高校野球と人権

高校球児のスマホ&SNS利用を考察 キーワードは「人権のインフレ化」と「思考のフランス革命」

中村計 松坂典洋

【写真:アフロ】

 日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える。甲子園から「丸刈り」が消える日――。なぜ髪型を統一するのか、なぜ体罰はなくならないのか、なぜ自分の意見を言えないのか。

 そのキーワードは「人権」だった。人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士・松坂典洋氏に聞いた。日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える知的エンターテインメント。

 『高校野球と人権』(著:中村計、松坂典洋)から一部抜粋して公開します。

携帯の所持禁止は人権侵害?

中村 「子どもの権利条約」の中でもう一つ、ショッキングだった内容があります。この条約の第十七条に「国の内外の多様な情報源から情報および資料を利用できる環境を確保する」というものがあるんです。つまり、情報へのアクセス権です。この情報源の中には当然、インターネット情報も含まれています。

 この権利は「こども基本法」の中でも念頭にあると思うのですが、高校野球の強豪校の中には、携帯電話の所持を禁止している高校がけっこうありそうなんです。今、思い出せる範囲だと、大阪桐蔭や明徳義塾はそうです。僕はその状況も仕方ないのかなと思っていたんです。夜遅くまで携帯を使って遊んでしまうとか、SNS上で迂闊な書き込みをして炎上させてしまうなどのデメリットを考えたら。所持禁止とまではいかなくても、寮生活の場合は、夜だけ携帯を回収するというチームもけっこう多かったんです。でも最近、急速にフリー化に傾いているんです。つまり、常に所持していいし、いつ使ってもいい、と。もちろん、全体練習中や授業中は電源を切るなどのルールはあります。

松坂 私たちの時代は携帯などなかったので、今、携帯で簡単にバッティング動画とかを撮れるのは夢のようだなと思います。しかも、すぐ確認できるわけですよね。

中村 そうなんですよ。フリー化に傾いているのも、あった方が便利でしょ、という至極当たり前の考えなんです。2023年秋に明治神宮野球大会で優勝した星稜は大会中、選手だけで対戦相手の分析を行っていたんです。その材料をどこから集めるかといったら携帯なわけです。そこに対戦相手の動画がいっぱいアップされていますから。なので、星稜はそのときからフリーにしたそうです。全体練習のときはNGですけど、自主練習中も使っていいそうです。今言ったように自分の動画を撮影したい選手もいるので。

 あと選手からよく聞くのはプロ野球の練習風景を動画で研究し、それを自主練習に取り入れるというケースです。今、動画サイトには野球理論や練習メニューの動画があふれかえっていますから。よくよく考えたら、使わない手はないじゃないですか。そう思ったら、携帯電話の所持を禁止するのも不思議でならなくなってきてしまったんですよね。

松坂 文科省の「学校における携帯電話の取扱い等に関する有識者会議」におけるヒアリング結果によると、高校における携帯所持を可能とする主な理由は保護者との緊急連絡のためとあります。高校になると公共交通機関を利用している人も多いので、電車が遅れたり、あるいは運休したときなどに連絡の必要性が出てくるじゃないですか。帰り道に不審者に遭遇してしまったり、災害に巻き込まれた場合は、警察や学校に連絡しなければならないときもあるでしょうし。

中村 そう考えると、大阪桐蔭も明徳も野球部が全寮制だから禁止が可能なのかもしれませんね。

松坂 携帯の所持禁止そのものが裁判で争われたことはないと思います。ただ、携帯の持ち込みを禁止していた大阪の私立高校で、こんなことがありました。学校側がその校則に違反した生徒に対し、携帯の解約を迫ったのだそうです。そこで、その生徒は大阪弁護士会に人権侵害救済の申し立てを行いました。

 これに対し、大阪弁護士会は、携帯持ち込み禁止の校則に関しては直ちに違憲であるとは判断できないとしました。ただ、校則に違反したからといって携帯電話の解約を求めるのは不当であるとし、学校側に勧告を行っています。

中村 その事件も校則自体はOKだけど、その校則を違反した者に対する対応を間違えた例ですよね。

松坂 再三言っているように学校はそこを間違えがちなんです。スマホの使い方ということでいうと、こんな裁判もありました。2022年に香川県で「ネット・ゲーム依存症対策条例」(2020年施行)の合憲性が争われたことがあったんです。

中村 けっこう話題になりましたよね。なぜ、いつもゲームを悪者にするんだ、みたいな意見もあって。

松坂 この条例は、子どもの学力低下をまねくなどの理由で罰則規定はないものの「コンピュータゲームの使用は1日60分(休日は90分)を上限とし、スマホの使用は夜9時までなどとする」などの目安を示していました。訴えた側は、やはり自己決定権を制限しているのではと主張したのですが、裁判所は「ゲームやスマートフォンの利用は憲法十三条の直接の保障の対象とされるとはいえない」と判断しています。

思考のフランス革命

松坂 何でもかんでも人権として認めてしまうことを人権のインフレ化と呼びます。インフレ化が進むと、本当に重要な人権の価値が弱まってしまいますよね。なので裁判所には、権利はあらゆる領域の自由を保障するものではなく限定的なものにしようという発想があるんです。

中村 指導者側からすると「人権のインフレ化」という表現は便利な気がします。

松坂 一つの権利を「新しい人権」として認めるか否かというとき、大きく分けて二つの立場があるんです。一つは、本質的なところで自分が自分であるために不可欠な利益であれば人権として認めるという考え方。つまり、自己決定権や名誉権はそうですよね。これがあるから自分が自分らしく生きることができる。これを「人格的利益説」と言います。

 もう一つは憲法十三条に書かれている幸福追求権の中に含まれるものであれば、あらゆる生活領域の自由を人権だと認める考え方。こちらは「一般的自由説」と呼びます。後者の傾向が強くなり過ぎると、趣味の自由、昼寝の自由なども人権に含まれることになってくるので、人権のインフレ化を招くという批判があるんです。

中村 確かに、一日中ゲームをしている子どもに親が注意して「僕にはゲームをやる権利があるんだ」と言われても困りますよね。

松坂 そこはバランスでしょうね。こども基本法にあったように「発達の程度に応じて」対応すればいいのだと思います。

中村 何でもかんでも人権、人権と主張されたら「それは人権のインフレ化と言うんだ」と言えばいいわけですね。

松坂 「やることやってから言え」と言うよりは建設的かもしれませんね。でも、結局のところ、スマホ所持の制限もバイクと同じ発想だと思います。危ないから、有害だからと、デメリットばかりを強調し、権利を制限してしまうという。

中村 2023年の選抜大会でいろいろなチームに携帯電話事情を聞いたのですが、僕が聞いた範囲では所持を禁止しているところまではなかったんです。ただ、SNSの利用は規制しているところがほとんどでした。

 常総学院もそうだったのですが、部長の松林康徳さんの話がおもしろかったんです。彼は2003年に常総学院が優勝したときのキャプテンなんですけど、SNS禁止の理由を選手に伝えるとき、「あれは満たされていない人間が他人に自慢するために使うもんなんだ。おまえらは今、充実しているだろう。大好きな野球が思い切りできて。だから必要ないんだ」と言っているそうです。なるほどと思ってしまいました。

松坂 でも、女子野球が今、甲子園で試合をしているじゃないですか。その中継で選手のプロフィールを紹介するとき、画面にTikTokのフォロワー80万人とか出てくるんですよ。すごく進んでいるんだなと思いました。

 なので、男子も甲子園とかで活躍しているような選手がTikTokとかを上手に使って自分を表現したら、あっという間にフォロワー数が増えると思います。それはすごい財産的価値もあるので、将来、それで生きていけるようになるかもしれません。

中村 慶應の野球部はSNSに関してもすべて選手に任せていましたね。青山学院陸上部の監督、原晋さんは、むしろそうした個人の情報発信を推奨しています。どんどんやりなさい、と。原さんは選手にファン対応とかの指導もしているんです。練習後、可能な範囲で写真撮影やサインのリクエストにもきちんと応じさせる。原さんの指導方針を聞いていると、のけぞりたくなるような話が次々と出てくるんです。

松坂 異端児ですよね。日本のアマチュアスポーツは、慎ましやかなことこそ最上とする傾向が強いですから。

中村 でも、僕もそこは保守的なんでしょうね。指導者がSNS上のトラブルを心配する気持ちはわかるような気がします。つくづく思うのは甲子園の影響力は異常ですから。ファンも多いけど、アンチも多い。遊び半分で上げた動画が大炎上したりしたら、一生、負の烙印を背負って生きていかなければならないような事態も考えられます。

松坂 それも言ってしまえば「保護の対象」であるという捉え方ですよね。私も指導者の見方が保護の対象にとどまっていられるのなら、まだいいと思うんです。ただ、指導者によっては俺が何とかしてやらなきゃいけないという思いが肥大し、選手を自分の所有物のように考えてしまう人もいるじゃないですか。そういう指導者は刃向かわれたりすると、度を越えた制裁を加えてしまいがちなんです。体罰を生む温床になる。だから、体罰をなくすためにもこれからの時代は「保護の対象」から「権利を持つ主体」への意識改革が不可欠だと思っているんです。

中村 改革という言葉では足りないかもしれませんね。

松坂 革命ですね。意識の。

中村 思考のフランス革命ですね。

書籍紹介

【画像提供:KADOKAWA】

日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える

甲子園から「丸刈り」が消える日――
なぜ髪型を統一するのか
なぜ体罰はなくならないのか
なぜ自分の意見を言えないのか
そのキーワードは「人権」だった
人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか
高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士に聞いた
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