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三笘が“夢の劇場”でCF顔負けの闘魂ゴール アウェー戦連発で復調を強烈にアピール

森昌利

3日前のイプスウィッチ戦に続いて、1月19日のマンチェスター・U戦でもゴール。三笘はアウェー戦連勝の立役者に 【Photo by Richard Sellers/Sportsphoto/Allstar via Getty Images】

 1月16日(現地時間、以下同)のイプスウィッチ戦、19日のマンチェスター・ユナイテッド戦と、ブライトンがアウェーでの2試合で連勝を飾った。その立役者となったのが三笘薫だ。年末年始の2試合でベンチスタートに甘んじたエースは、このアウェー連戦でいずれもフル出場し、2試合連続でゴールを記録。昨年11月23日のボーンマス戦を最後にリーグ戦勝利から遠ざかっていたチームを勢いづかせるとともに、自身の復調を強烈にアピールした。

三笘は「やっと入ったという感じ」と安堵

イプスウィッチ戦で3試合ぶりに先発出場した三笘は先制点をマーク。ゴールという結果で期待に応え、チームに9試合ぶりの勝利をもたらした 【Photo by Mike Hewitt/Getty Images】

 先週は三笘薫がアウェー2連戦で大爆発。まさしく「三笘ウイーク」と呼ぶにふさわしい週となった。

 1月16日はイプスウィッチ戦。今季の昇格組で、残留争いの只中にあるチームを相手に、ブライトンにとっては勝利が必須の試合だった。

 前半のブライトンは運動量が上がらず、守りを固めてカウンターを仕掛ける戦いを徹底するイプスウィッチに苦戦した。

 しかし後半14分、三笘のゴールで試合の様相ががらっと変わった。右サイドの深い位置からヤシン・アヤリがクロスを送り、これを足元に収めたマット・オライリーはシュートコースがふさがれたのを見ると、左でフリーになっていた日本代表MFに横パスを出した。そしてパスを受けた三笘はすかさず右足を振って、ブライトンが喉から手が出るほど欲しかった先制点を奪った。

 この貴重なゴールで三笘は、岡崎慎司がレスター時代に記録した日本人選手のプレミアリーグ通算ゴール記録「14」に並んだ。

 ジョルジニオ・リュテールが後半37分に2点目を加点し、ブライトンが9試合ぶりとなる勝利を2-0で飾った試合後、三笘は開口一番「やっと入ったという感じです」と言って、11月29日のサウサンプトン戦以来、約1カ月半ぶりのゴールに安堵(あんど)した様子だった。

 岡崎の記録に並んだことに関しては、「そこは気にしない」と一言。その後に「どんどんチームのために点を決めないといけないので。そういったうえではもっともっと(これまでに)得点を増やしていかないといけなかった。遅いくらいと思ってます」と続けて、14という数字はあくまで通過点だとし、そこにこだわりは見せなかった。

 それよりも、「(過密日程でブライトンが次戦)どんなチームになるか分かりませんが、まずリカバリーが大事」と話して、中2日で敵地オールドトラフォードで行われるマンチェスター・ユナイテッド戦の先発をもぎ取ることに集中していた。

素晴らしいファーストタッチで「勝負あり」

開始早々の先制点は三笘(手前)のゴールだったと言ってもいい。得点を挙げたミンテが、より確実性の高い選択をしたエースを称える 【Photo by Stu Forster/Getty Images】

 ファビアン・ヒュルツェラー監督は「三笘に疲れが見える」と説明したが、昨年最後の試合となった12月30日のアストン・ヴィラ戦、そして1月4日に行われた2025年初戦のアーセナル戦と2試合連続で三笘をスタメンから外し、代わりに若いコートジボワール代表FWのシモン・アディングラを先発させていた。

 そんなチーム内ライバルの存在も、三笘が爆発した要因の1つだろう。

 次戦の相手は今季不振とはいえ、超ビッグクラブの名門マンチェスター・U。それもオールドトラフォードでのアウェー戦。クラブのスタジアムとしては約7万5000人というイングランド一の観客収容数を誇る“夢の劇場”だ。しかも直近の2試合でマンチェスター・Uは、首位リバプールとのアウェー戦を2-2のドローに持ち込むと、続くサウサンプトン戦では先制されながらも3-1で逆転勝利を飾り、復調の兆しを見せていた。

 さらにブライトン戦の2日前に、クラブのレジェンドであるデニス・ロー氏が84歳で逝去していた。1964年にスコットランド人初、そして現在も唯一であるバロンドールを受賞。ジョージ・ベスト、そしてボビー・チャールトンとともに1960年代のマンチェスター・U黄金時代を築いた名選手だった。

 キックオフ直前に素晴らしい追悼セレモニーが行われた。聞いていて胸が熱くなるようなロー氏の偉業を讃える詩が朗読されて、同じスコットランド人の御大アレックス・ファーガソン元監督がピッチに花束を捧げると、それを合図として両軍のサポーター、選手、指導陣、スタッフ、ジャーナリストと、スタジアムにいる全員がこの名門クラブの華だったロー氏の人生を祝福する拍手を1分間送り続けた。

 こうして否が応でもスタンドが1つにまとまり、伝説の選手へのはなむけにホームチームが勝利を贈ろうとする雰囲気が場内に充満した。

 ところがキックオフのわずか5分後に、三笘がそんなマンチェスター・Uの追悼ムードを吹っ飛ばした。

 ブライトンのボランチ、カルロス・バレバが左足で素晴らしいロングボールを蹴った。その先に三笘がいた。マンチェスター・Uの右ウイングバック、ヌゼア・マズラウィの意表を突き、最終ラインの裏にトップスピードで抜け出したのだ。

 そしてこれ以上ない見事なファーストタッチでボールをコントロールし、そのままペナルティエリア内に鋭く侵入した。マンチェスター・UのGKアンドレ・オナナと1対1。身体能力に優れたカメルーン代表GKがポジションをスライドさせて三笘の正面に立ちふさがった。三笘はその瞬間、ガラ空きになったファーにヤンクバ・ミンテが走り込むのを横目で確認すると、1対1の状況にもかかわらず、あっさりと20歳ガンビア代表FWの足元へ横パスを送った。ミンテはただそのボールを至近距離から無人のゴールに流し込むだけでよかった。

 三笘はこのシーンを振り返って、「そうですね。あそこでシュートとパスの選択肢を作れたんで、勝負ありだったと思います」と話した。つまり、バレバのロングボールを素晴らしいタッチでトラップした瞬間、「勝負ありだった(=ゴールはもらった)」と語ったのだ。

 1対1で自身にとって絶好のゴールチャンスだった。本人に尋ねたら、やはり自らシュートにいくことも考えたという。しかし「まあ、(ミンテが)完全にフリーだったんで。こっちのほうが確率は高いと思いました」と話して、自らのゴールよりアシストを選び、何よりもチームの先制点を優先したことを明かした。

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著者プロフィール

1962年3月24日福岡県生まれ。1993年に英国人女性と結婚して英国に移住し、1998年からサッカーの取材を開始。2001年、日本代表FW西澤明訓がボルトンに移籍したことを契機にプレミアリーグの取材を始め、2024-25で24シーズン目。サッカーの母国イングランドの「フットボール」の興奮と情熱を在住歴トータル29年の現地感覚で伝える。大のビートルズ・ファンで、1960・70年代の英国ロックにも詳しい。

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