(C) Hisashi Okamoto

東京パラリンピックでは二刀流で強豪と渡り合う! 車いすランナー 鈴木朋樹

日本財団パラリンピックサポートセンター

強豪ひしめく陸上競技・車いすT54クラス。トラックを主戦場とするが、マラソンでも世界を転戦し、世界の一流を知ることで進化してきたのが鈴木朋樹だ。4月にロンドンで行われた「2019 World Para Athletics マラソン世界選手権」で東京パラリンピックの車いすマラソン日本代表に内定。日本のパラ陸上界・待望の若手が、「世界に追いつけ、追い越せ」とばかりに進んできた道のり、そして描く未来とは?

<AMAZING PLAYERS Vol.5>
気鋭の二刀流ランナー・鈴木朋樹(すずき・ともき)
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――“トラックとマラソンの二刀流”で活躍する鈴木選手。2018年の大分国際車いすマラソンで日本人トップの2位となり、マラソン世界選手権の日本代表になると3位に食い込む快挙を見せた。

まずはマラソンで、東京パラリンピック切符をつかみましたね。

ロンドンでは、これまで出場したマラソンの中で最高のレースができたと思います。でも、3位はやっぱり悔しいもの。フィニッシュ後はまず『東京パラリンピックまで残り1年で上位の2人との距離をどれだけ詰められるのだろう』と危機感を抱きました。

どんなレースだったのでしょう?

いま一番強いとされているダニエル・ロマンチュク選手(アメリカ)が上り坂で仕掛けてきました。自分はトラックに重きをおいていることもあり、上りの練習はほとんどせずに臨んだわけですが、スタートを得意としている自分なら、その動きと似ている上りもうまくいくという気持ちもあって、ダニエル選手をなんとか追うことができたんです。
そこから、トップ争いは6つのメジャー大会を全て制覇しているマルセル・フグ選手(スイス)を含めた3人に絞られました。途中で3人の間隔が開いた場面もありましたが、マルセル選手にローテーション(風の抵抗を受けやすい先頭を代わりながら走る戦略)を提案し、体力を温存しながら走ってダニエル選手の独走を許さなかった。
あとで振り返ると、ラストスパートへの反応がワンテンポ遅れてしまったのが課題ですが、手ごたえをつかんだレースでした。

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東京パラリンピックの出場権がかかる重要なレース。重圧はありませんでしたか?

自分はトラック選手という意識でいたので、もちろん日本代表に選ばれたからにはベストを尽くしたいとは思ったけれど、正直なところ『日本の枠を取りにいかなきゃ』というような気負いはありませんでしたね。

マラソンに出場する目的は?

最初はトラックの延長線上にマラソンがある、という位置づけでした。トラックではできない経験を得るためです。たとえばトラック種目の800mだと1分30秒で終わってしまうけれど、42.19kmの距離があれば1時間30分をみんなと走ることができ、いろんなレース展開を経験できますから。実際にマラソンの経験がトラックに活きていると実感しているので、東京パラリンピックでは二刀流を貫きたいと思います。

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――東京パラリンピックは26歳で迎える。その競技歴は16年と短くない。鈴木選手はどんな道を進んで世界の舞台で活躍する選手になったのだろうか。


どのようにして陸上競技に出会ったのですか?

両親が横浜ラポールという障がい者スポーツ施設に連れて行ってくれたのがきっかけです。当時、5歳くらいだったのですが、はじめからその施設で活動していた車いす陸上クラブの中で誰よりも速かったんです。一番になる喜びを知ったこともあり、鮮明に覚えていますね!

活発な子どもだったのですね。

千葉の館山という田舎で生まれ育ったので、幼いころから移動手段は車いす。基礎的な運動能力はそこで養われたんだと思います。それに、両親も車いすだからといって、なんでも「危ない」と止めに入るわけでもなく、周囲の子と同じように遊ばせてくれました。

陸上競技用の車いすレーサーに乗り始めたのは?

小3のとき、横浜ラポールに通う先輩の古いレーサーが回ってきたんです。日常用の車いすの動きを習得していたおかげで、うまく漕ぐことができたと思います。練習した分だけ記録も伸びていきました。小5でマラソン大会に出場し、賞品としてオーダーメードのレーサーを手に入れたこともありましたが、すぐに体のサイズに合わなくなってしまって。レーサーは高価でそう簡単に買えるものではないため、先輩たちのレーサーを譲り受けることのできる環境にいたことが幸運でした。


中学時代に「東京2009アジアユースパラゲームズ」で国際デビュー。当時の練習環境は?

通っていた中学の先生に理解があり、学校の陸上部に入れてもらえたんです。山道を長距離走る練習をしたり、鉄棒で懸垂をしたり、他の部員と同じ練習メニューをこなして身体もぐんと大きくなりました。高校時代は通学に時間を取られてしまいましたが、その後、リオパラリンピックを目指そうと決意。パラリンピアンの花岡伸和さんに指導してもらって記録も伸び、やっぱり陸上競技って楽しいと思いました。

――しかし、リオパラリンピック出場を逃し、大きな挫折を味わった。その後、自分に向き合い、再始動するまでにどのような心の変化があったのだろうか。

見つかった課題は何でしたか?


あのときは、(日本パラ陸上連盟の定める)選考期間が終わってからいい記録が出たんです。だから、リオの出場ラインに世界ランキングが届かなかったのは、ピークの合わせ方を知らなかったからなんじゃないかと。いま思えば指導者こそいましたが、ふだん体を診てもらう専門スタッフはおらず、すべて自己流でした。

環境を整えるときに重要視していたことは?


大学を卒業し、トヨタ自動車入社。そのタイミングでトレーナーに依頼し、新たなチームをつくっていきましたが、フィーリングの合う人を見つけるのに時間がかかりました。僕は生後8ヵ月で脊髄を損傷し、足を使って歩くことを知りませんが、現在、お願いしているひとりの大森トレーナーは、僕の意見も尊重しつつ正しい方向に導いてくれるのがありがたいですね。

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新たに取り入れたトレーニングはありますか?

いろいろなトレーナーの意見を聞く中ではじめたのが下半身の強化です。レーサーを漕ぐ際に重要になるのは背中の筋肉。その背中を支えるには骨盤の動かし方が大事だし、一般的に骨盤の安定には足の筋力アップが有効です。それで『少しでも動かせる部分があるなら鍛えていきましょう』と提案してもらい、ぜひ取り組もうと。

持ち味である“スプリント力”にも、いい影響があったのでは?


以前から触感はあるのですが、足にぐっと力が入っている感覚はまだありません。でもマシンジムで鍛えるにつれ、力は入ってきているようなので、その感覚をうまくつかめるようになれたらいいですね。体幹を安定させてもっと爆発的なスタートを切れるようになりたいです。

――トラックでは、本命種目と位置付ける800mで東京パラリンピックの出場権獲得をにらむ。その前哨戦としてドバイで開催される世界選手権は日本チームの男子主将も務める。

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2015年にドーハで行われた世界選手権が初出場でした。


多くの選手の憧れでもあるマルセル選手と予選を同じ組で走り、スタートでマルセル選手より前の位置を取れたのが自信になりました。世界にスプリント力をアピールできたレースでもありました。

2017年のロンドンはどうでしたか?

前回の世界選手権は、ロンドンパラリンピックと同じ会場で行われて観客もすごく多かったですし、上位に入りたいという思いが強くありました。その分、体の動きも硬くなってしまい……でも、今までになかったことを経験できたことが大きな収穫になりましたね。

ドバイの後は、いよいよ東京パラリンピックです。

そうですね。自国開催のパラリンピックは一生に一度だと思うので、車いす陸上の国内での知名度を上げるためにも選手が結果を残さなくてはいけないと考えています。目標は、トラックとマラソンの両方でメダルを獲ることです!

その後は……?

実は、引退時期を設定しています。小さいときからずっと陸上競技をやってきたので、引退後の人生も考えて、2028年のロサンゼルスまでと考えています。ぜひパラリンピックで複数の金メダルを獲ってから次のキャリアに移りたいですね。


text by Asuka Senaga
photo by Hisashi Okamoto

※本記事は2019年11月に「パラサポWEB」に掲載されたものです。

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