ファンが選ぶ!監督ランキング

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スポーツナビでファン投票を実施した「監督ランキング」企画。ファンの方にプロ野球で好きな監督をそれぞれ最大3人まで選んで投票してもらいました。

はたして1位に輝いた監督は!?

ランキング

順位 名前 監督を務めた高校 得票率
1 西谷 浩一 大阪桐蔭 6.55%
2 渡辺 元智 横浜 5.95%
3 高嶋 仁 智辯学園、智辯和歌山 5.63%
4 蔦 文也 池田 5.11%
5 木内 幸男 取手二、常総学院 3.68%
6 中村 順司 PL学園 3.50%
7 馬淵 史郎 明徳義塾 3.26%
8 鍛治舎 巧 秀岳館、県岐阜商 2.17%
9 尾藤 公 箕島 2.02%
10 小倉 全由 関東一、日大三 1.97%
11 岡田 龍生 履正社 1.85%
12 佐々木 洋 花巻東 1.77%
13 山下 智茂 星稜 1.54%
14 狭間 善徳 明石商 1.40%
15 前田 三夫 帝京 1.28%
16 中井 哲之 広陵 1.22%
17 香田 誉士史 駒大苫小牧 1.16%
18 上甲 正典 宇和島東、済美 1.15%
19 阪口 慶三 東邦、大垣日大 1.14%
20 岩井 隆 花咲徳栄 1.03%

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解説

大阪桐蔭の西谷浩一監督が1位。甲子園優勝7回は歴代最多で、これまでに歴代2位の中村順司氏(元PL学園監督)の58勝に迫る55の勝ち星を、この大舞台で挙げている【写真:岡沢克郎/アフロ】

 トップは大阪桐蔭の西谷浩一監督だ。浅村栄斗(楽天)らを擁した2008年夏の選手権を皮切りに、これまでに大阪桐蔭を7度、甲子園優勝に導いている(春3回、夏4回)。

 かつてはPL学園(16年から休部)、近年では今回のランキングで11位に入った岡田龍生監督率いる履正社など、強力なライバルがひしめく激戦区・大阪にあって、甲子園出場は通算16回。その大舞台での戦績は55勝9敗で、.859という驚異的な勝率を誇る。浅村以外にも、中村剛也(西武)、西岡剛、中田翔(日本ハム)、森友哉(西武)など、のちにプロで大成する選手を何人も育てたこともファンの支持を集めた理由だろう。

 2位以下にはすでに第一線を退いている、いわばレジェンド監督の名前が続く。

 2位の渡辺元智氏は、横浜を全国屈指の強豪に引き上げた名将。1973年のセンバツでは初出場で初優勝、愛甲猛(元ロッテほか)を擁した80年夏にも優勝を果たしているが、名声を確立したのは小倉清一郎部長との二人三脚でチーム強化に取り組んだ90年代以降だろう。特に松坂大輔(西武)が絶対的なエースとして君臨した98年には、史上5校目となる春夏連覇、公式戦全勝など数々の伝説を築いた。15年に監督を辞めるまで、甲子園で歴代4位タイの51勝を挙げている。

 その甲子園での通算勝利数が歴代最多の68勝に上るのが、3位に入った高嶋仁氏だ。72年から7年間監督を務めた智辯学園でも春夏合わせて甲子園に3回導いているが、その名が広く知られるようになったのは、80年に兄弟校の智辯和歌山の監督に就任してから。とりわけ94年から02年にかけての9年間は、春夏通算で優勝3回、準優勝3回とめざましい成績を残した。自身にとって38回目の甲子園出場となった18年夏の選手権を最後に、97年夏の優勝メンバーである愛弟子・中谷仁コーチ(元阪神ほか)に監督の座を譲り勇退した。

 4位には、池田高校の監督として高校野球の歴史に大きな足跡を残した蔦文也氏が入っている。徳島県の山あいにある小さな町の県立高校を率いて、甲子園出場14回。「さわやかイレブン」と称された部員11人のチームで74年のセンバツで準優勝すると、80年代初頭には「やまびこ打線」と名付けられた超強力打線で甲子園を席巻する。畠山準(元南海ほか)が投打の柱だった82年夏に初の全国制覇。その時の主力だった水野雄仁(元巨人)、江上光治が最上級生となった83年のセンバツも、圧倒的な強さで優勝を飾った。打って、打って、打ちまくって相手をねじ伏せるその戦い方から、「攻めダルマ」の異名をとった名物監督は、86年のセンバツでも池田を頂点に導いている。

 5位の木内幸男氏は、異なる2つの高校で全国制覇という快挙を成し遂げた茨城の名伯楽だ。84年の夏の大会では取手二を茨城県勢初の全国制覇に導き、翌年に県内の新設校、常総学院の監督に就任すると、3年後の87年夏にエース島田直也(元大洋/横浜ほか)を擁して準優勝。01年にはセンバツ優勝、退任を表明して臨んだ03年夏にも優勝を果たしている(08年に一度復職して11年に勇退)。相手の意表をつくような策がずばずば当たることから、その采配は「木内マジック」と呼ばれ、甲子園の大舞台で下馬評を覆す番狂わせを何度も演じている。

5位の木内幸男氏は甲子園で通算40勝。取手二時代の84年夏の決勝では当時2年生だったKKコンビを擁するPL学園を破り、常総学院時代の03年夏の決勝では超高校級投手のダルビッシュ有を攻略して東北を撃破した【写真:岡沢克郎/アフロ】

 6位に入ったのは、PL学園の監督として甲子園で歴代2位の58勝を挙げた中村順司氏。甲子園での勝率は既述の大阪桐蔭・西谷監督に次ぐ.853、優勝は6回を数える(春、夏とも3回)。

 コーチを経て80年の夏の予選後に監督に就任すると、翌81年、そして82年とセンバツ連覇を達成。さらに、当時1年生だった清原和博(元西武ほか)、桑田真澄(元巨人ほか)を抜擢(ばってき)した83年夏の選手権では、絶対的な強さを誇った池田を下すなどして優勝を果たし、翌84年のセンバツ決勝で敗れるまで甲子園20連勝という不滅の記録を打ち立てた。KKコンビの2学年下で、2人の背中を見て育った立浪和義(元中日)、野村弘樹(元大洋/横浜)、橋本清(元巨人ほか)、片岡篤史(元日本ハムほか)らが最上級生となった87年には、KK時代に果たせなかった春夏連覇も成し遂げている。98年のセンバツをもって勇退し、その後は母校・名古屋商科大の監督を務めた。

 箕島高校の監督として、主に70~80年代に甲子園を沸かせた尾藤公氏が9位。和歌山の県立高校を4度の甲子園優勝(春3回、夏1回)に導いた紛れもない名将だ。79年には、石井毅(元西武)と嶋田宗彦(元阪神)のバッテリーを中心に春夏連覇も成し遂げている。夏の選手権・3回戦、延長18回に及んだ星稜との大激戦は、今でも語り草だ。この時に相手の星稜を率いていた山下智茂氏もトップ20入り(13位)。山下氏は、元巨人で、MLBでも活躍した松井秀喜を育てた監督としても知られる。

 まだ現役ながら、7位の明徳義塾・馬淵史郎監督もレジェンドのひとりと言っていいだろう。甲子園での通算51勝は歴代4位タイ。02年夏には全国制覇を成し遂げ、10~17年には8年連続で夏の甲子園に導いている(98~05年にも夏の高知県予選で8年連続優勝に導いているが、部員の不祥事により05年夏の甲子園は出場辞退)。

 その馬淵監督と切磋琢磨(せっさたくま)しながら、ともに四国の野球を盛り立ててきたのが、愛媛の宇和島東と済美で監督を務めた上甲正典氏だ。どちらの高校でもセンバツ優勝を果たしており、今回のランキングでは18位に入った。

 上甲氏や木内氏と同様に複数の高校で成功を収めた監督としては、10位にランクされた日大三の小倉全由監督もそのひとりだ。関東一時代は全国制覇こそならなかったが、87年のセンバツで準優勝。97年に母校の日大三に監督として戻ると、01年夏の甲子園で初優勝を飾り、11年夏にもエース吉永健太朗の力投や強力打線の爆発で頂点に立っている。

 上位10人の中で異色なのが、8位の鍛治舎巧氏だ。早稲田大、社会人野球の松下電器(現パナソニック)の中心選手として活躍した後、松下電器の監督に就任。高校野球ファンにはNHKの解説者として知られていたが、14年、62歳の時に熊本県の秀岳館の監督に迎えられ、16年の春、夏、17年の春と3季連続で甲子園ベスト4という戦績を残した。18年からは自身の母校である県岐阜商の監督を務める。

(企画構成:YOJI-GEN)

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