早大競走部 箱根事後特集『蕾(つぼみ)』 第9回 石塚陽士
チームで唯一、4年連続で東京箱根間往復大学駅伝(箱根)に出走した石塚陽士(教4=東京・早実)。今年は苦しい1年となったが、集大成となる今回の箱根では、9区のラストスパートで激烈な3位争いに競り勝ち、4年間を締めくくった。そんな石塚に箱根の振り返りと競走部への思いを伺った。
※この取材は1月25日に行われたものです。
がむしゃらに、できる限り走った
いつもだったら実家にすぐ帰るのですが、退寮があるので、今回に関しては寮の中でゆっくり過ごしました。
ーー箱根直前の練習ではどのようなことを意識されていましたか
しっかり練習できればそれなりに走れるのではないかなと当時思っていました。9月、10月あたりは練習できないことが多かったのですが、きっちりとやり切って自信をつけるというところは意識していた点かなと思います。
ーー実際に9区への出走が決まったのはいつですか
1月1日に最後の刺激練習があったのですが、それが終わった後に花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)から「石塚が不安がないようであれば石塚でいきます。大丈夫?」と聞かれて、「はい。大丈夫です」と答えて決まりました。
ーーその時の率直な気持ちを教えてください
多分僕の区間が、平地の区間の中では一番最後まで悩まれてた区間だと思うのですが、そこで選ばれたからにはしっかり走りたいなと思いました。宮岡(凜太、商3=神奈川・鎌倉学園)と多分競っていたのですが、宮岡のためにもしっかり走らないと、とは思いました。
ーー往路は3位でフィニッシュしましたが、どのようにご覧になっていましたか
今まで3年間往路を走っていたので、往路を客観的に見るのが初めてで、テレビで観るのは新鮮でした。2区の山口(智規、スポ3=福島・学法石川)は少し挑戦しすぎたところがありましたが、他のところに関しては想定かそれ以上に走ってくれたので、その流れはしっかり復路につなげていきたいなと思いながら見ていました。
ーー復路当日の6区から8区の選手の走りはどのようにご覧になっていましたか
6区の時はまだ宿にいたので、宿のテレビで見ながら応援していたのですが、10区間の中で一番見通しが立っていなかったのが6区でした。それで、結構期待以上というか、想定以上の走りを山﨑(一吹、スポ2=福島・学法石川)がしてくれたので、往路の活躍も含めてさらに頑張らないとなと思いました。7区と8区はあまりしっかり見れていないのですが、4年間ずっと走ってきた経験の高い同期なので、 きっと大丈夫だろうと思いながらウォーミングアップなどをしていました。
ーー9区でどのような役割が求められているとお考えでしたか
走る直前の話になりますが、レース展開的に差を詰められなければ3位が結構固く見えてくるところでした。 前も後ろも距離が空いている結構難しい位置ではあったのですが、そこの差を維持しながら 10区の菅野(雄太、教4=埼玉・西武学園文理)につなげられれば、チーム目標の総合3位が達成できそうという感じではあったので、前を追うというよりは後ろから詰められないようにするということが大事だったのかなと思います。
ーー当日のコンディションはいかがでしたか
この1年の中では一番良かったのかなと思っています。かなり調子は良かった方だと思います。
ーーレース前に花田監督と話されましたか。また、どのような内容でしたか
「差は前後どちらも開いているから、 無理に追うのではなくて、自分のペースでしっかり走りきれば大丈夫、そういうかたちでいこう」と話しました。
ーー10キロ付近で国学院大の上原琉翔選手が見えた時は、どのようなことを考えていらっしゃいましたか
そろそろ来る気がするなと思いながら走っていたのですが、選手が見える前に白バイが後ろからぶんってきて、その白バイを見た時にもう追いつかれてしまったなと。思っていた以上に早く来たので内心焦っていた部分もありましたが、もうそこまで来てしまったことはしょうがないので。後ろから来る方がやはり勢いがあって、離されてしまう可能性も高くなってくるのですが、そうならないように、もし抜かされたとしてもそこでどれだけ粘って差を広げられないようにできるか、というところに切り替えて走ろうかなというふうには思いました。
ーー事前対談の際に、「自分ががむしゃらに走っている姿を見せることが一番大事」とおっしゃっていました。実際にラストスパートでは熾烈(しれつ)な3位争いをなさっていましたが、その時の思いをお聞かせください
1分以上の差を溶かしてしまったということは事実で、それに関してはもうどうしようもなかったのですが、自分にできることといったら10区の菅野に渡すまでにかたちだけでもなんとか3位に持っていくことでした。総合3位を目指してずっとやってきたので、そこの望みをつなげるというところが、最後にできることかなと。もはや罪滅ぼしみたいな感じになっていたのですが、そこはもうがむしゃらに、できる限り走りました。
ーー改めてご自身の走りを振り返っていかがですか
結構調子がいいと思っていたのですが、確か最初の3キロくらいでもう動かないなという感覚があって、そこからは苦しい走りになってしまいました。もう少しペースを上げないと追いつかれてしまうことはわかっているけれども上げられないということが続いて、走りながらどうしようかなと思うところがありました。追いつかれてしまったことに関しては、チームの目標である総合3位以内というところを達成できなくなってしまった一番の要因なのかなと思っているので、そこは本当に申し訳なく思っています。その一方で、最後はなんとかがむしゃらに粘りました。それは事前対談で言及した時に意図していた「がむしゃら」とはまた違うものにはなったと思うのですが、失敗してやらかしっぱなしで終わるのではなくて、あがいてと言ったらなんか変ですけど、一応悪いところだけを見せずに走り切ったのかなとは思っているので、そこだけはポジティブ要素を見出したいなと思います。
ーー給水担当はどなたでしたか。その際に掛けられた言葉などは覚えていらっしゃいますか
給水は2回あって、最初の方は1年生の立迫(大徳、スポ1=鹿児島城西)で、2回目が同期の日野(斗馬、商4=愛媛・松山東)でした。具体的な言葉はあまり覚えていないのですが、特に日野はすごく熱い言葉をかけてくれたという印象が残っています。中身よりも、熱い思いが伝わったことの方が大事なのかなと個人的に考えているので、そこは「伝わったよ」と言いたいなと思います。
ーーレース中の花田監督の言葉で印象に残っている言葉はありますか
序盤の方しか覚えていないのですが、最初の1キロ、3キロ、5キロの声かけで「この2カ月間しっかり練習してきたから、その力を信じてやっていこう」みたいな、そんな感じのことでした。自信を持っていきたいなと思いました。
ーーチームの総合4位という結果を振り返っていかがですか
大志(伊藤大志駅伝主将、スポ4=長野・佐久長聖)や花田さんは、今のチームが全力を出し切った結果だから良かったのではないかなと言ってくれるのですが、やはり僕個人としては、やはり僕が一番、3番ではなくて4番に近づけてしまった原因のひとつではないかなと思っているので、僕がもう少し、10秒、20秒頑張ってたらまた違ったかなと思います。頑張っていない訳ではないのですが、もう少し早く菅野につなげられていれば、また違う結果になったのかなとは思っているので、4位という結果に対してはすごく僕の責任が大きいのかなと。申し訳ないなと思います。
ーー1年生の時には箱根のシード落ちを経験されました。その頃から振り返って、今年の結果をどのように捉えていらっしゃいますか
今年は展開的にも一番わくわくした箱根になったかなと思っています。過去3年間はシードを落とした年も取れた年も、下位スタートから上がっていくという感じだったのですが、今年はそうではなくて、どの区間でも結構上の順位で勝負できたというところは、今までいた3年間とは違う部分だったと思っています。来年は山口智の代で総合優勝を目指すというふうに言っているのですが、その土台にはなれたのではないかなと思います。
ーー今回の箱根は7区から10区まで4年生のタスキリレーというかたちになりましたが、いかがでしたか
正直、4人連続でつなぐとは全然思っていなかったというか、少なくとも昨年のこの時期くらいの時点では全く思っていなかったです。 結構主力としてやってきた同期の4人だったので、そこで(タスキを)つなげるというのはやはりすごく嬉しいなと思っていました。あとは、 最後の締めを飾る4区間なので、そこは4年生はしっかりしないとねという話を4人と相川(賢人駅伝主務、スポ4=神奈川・生田)も含めて話をしていました。
「このチームに入れて幸せだった」
そういえば自分だけ4年間走ったのかと今思ったのですが、やはり箱根駅伝は出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)や全日本(全日本大学駅伝対校選手権)と比べて応援してくれる人の数が段違いで盛り上がりますし、同じ学科の人とか同じゼミの人とかが十数人で一緒に来てくれたりとか、自分の友達が現地に応援に来てくれたりだとか、テレビ越しですごく応援してくれたりとかもあって、本当に影響力の大きい大会なんだなということが4年間を通して思ったことです。それを通じて久々に話をした昔の友達もいましたし、箱根駅伝を通じて交流関係も広がったと言ったら少しあれですけど、本当にいろいろな人がサポートをしてくれたり、気にかけてくれたりということをすごく感じた4年間でした。その点においてはやはり今後こんなに注目を浴びることはなかなかないとは思うので、4年間とても貴重な経験をさせてもらいましたし、幸せなことだったのかなと思います。
ーーこの1年間を振り返っていかがですか
今年も、と言った方が良いかもしれませんが、今年は辛い1年間だったなというのが率直な感想です。ベストは一度も出ていないですし、ベストとは遠ざかった結果しか残せなかった1年間だったので苦しくて、もどかしさを感じた1年間でした。
ーー石塚選手から見て、今年のチームはどのようなチームでしたか
本当に駅伝主将の大志がチームのために奔走してまとめてくれました。少なくともこの4年間の中で一番まとまりのあるチームだったのではないかと思っていて、そういう、しっかりまとまり切ったチームに入れたということに関して、幸せだったなと感じています。
ーー競走部での4年間を振り返って、一番身についた力はどのような力ですか
自己管理能力とマネジメント能力が身についたかなというふうに思っています。 僕は少し特殊で全体の練習に参加することが少なくて、1人で練習することが多かったのですが、結構授業もたくさんあったので、 どういう授業を組んで、どういう練習をやって、みたいなところを、花田さんだったり、1年生の時は相楽さん(豊前チーム戦略アドバイザー、平15人卒=福島・安積)だったりと話しながらきちんと組み立てて自分でやって、そうやって結果を出してというところをずっとやってきたつもりなので、そういう自己管理だったりとか、計画を立ててやることに関しての力はつきました。あと、上下の関係もあるので、そこでどう関わっていくかというところはやはり競走部で一生懸命、全力でやってきたからこそ身についた能力なのかなと思います。
ーー4年間一緒に部活をしてきた同期の方々に伝えたい言葉はありますか
本当に楽しい4年間だったなというふうに思っています。寮で暮らすということも初めての経験だったので、最初はすごく不安だったのですが、この4年生のメンバーだったからこそ楽しく寮生活ができたかなというところがあるので、やはり感謝の気持ちでいっぱいですし、今後もよろしくお願いしますと(笑)。今後も仲良くできたらなと思います。
ーー今までお世話になった方、応援してくださった方にメッセージをお願いします
僕が知っているところでも知らないところでも応援してくださって、いろいろなサポートを受けてきた4年間だったので、そのことに関して本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ーー新しいチームに期待することはどのようなことですか
うちの学年には飛び抜けて強い選手、いわゆる大エースと呼ばれる選手はいなかったです。今年1年で全体的に底上げはされたと思うので、あとはどれだけ誰かが突き抜けられるかというところが大きいのかなと思っています。そこの突き抜け力と言いますか、大エースを出すというところは期待したいというか、頑張ってほしいなというふうに思います。
ーーこれからも交流はあると思うのですが、後輩の皆さんに一言お願いします
早スポを通じて伝えます(笑)。どんどん挑戦してほしいなと思うので、迷ったら辞める方ではなくてチャレンジしていく方向に進めて、 いいチームをつくり上げていってほしいなというふうに思います。今後も応援してます。
実業団と大学院の両立
元々競技を続けるというよりは、大学院に進んで研究したいという気持ちの方が強くて。大学院に行きながらでも競技を続けていいよと言ってくださるところを探していた時に、ロジスティードさんからそういうかたちでもいいよとお声がけをいただいたので、そこで頑張りますということで、実業団と大学院を両立して進めることになりました。
ーー決断するにあたって悩んだことはありますか
やはり忙しくはなるはずで。今までは学生スポーツだったので、勉学が本分でそこに競技がくっついているという構図だったと思うのですが、実業団は競技をしてお金をもらうところで、(大学院で研究しているという)背景が全く関係なく評価されるところになってきます。そういった陸上を専門にする方ばかりの環境下に、二刀流を目指している人が入ってもいいのかという葛藤はありました。
ーー決断する前に相談された方はいらっしゃいますか
結局相談せずにある程度は自分で決めたのですが、親には「こうしたい、できると思う?」みたいな感じでしっかり話をしてから決断をしました。
ーー大学院で研究される予定の内容を教えてください
簡単に言いますと、コロナが流行っていた時に、PCR検査というものをやったと思うのですが、やはり偽陽性や偽陰性があったと思うんですね。PCR検査というものは今はメジャーな検査方法なのですが、やはりまだ問題点も抱えているというところで、PCR検査に代わる新しい測定法を作ろう、という研究をしています。
ーー研究も競技面も含めて、今後の目標を教えてください
どちらの分野でも名前をとどろかせたいなと思っています。陸上で結果を出すことももちろんそうですし、研究の方でも1本は論文を出したいです。
ーーありがとうございました!
2002(平14)年4月22日生まれ。170センチ。東京・早実高出身。教育学部4年。第101回箱根9区1時間10分36(区間15位)。将来的には、名前を検索した時に陸上の記録と生物系の論文が出てくる「よく分からないやつ」を目指したいという石塚選手。二刀流での活躍が今から楽しみですね!
駅伝強化PJ 第2弾クラファン「箱根の頂点へ、世界へ」 ご支援よろしくお願いします!!!
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