実践例をわれわれは持っています。
日本は2019年にラグビー・ワールドカップを見事成功させました。来る夏のオリンピックでも立派にホスト国の役目を果たしてくれるでしょう。新型コロナウイルスの影響でオリンピックが2021年に延期されてしまったことは非常に不運ですが、それは明らかに正しい決断でした。
日本の国民的スポーツは野球です。しかし、日本でさまざまな人々と会い、バスケットボールやサッカーにも強い関心があることを私は知っています。バスケットボールのBリーグとサッカーJリーグの人気はどちらも高まっていて、アメリカのプロリーグやチームには日本の友人たちと共有できる成功事例がそろっています。
日本はスポーツから得る収益を数年前の5.5兆円から2025年までに15兆円に拡大することを目指すという記事を読みました。それは達成可能な数字ですし、成長の大部分はスポーツメディアライツ、チケット収益、スポンサーシップマーケティング、eコマースとゲーミングから生み出すことができます。
––– 30年以上関わってこられたスポーツ産業はどのような進化を遂げましたか? 近い将来トレンドになるのはどのようなものでしょう?
過去100年以上、スポーツは常に新技術を真っ先に導入してきました。ラジオ、テレビ、カラーテレビ、ケーブルテレビ、インターネット、衛星ラジオ、そして今はモバイルへと進化しています。私は光栄にも非常にイノベーティブなテクノロジー企業と仕事をさせてもらうことができました。
小さな会社だったAOLが、1990年代半ばから2000年代初頭にかけて世界最大のメディア企業に成長していく様子を私はこの目で見ました。その中でスポーツはコンテンツからブランドマーケティング、カスタマー獲得に至るまで、中心的役割を果たしたのです。
今、Kisweでワールドクラスのビジネス経営者や技術者たちと仕事ができることは幸運です。世界的に、モバイルデバイスで動画コンテンツやスポーツ情報を利用する人々はますます増えています。そしてスポーツは『Netflix(ネットフリックス)』、『Hulu(フールー)』、『Amazon(アマゾン)』や『YouTube(ユーチューブ)』等で一気見するような他のコンテンツと違い、ファンがライブで見るべきコンテンツカテゴリーなのです。
ファンとよりダイレクトな関係を築こうとするリーグやチームにはこれからいっそう関心が集まるでしょう。
私は1990年代にインターネットにおけるスポーツの進化を目撃できて幸運でした。そして再びスポーツのモバイル革命に立ち会えたことを幸運に思います。学生たちに教えているように、スポーツは“グローバルで、モバイルで、ソーシャル”なものです。Kisweでわれわれはスポーツリーグやチーム、エンターテイメント企業や放送局といった戦略パートナーたちと一緒にそれを目指しています。
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