陸上選手・榎本樹羅の「競技生活での思い出」。絶体絶命、“絶望”の過酷スケジュールとは?
陸上競技チーム『アストライア明石AC』所属の陸上競技選手、榎本樹羅です。
前回は、陸上競技を始めたきっかけと、これまでの陸上競技生活での思い出をお届けしました。今回は思い出のラスト、近畿大会や全中(全日本中学校陸上競技選手権大会)でのエピソードです。
中学最後の年に近畿大会・全中出場への挑戦
中学1年時のジュニアオリンピック出場を逃した以来、ケガもあり近畿大会や全中から遠ざかっていました。負けず嫌いな私は「絶対に中学最後の年に近畿大会も全中も出る」という気持ちを持ち続けました。
シーズンに入るとケガをすることなく順調に自己ベストを更新し、ライバルたちとも互角に戦えるように。全中に出場するためには、通信大会もしくは県総体の2試合で標準記録を突破することが条件でした。
【MELOS】
出場資格の対象大会で風に嫌われる
きっと日頃の行いが悪かったのでしょう。県総体で標準記録を突破するしかありませんでした。
※追い風参考……追い風が2メートルを超えるコンディションの下で競技が行なわれた場合の記録は参考記録となり、正式な記録とは認められない。
兵庫県総体では100mと走幅跳に出場しました。あ、そういえば「なぜ通信大会で走幅跳に出場しなかったのか」気になりますよね? それは、100mの標準記録が12秒53であるのに対して自己ベストは12秒62。それに対し走幅跳は標準記録が5m45であるのに対して自己ベストは5m15でした。
これを考えると、圧倒的に100mの方が近畿総体や全中に出場できる可能性が高かったのです。
1日で3本走って6本跳ぶ超過密スケジュール
しかし通信大会で突破できなかった以上、兵庫県総体の1日で100mを3本走り、走幅跳を6本跳ぶという過酷な日程のなかで記録を出さないといけない絶体絶命の危機でした……。
さらに私を襲ったのは、競技時間です。
走幅跳の日程(上)と100mの日程(下) 【MELOS】
もう何と言いますか……「絶望」の一言なんですよね。これは今見ても恐ろしい競技日程だと思います。
で、どうなったか気になりますよね?
走幅跳の試技の合間に100mを走る
悔しさや嬉しさ、色々な思いがありましたが、余韻に浸る暇はありませんでした。なぜなら、走幅跳の決勝途中に100m決勝に出場したのですから。
そうです、100mを走り終わってすぐに、休む暇もなく走幅跳の5本目が待ち受けていました。出場選手全員の試技が終わるまでに戻れなかった場合は跳ぶ資格が1回パスになってしまいます。そのため休む暇もなく、気付いたらピットに立っているという状況。
前述のとおり、標準記録の5m45に対して自己ベストは5m15と大きな開きが。
自己ベストを大きく上回る大ジャンプ
その時のことを今でも鮮明に覚えています。
風が公認か参照かを聞くまでの時間は長く感じましたが、「榎本さん、5m58。全国標準記録突破です。おめでとうございます!」のアナウンスを聞いた瞬間、張り詰めた糸が切れたようにじわじわと実感が。そして恩師と熱いハグを交わしました。
兵庫県総体の走幅跳で優勝した樹羅さん 【MELOS】
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