<国内男子ゴルフ>石仏が4年ぶりに笑った日。黄重坤がV4

日本ゴルフツアー機構 (JGTO)
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【石仏から生き仏へ】

■国内男子ゴルフ/「マイナビABCチャンピオンシップ」(10月31日〜11月3日、兵庫県加東市・ABCゴルフ倶楽部)」3日・最終日

13歳でゴルフを始め、すぐにトップジュニアとして頭角を現したころ、ついたあだ名が「石仏」。「バーディでもボギーでも、顔が変わらないから、ということらしいです」と本人談。当時から、徹底したポーカーフェイスは、今も健在だった。

韓国出身の27歳。日本で戦い始めて9年目。今オフ、8キロのダイエットに成功してスリムになっても、丸ぶちメガネにツルリと餅肌がトレードマーク。黄重坤(ハンジュンゴン)が、4年ぶりのツアー通算4勝目を飾った。

1差2位から出た最終日は、4番でこの日最初の逆転を契機に、最終組の今平との接戦をスタート。
惜しいチャンスを逃し続けた序盤は「入らないことに、執着するのではなく諦め。そうやって、リズムを戻した」。
達観のV争い。

本来は「弱点」というバンカーからこの日は何度も奇跡的な寄せワンを見せた。12番で今平に2差つけられても少年期のあだ名どおりに顔色ひとつ変えずに、終盤の16番で再逆転。

1打リードで迎えた18番では今平に、先にチャンスにつけられ、イーグルを奪われたが「今平選手は上手い。入れて当然。自分も果敢に挑んだ」と平然と、自分は後からさらに近くに乗せて、2メートルの劇的イーグル返しだ。
1差で振り切り、4年ぶりの日本ツアー通算4勝目。
「あまりにも久しぶりの優勝。幸せいっぱい」。
それまで石のように変えなかった表情が、顔一杯の笑顔でたちまち緩んだ。

「僕の物忘れは速いほうだけど、さすがに日本プロの負け方はいけなかった。結果を出し切れずに負けたことで、尾を引いた」とこの3年で、何度も繰り返した惜敗の中でも今年7月に、石川遼とのプレーオフに敗れた日本プロの例を挙げ、「今日はそれがトラウマにならないように、と臨んだ」。

最終日を6位タイで終えながら、18番で挑んだウォーターショットでソールが池に触れたとのちのビデオ判定で、失格を喫したのは二十歳で臨んだ2011年大会。初出場だった。
「あれは自分の不注意でした。あの時は、とてもいい勉強をさせてもらった」。8年前の学びも劇的Vで結実させた。

5月の誕生日で27歳になり、韓国で30歳までの成人男性に課される兵役の期限が迫っていた。12月の身体検査をパスしたら、来年から約2年の任務に就く見込みだ。
「それまでに、勝ちたい思いが強かった」という。
日本ツアーの出場規定に明記はないが、シード権を持つ韓国選手が翌年以降に兵役に就いた際には復帰後のシード権の持ち越しを認めてきた例もあり、ジュンゴンも「戻ったら、もう一度日本でプレーをしたいと思います」と、アピール。

参戦9年目。V直後のヒーロー会見も、表彰式でのスピーチも、すっかり上達した日本語でこなした。
「日本でも応援してくださる方がとても多くて、それに応えるには結果でしかないと、常日頃から思っていました」。
最後は生き仏の笑みで感謝を語った。
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