大谷翔平を信じてWBCに送り出したエンゼルス 日本では「打撃練習」から大騒ぎに
日本における社会現象
大谷が2017年に日本ハムファイターズでの最終戦に出場して以来、日本のファンが彼を見る機会はアメリカからのテレビ中継に限られており──それも時差の問題で都合がいい時間帯ではなく──あとは太平洋を渡って直接見にいくしかなかった。
「ものすごい盛り上がりだよ」
大谷が日本の地で再びプレーすることについて、「スポーツニッポン」のMLB担当記者、柳原直之は語った。
「WBCのグッズを買うために、夜明け前の3時とか4時から何百人もの人が店の前で行列をつくっている」
日本のファンが大谷の帰還を喜んでいるのと同じように、大谷もまた、自身が日本でプレーできることに喜びを隠さなかった。
メジャーに渡ってから、大谷は球場で打撃練習をすることがほとんどなく、いつも室内のバッティングケージで練習していた。ファンなら誰でも、彼が打撃練習でどこまで遠くへ飛ばせるのかを見たいものだが、大谷は自ら、スポットライトが当たらない場所でテクニックの微調整を続けることを選んだ。
だが、日本ラウンドのWBCでの大谷は、球場で打撃練習をした。
「日本のファンに自分の力を見せたかったのだろうね」
そう語るのは「フルカウント」の記者、小谷真弥だ。
「イチローの姿を見ながら成長してきて、何かをお返ししたい気持ちになったんじゃないかな」
ホセ・モタは、大谷がメジャー入りを果たしたときにエンゼルスのテレビ放送チームの一員であり、今回は日本ラウンドの中継のために、MLBネットワーク放送の一員として来日した。
「どんな感じなのだろうと想像は膨らませていたけど、これほどの大騒ぎになっているとは思ってもいなかったよ」
そうモタは語った。
「たった1人の選手が、国中に衝撃を与えているんだよ。地方で開催された練習試合でも、聞こえるのは“大谷がこれをした、大谷があれもやった”ばかりだった。東京での期待感は、“大谷が来る、やっとここに来る”ばかりだった」
モタがもう一つ驚いたのは、大谷がいかに日本の人々にとって接触しやすい存在であるかという点である。アメリカにおいて、大谷はずっと孤高の存在だった。
大谷が一度ニューヨークに行ったとき、ある報道陣が「マンハッタンでいちばんお気に入りのレストランはどこか」と聞いたのだが、大谷の返答は、
「ホテルから外出したことがありません」
というものだった。日本において、WBCの開催中、大谷はしばしばファンの輪の中にいた、モタの言葉を借りれば、「大谷は隠れていなかった」ということになる。
「大谷がホテルにいた。大谷がロビーにいた、エレベーターで会った、とファンが言っていた。誰からも身を隠そうとしていなかったんだ。今やショウヘイは全世界に知られた野球の顔だよ。もうそれ以外に表現のしようがない。なのに、日本では、たんなる野球選手の1人なんだ。それだけだよ。日本人の1人なんだ。日本でのショウヘイはそんな感じだったな」
参加国は20カ国だったが、日本は5チームが入ったプールBに加わり、東京ドームで中国、オーストラリア、韓国、チェコと対戦することになった。
日本が次のラウンドに進むためには、このプールで2位までに入る必要があった。このなかでは、まともなプロリーグがない中国とチェコが格下と見なされていて、韓国とオーストラリアでさえ、日本よりは弱い存在だというのが一般的な見立てだった。
大谷は大会の初戦、中国戦で日本代表の先発投手として登板した。
満員となった東京ドームの観衆が大谷に声援を送ったが、初球を投じる直前には無言となり、投球後に再び大歓声が沸き起こった。
「あのスタジアムの静寂、満員の球場での静けさには、鳥肌が立ちましたね」
大谷はそう振り返った。モタもその瞬間をこう話す。
「何か不思議な感覚だったね。放送関係者としては、球場全体があれほど無言を貫いているなかで実況解説を喋り続けるのは、場の雰囲気を邪魔しているようで気まずい思いだった」
日本代表で大谷のチームメイトだった選手たちでさえ、今までテレビで見ていた選手が同じ球場にいることに感慨深かったという。
「今まで僕たちは、彼がプレーする姿を生で見たことがなくて、だから、最初の1球を投げるときは感動しましたね」
二塁手の牧秀吾は、興奮しながらそう振り返った。
結局、大谷は4回無失点に抑え、中国に8-1で勝った。
書籍紹介
【写真提供:徳間書店】
二刀流・大谷翔平のMLBの2022年シーズンから始まり、2023年シーズンとWBC優勝、そして新天地移籍までの舞台裏を追ったノンフィクション。
アーロン・ジャッジ、マイク・トラウトといった、強力なライバル&盟友らの背景や生い立ちなど、アメリカのベテラン記者ならではの視点で描かれた「大谷本」の決定版!!