「大学卒業は26歳」「3日で睡眠6時間」 苦労人・伊藤拓摩が日本バスケの“GM”として目指すもの
新強化委員長は43歳。アルバルク東京のヘッドコーチ(HC)として2016年秋にBリーグ開幕戦の指揮を執り、長崎の立ち上げにも携わった。バイリンガルで、国際性を持った人材でもある。こう書くと「苦労知らずのエリート」と勘違いされるかもしれないが、なかなかの苦労人でもある。
強調した「世界」と「一体感」
彼が会見で述べたメッセージは明快で、強調していたポイントは「世界」「一体感」の二つだ。
三重県鈴鹿市出身の伊藤は両親の教育方針もあり高校、大学とアメリカにバスケ留学をした。選手、マネージャー、コーチとして高校からプロまでの3カテゴリーを経験している。そんなキャリアだからこそ世界への解像度は高い。
「キーワードは世界レベル、世界を標準化するところです。世界を意識することから始まり、世界を知り、そして世界に触れるーー。そして肌で感じ、自分たちの現状を知る。そうやって未来に向かっていけるのかなと思っています。例えばスポーツパフォーマンスはトレーナー、ストレングスコーチ、栄養などスポーツサイエンスの部分を担う部会です。よくフィジカルが課題という話が出ますが、どう目標を立て、世界レベルのフィジカルになっていくのかが大切です」
もう一つ、43歳の新強化委員長は会見で「一体感」というフレーズを繰り返していた。
「(日本代表の)評価でいうと戦術、技術もそうですけれども、まずはどう一体感を作っていくかが大切です」
「兼務批判」「代表辞退」との向き合いは?
これについて、伊藤はこう述べている。
「前任の東野(智弥)技術委員長も、一人で選手を決める力はなかったと思いますが、まずどのような理由で選ぶか、基準をしっかり作りたい。もっとも大切なのは日本代表、日本のバスケットボールに対して思いがあるかどうか。次HCのスタイル、築き上げようとしているものに合うかどうかです」(※新体制から技術委員長は強化委員長に改称)
明快な基準を提示し、それに沿った選手を選出することで、ハレーションを防ぐ狙いもあるかもしれない。クラブ側の反発も想定されるが、それに関してはやや抑えたコメントにとどめていた。
「大切なのは皆さんが利益相反と感じたときに、はっきりと私に(意見を)出してくるかです。クラブがそれを感じることが絶対あってはいけないと思いますが、そう感じさせたときにコミュニケーションが取れることが大切です。意図を説明するなど、コミュニケーションを各クラブの社長やGM と取れるようにしていきたい」
Bリーグは2023年に選手の代表辞退に関するルールを厳格化、明文化している。それは「正当な理由なく辞退した場合、リーグ戦3試合の出場停止を科す」という内容だ。島田慎二チェアマンからは田中大貴(サンロッカーズ渋谷)のように日本代表で十分な実績があり、既に代表引退を表明している選手も、処分の対象になるという説明があった。
これについて、伊藤は逆方向から踏み込んだ発言をしていた。
「私の考えとして、チームとして同じモチベーション、高い志を持って目標に向かっている一体感が大切だと思っています、それは技術に勝るものでもあるでしょう。代表活動に思いがないのであれば、そもそも誘いませんし、こちらが求める人材ではありません」
代表招集を巡って揉めるのは当落線上の人材だ。合宿に何週間も参加したのに最後の最後でメンバーに入れない、試合にほとんど出られない状態は選手にとって不幸だ。プレシーズンは特にそうだが、所属チームの主力ならば早めに戻って練習を積み連携を高めたほうがいい。
一方で新強化委員長が強調するように、熱意がない選手を無理やり呼んでも、チームは強くならない。彼がこの方針を貫くなら、選手が意に沿わない招集で出場停止処分を受ける心配はせずに済みそうだ。
伊藤が日米で歩んできた道
伊藤は若いながらに経験豊富で、かなりの苦労も積んできた。彼は中3の年齢で渡米すると8年生(日本でいう中2)に編入。オレゴン州の公立校に進み、さらにバスケットボールでは名門のモントロス・クリスチャン高校(メリーランド州)に転校した。同校の後輩には松井啓十郎(さいたまブロンコス)、伊藤の実弟・大司(現A東京GM)、富樫勇樹(千葉ジェッツ)らも名を連ねている。彼は富樫、渡邊雄太、八村塁と続くバスケ留学の先駆者でもある。
もっとも中学の最終学年をやり直したことで、高校の最終学年は年齢制限でプレーできなかった。伊藤は選手からマネージャーに転向し、ここからコーチ人生が始まった。高校卒業後には地元のコミュニティカレッジに通いながらモントロスのアシスタントを続け、マネージャーの奨学金を得てバージニアコモンウェルス大に進んだ。彼は過去のインタビューでこんな内幕を明かしている。
「僕は若いのに選手のワークアウトができました。NCAAはルールがあって、コーチは年間にこれだけしか練習を指導してはいけないと時間が決まっています。でも『マネージャーが(指導を)してはいけない』というルールはありません。僕の年齢でマネージャーをしながらコーチができる人は、アメリカ広しといえども、他にいませんでした。あと年齢が近いし、当時は『スキルトレーニング』がそこまでなかったので、コーチよりマネージャーの僕にやってもらいたがる選手も沢山いました」
ビザの関係や、父の闘病で日本に帰国をしていた時期もあり、大学の卒業は26歳だった。そこからトヨタ自動車アルバルクのアシスタントコーチに招かれ、Bリーグ開幕の前年(2015-16シーズン)からはHCを任された。
ただしアシスタントコーチ時代の仕事ぶりは過酷だった。今のB1ならば「分析コーチ」「アシスタントコーチ」がそれぞれ複数いる体制だが、当時の伊藤は今なら4人、5人が手掛ける作業を一人で受け持っていた。彼は「月曜から水曜日は忙しくて、当時の睡眠時間は3日間で6時間くらいでした」とも振り返っている。
Bリーグ開幕後も、それに近い状況が続いていた。伊藤はA東京のHCを2シーズンで退任し、その仕事を引き継いだルカ・パヴィチェヴィッチがチームを3連覇に導いた(編注:2019-20シーズンは新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、途中でリーグが打ち切れたものの、最高勝率で東地区優勝)。ルカ体制でGMを務めた恋塚唯は当時の状況をこう振り返っている。
「伊藤HCが担わないといけない負荷、しがらみがあって、そこを一回取り払ってあげる必要がありました。彼はバイリンガルで、アシスタントコーチをやっていたから選手のことにもよく目がいく。そうしたら外国籍選手のケアをすることになるし、プライベートにも気を配りたくなる。能力が高いから、そこに気が付いてしまう。でもHC以外の業務が多すぎたと思います」