【時代が動いた!『G1』ファイナル両国伝説!!(後編)】12年、初出場&初優勝、史上最年少V(24歳9カ月)達成!“新たな息吹”をもたらしたレインメーカー! 16年、長い歴史の中で“史上初”の外国人レスラー優勝をはたした男、ケニー・オメガ!【G134】

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【新日本プロレスリング株式会社】

“真夏の最強決定戦”『G1 CLIMAX 34』が大詰めを迎える中、優勝決定戦を行う両国国技館は数々の伝説、熱狂を生んできた。今回は時代を突き動かした新日本プロレスの分岐点となった名勝負を“5選”、その背景とともに紹介していく(後編)。

テキスト/鈴木佑
新日本プロレスが誇る毎年恒例の人気シリーズ『G1 CLIMAX』。“真夏の最強戦士決定戦”として広く知られる『G1』は、1991年の初開催からこれまで34年の長きにわたり、日本プロレス界の歴史に残る幾多の激闘が繰り広げられ、プロレスファンに夢と感動を与えてきた。

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今年は、8月15日 (木)幕張メッセ 国際展示場9ホールから始まる G1 CLIMAX 34優勝決定トーナメント(ファーストステージ)、そして8月17日(土)両国国技館( セミファイナル)、8月18日(日)両国国技館(ファイナル)と新たなシステムが取り入れられた。はたして優勝決定戦のリングに立ち、時代に選ばれる男はいったい誰なのか--?

今回も“時代の分岐点”をテーマに、とくに印象的な過去の優勝決定戦(決勝戦)にいくつかスポットを当てたい。

■2012年、初出場&初優勝、史上最年少V(24歳9カ月)達成! “新たな息吹”をもたらしたレインメーカー! 

2012年8月12日(日)東京・両国国技館
『G1 CLIMAX 22』優勝決定戦
○オカダ・カズチカ(23分19秒 レインメーカー→片エビ固め)カール・アンダーソン× 



2010年代から今年1月の退団まで、新日本プロレスを最前線で牽引してきたオカダ・カズチカ。IWGPヘビーの歴代最多防衛記録をはじめ、数々の金字塔を打ち立てたオカダは、『G1』は4度の優勝を飾り、“元祖・夏男”蝶野正洋に次ぐ歴代2位の成績を残している。

オカダの現時点での『G1』出場回数は12回で、単純に3回に1度は優勝していた計算となり、あらためてレベルの違う存在だったことが伺いしれる。

そんなオカダが初めて『G1』を制したのが2012年。この年の1.4東京ドームで“レインメーカー”として凱旋帰国を果たしたオカダは、同大会で当時のIWGPヘビーの最多防衛記録を樹立した棚橋弘至に宣戦布告。そして2月に逸材を撃破し、ワンチャンスで衝撃のIWGPヘビー初戴冠を成し遂げた。

その後、6月に棚橋の王座奪還を許すも、凱旋以降のシングルでの敗戦はそれが唯一という状態で、オカダは『G1』に初出場。自ずとオカダ絡みのカードは大きな注目を集めた。

この年の『G1』(第22回大会)は18人が2ブロック制で実施。Bブロックにエントリーしたオカダは同じCHAOSの中邑真輔に惜敗したほか、IWGPヘビーの防衛ロードで勝利していた内藤哲也と後藤洋央紀のリベンジを許すが、この3敗を堅守し単独首位で優勝決定戦の舞台に。

対抗のAブロックでは、この年4月にジャイアント・バーナードとの“バッドインテンションズ”を、バーナードの退団により実質的に解散したカール・アンダーソンが、シングルプレイヤーとしての実力を開花。最終公式戦で棚橋を沈め、思わぬ伏兵がファイナルへとコマを進めた。外国人レスラーが優勝決定戦に進出するのは、92年の第2回大会のリック・ルード以来、20年ぶりの快挙だった。

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迎えた両国国技館の最終決戦で、アンダーソンはバリエーション豊富なガンスタンでオカダにダメージを蓄積させ、勝負どころで盟友バーナードのバーナードライバーを炸裂。しかし、オカダは芸術的なドロップキックで流れを変えると、最後はツームストンパイルドライバーからの渾身のレインメーカーでアンダーソンを撃沈。初出場初優勝、さらに史上最年少V(24歳9カ月)を達成した。

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優勝セレモニーでオカダはマイクを握ると、「とくにありません……と言いたいところだけどな、オマエら本物のレベルっていうのがわかったか! いいか、このオレがプロレス界の中心になって、まだまだカネの雨をふらせてやるからな!」と、堂々のアピール。若きレインメーカーが『G1』の歴史に、新たな息吹をもたらした。

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ちなみに『G1』優勝者が、翌年1月の東京ドーム大会で最高峰のIWGP王座に挑戦する権利証が誕生したのは、この2012年から。オカダのマネージャーだった外道が「レインメーカーにふさわしい場所」として東京ドームのメインイベントを要求したのが、きっかけとなった。

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また、このときはブシロード体制初となる『G1』でもあり、山手線の車体広告や駅貼りポスターなど、大々的なプロモーションでも話題を呼んだ。さまざまな点で2012年は、『G1』の歴史においてエポックメイキングな年といえるだろう。

■2016年、長い歴史で“史上初”、唯一の外国人レスラー優勝をはたした男、ケニー・オメガ!

2016年8月14日(日)東京・両国国技館
『G1 CLIMAX 26』優勝決定戦
〇ケニー・オメガ(26分49秒 片翼の天使→エビ固め)後藤洋央紀×


ブシロード体制以降、順調に業績を伸ばしてきた新日本プロレスにとって、2016年は衝撃続きの年となった。

まず1.4東京ドームのあと、当時のBULLET CLUBの中心的存在だったAJスタイルズが新日本マットを去った。それから日を置かず、なんとIWGPインターコンチネンタル王者の中邑真輔もベルトを返上し、退団を発表。その後もカール・アンダーソンやドク・ギャローズなど名だたる選手たちの離脱が続き、深い影を落とした。

だが、過去の歴史が証明するとおり、誰かが抜ければ新たな選手が台頭するのが新日本マット。3月の『NEW JAPAN CUP』で初優勝を飾った内藤哲也は、その勢いを駆って4月にオカダ・カズチカを打ち破り、念願のIWGPヘビー初戴冠を達成。

その内藤に負けじと大きく躍進したのが、AJのあとにBULLET CLUBを牽引する立場となったケニー・オメガだった。ケニーは1月にヘビー転向を果たすと、2月には中邑が返上したIWGPインターコンチの新王者決定戦で棚橋に勝利。6月にマイケル・エルガンに同王座を奪われるも、この年の『G1』(第26回大会)に堂々の初エントリーを果たした。

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Bブロック出場のケニーは戦前から注目こそ集めたものの、初めての『G1』、さらにまだヘビーに転向し日が浅いこともあり、優勝候補に挙げる声は多くはなかった。しかし、抜群の身体能力を持つケニーは、躍動感あふれるファイトを武器に怒濤の快進撃。

両国3連戦2日目の最終公式戦では、内藤との注目の初シングルを制し、優勝決定戦進出を決めた。一方のAブロックからは、この年の3月に心機一転、CHAOSに電撃加入した後藤が、自身が初出場・初優勝を成し遂げた08年以来、8年ぶりのファイナリストに。

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そして『G1』千秋楽の最終決戦で、ケニーは破天荒な技の数々で攻め立てるが、後藤も雪崩式牛殺しや昇天・改で反撃し徹底抗戦。そして“混沌の荒武者”は勝負を懸けたGTRを狙うも、これを切り抜けたケニーはBULLET CLUB創始者プリンス・デヴィットのブラディサンデーを炸裂。

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さらにAJのスタイルズクラッシュから片翼の天使とたたみかけ、“BULLETコンボ”で粘る後藤を撃破。四半世紀にわたる『G1』の歴史の中で、初の外国人優勝を成し遂げた。

優勝セレモニーでケニーは偉業を称える大観衆に向けて、BULLET CLUB加入後は封印していた日本語で「新日本はオレのホーム。だから“ソッチ”には行かない」と宣言。そしてバックステージでは「BULLET CLUBのおかげで優勝できた。これはBULLET CLUBの勝利だ」と、ユニットへの熱い思いを語った。
今年で34回を数える『G1』。長い歴史の中で、外国人レスラーが優勝したのはただ一人、このときのケニーのみ。次なる外国人覇者が生まれたとき、『G1』は新たな時代へと突入することだろう。
(了)
■『ヤマダインフラテクノス Presents G1 CLIMAX 34』

8月15日(木) 17:00開場 18:00開始
千葉・幕張メッセ 国際展示場9ホール
※「ロイヤルシート(最前列)」は完売となりました。

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8月17日(土) 15:30開場 17:00開始
東京・両国国技館
※「砂かぶり席(最前列)」「砂かぶり席(2-4列)」「レディースシート」「マス席4人用」「ボックス席4人用」「ボックス席5人用」は完売となりました。
※「マス席」「2階指定席A」は残りわずかとなりました。

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8月18日(日) 13:30開場 15:00開始
東京・両国国技館
※「砂かぶり席(最前列)」「砂かぶり席(2-4列)」「2階指定席A」「マス席4人用」「ボックス席4人用」「ボックス席5人用」は完売となりました。
※「マス席A」「マス席B」は残りわずかとなりました。

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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