井口資仁『井口ビジョン』

“王道”ではないホークスに入団した井口 王監督から学んだプロとしての在り方とは

井口資仁
 高校では甲子園出場、大学では三冠王と本塁打新記録。

 プロ野球では日本一、メジャーリーグでは世界一を経験し、ロッテ監督時代は佐々木朗希らを育てた。

 輝かしい経歴の裏には、確固たる信念、明確なビジョンがあった。ユニフォームを脱いで初の著書で赤裸々に綴る。

 井口資仁著『井口ビジョン』から、一部抜粋して公開します。

自分たちで何かを創り出す魅力

【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

「プロ野球選手になる」

 1996年のアトランタオリンピックで銀メダルを獲った僕は、その年の11月21日、今度はプロ野球選手になるという目標を達成しました。ドラフト会議でダイエーに1位指名されたのです。

 当時はいわゆる逆指名制度があった時代。幼い頃に応援していた中日、東京に拠点を置く巨人など多くの球団から熱心な誘いを受けましたが、最終的に僕が選んだのはダイエーでした。

 この年のダイエーはリーグ6位の成績で、南海ホークス時代の1978年から19年連続Bクラスと、弱いチームの代表のようでした。しかし、1994年に西武から秋山幸二さんがトレードにより加入すると、同年オフには王貞治さんが監督に就任。その直後、今度は西武から工藤公康さんがFA移籍するなど、万年Bクラスからの脱却を目指す動きが本格化し始めていました。もしかしたら、僕は何か大きなことが起こる予兆を感じていたのかもしれません。

 振り返ってみると、高校や大学の進路を決める時も、いわゆる“王道”は選ばなかったように思います。甲子園常連校の特待生よりも國學院大學久我山高校、東京六大学野球リーグの伝統校や東都大学リーグの有名校よりも青山学院大学、そしてプロでは圧倒的な人気のセ・リーグではなくパ・リーグ、しかも下位を争うダイエーを、自分の意思で選択したのです。

 数ある選択肢の中で、なぜ王道をとらなかったのか。こればかりは自分の“第六感”が働いたとしか言いようがありません。お膳立てされたレールに乗るだけではつまらないし、自分たちで未来を切り拓き、作り上げる楽しさは刺激的でもある。平たく言えば、単に目立ちたかっただけなのかもしれません。ただ、自分たち次第で何か面白いことを成し遂げられるかもしれない、そんな環境に大きな魅力を感じていたことは確かです。

「優勝」に並んで掲げた三つの目標

 この「負け体質」を打破しにやってきたのが、「勝者のメンタリティ」を持つ王監督であり、秋山さん、工藤さんであり、日本ハムファイターズからトレード加入した武田一浩さんら外部から加わった新たな“声”でした。

 ベテラン南海組と外部からの新加入組の間には、勝利を追い求める熱量に大きな温度差がありました。でも、それ以上に大きな違いを感じたのは、負けた時の受け止め方です。新加入組は勝利に基準を置いているので、負ける悔しさを知っている。一方の南海組は負けることに慣れてしまい、悔しさはゼロ。チームの勝利よりも自分があと何年ユニホームを着られるか、それしか考えていないようでした。ベテランがこの調子では若手のやる気も削がれてしまいます。

 選手の意識を変えるため、王監督は就任と同時にコーチ陣を刷新しました。本気で優勝を目指す集団を作り上げようと、選手と近く接するコーチも外部から招聘。監督自ら若手選手たちに積極的に声を掛け、負ける悔しさとプロの心構えを教えてくれました。

 現役時代を巨人で過ごし、通算868本塁打を記録した“世界のホームラン王”です。監督としても巨人を率い、常にスポットライトを浴びながらファンの期待に応えてきただけに、プロとしての在り方について確固たるビジョンを示してくれました。


「当たり前のように毎日試合をしているけれど、この試合、この1球は二度とない。選手だって人間だ。体調が優れない日や気持ちが乗らない日があるかもしれない。でも、今日しか球場に来られないファンもいるし、はるばる遠方から楽しみに来てくれたファンもいる。そういうファンのためにも、我々は毎日ベストパフォーマンスを見せられるよう全力を尽くそうじゃないか」

 常勝軍団と呼ばれるようになるまで、ミーティングで繰り返し聞いた言葉です。スーパースターとして「ファンが自分を見に来てくれている」という自覚を持ち、期待と真摯に向き合ってきた王監督の教えは、今でも僕の指針になっています。

 圧倒的な実績を持つ雲の上の存在で、時には試合中に烈火の如く怒る厳しい姿も見せていた王監督ですが、いったん試合が終われば下町育ちの気さくな一面がのぞきます。監督専用の風呂場は使わずに選手と同じ大浴場にやってきて、ベテラン・若手の区別なく、ざっくばらんな会話を楽しんでいたのです。

 入団後しばらく、僕は思うような打撃ができず、頭を悩ませていました。そんなある日、風呂場にいると王監督が声を掛けてくださいました。あの王監督でも入団当初はプロの球が打てず“三振王”と呼ばれていたこと、悔しくてたまらずにタイミングのとり方を変えたら状態が上向いたことなど、僕のヒントになるように若き日の苦労話を聞かせてくれました。

 この時、教えてくれたのは「そもそも打席での勝負は、ボールを投げる投手が先手。ただ、打者は受け身だからといって後手に回ってはいけない。逆に打者は投手の間合いを飲み込んでしまえ」ということ。具体的には、投手がモーションに入ろうと足を上げるタイミングで、打者も足を上げ、いつでもバットを振れる状態を作っておくようにという助言でした。実際にこの方法を試してみると、それ以前より格段にタイミングが合うようになってきたのです。

書籍紹介

【写真提供:KADOKAWA】

 高校では甲子園出場、大学では三冠王と本塁打新記録。

 プロ野球では日本一、メジャーリーグでは世界一を経験し、ロッテ監督時代は佐々木朗希らを育てた。

 輝かしい経歴の裏には、確固たる信念、明確なビジョンがあった。ユニフォームを脱いで初の著書で赤裸々に綴る。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント