「第一線でやる選手としては失格」 内海哲也が引退を決意した瞬間とは
【写真は共同】
6度のリーグ優勝、2度の日本一、09年のWBCでは世界一も経験するなど順調すぎるキャリアを重ねたが、まさかの人的補償で西武へ移籍。失意の中、ある先輩から掛けられた言葉が内海を奮い立たせていた。内海は何を想い、マウンドに挑み続けたのか。今初めて明かされる。内海哲也著『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』から、一部抜粋して公開します。
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最後まで続けたアーリーワーク
シーズンが始まる前にはそう想像していたのですが、蓋を開けてみれば、例年とまったく同じでした(笑)。グラウンドに立つと、やっぱり“選手”の気持ちが先に出る。調子自体が良かったこともあったと思います。
でも、「今年もピッチャーとしてやっていけそうだから、来年も続けたい」とはならなかったです。年々球の質は落ちていますし、何より昔みたいに「打てるものなら打ってみろ」という気持ちでバッターに向かえなくなっていました。
少し甘くなったら打たれるなとか、もっと厳しいところに投げないといけないなとか、気持ちがマイナスの方向に行ってしまうのです。昔の僕は「打てるものなら打ってみろ」と真ん中でもいいから思い切り投げることもありましたが、マイナスに考えるとボール、ボールと外れていく。そうした気持ちが年々重なっていき、マウンドでの緊張も増すようになりました。
ピッチャーは本当に、心と体がリンクしているものです。落ち着いているときにはいい結果になることが多かったのに対し、メンタル的に不安定なときは打たれました。だからこそ、「気持ち」が大事になるわけです。
2022年シーズンの僕は、二軍で結果を残さなければいけない立場でした。ファームのマウンドで好投できなければ、一軍で投げるチャンスは巡ってきません。
ファームにいるのは僕と同じような立場の選手たちで、これから上がって行こうという活きのいい打者と対戦すると、若い力に押される感覚を覚えました。マウンドで向き合っている自分は、「打たれたら上から呼ばれないだろうな」とマイナスに考えてしまっている。ベテランになって現役生活を続ける難しさを感じる部分が多々ありました。
そんな中で、選手として最後まで貫けたことがあります。球場に誰より早く行き、アーリーワークをすることです。
アーリーワークを始めたきっかけは、ジャイアンツ時代に一軍で出始めて2、3年した頃、東京ドームで行われた横浜戦で目にした光景でした。夜6時開始のナイターの場合、チームの全体練習は2時半から始まります。間に合うようにグラウンドに出て行こうとした際、スタンドにパッと目をやると、相手チームの三浦大輔さんがひとりで走っている姿がありました。
「あれ、俺らの練習の前から、こんなに早く来て走ってんねや」
三浦さんは中学生時代に神宮球場で試合を見たときに先発していて、めちゃくちゃカッコいいなと憧れているピッチャーでした。その人がひとりで早く来て、黙々と練習しているのです。
何をやっているのだろうかと周囲に聞いたとき、「アーリーワーク」という言葉を初めて知りました。全体練習前に早く来て、ケガの予防や自分を強化するための練習やトレーニングを行うアーリーワークというものがあると聞き、これは取り入れないとダメだと思いました。
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