4.8有明「日本人初のウェルター級世界王者に輝く男」 21歳の佐々木尽、今までにない海外戦略で八王子から世界へ

船橋真二郎

“攻防同態”の真髄を体現する「最高の素材」

中屋廣隆チーフトレーナー(左)は、30年超の指導歴で佐々木を「最高の素材」と評価する(1月14日) 【写真:船橋真二郎】

 “攻防同態”。趣のある木片に墨書きされた達筆な格言がジムのリングを見守っている。書家としても活動するマッチメーカーで、ボクシング解説者としてもおなじみのジョー小泉さんの筆による中屋トレーナーの造語には、自身の考察に基づくボクシングの真髄が込められている。

 これまで10人の日本、東洋太平洋、アジアチャンピオンに携わり、世界に挑んできた名伯楽が「最高の素材」と評価する佐々木の体にも染みついている。

 曰く、字義通りに攻撃も防御も同じフォームということ。実際に動いてみると分かりやすい。パンチを打つ手を上げればブロックになり、上体を動かせばボディワークになる。攻防の根幹をなすフォームをしっかりつくり上げることが、八王子中屋ジムの大切な基礎になる。

 佐々木には意志と信じる力があり、強くなることに素直だった。中屋トレーナーには忘れられない光景がある。

 中学1年生のときに入会したものの、柔道とのかけもちで練習は週2、3回程度だった15歳の少年がジムに来て、まっすぐな目できっぱりと言った。

「これからはボクシング一本でやります。世界チャンピオンになります」

 地元八王子の高校に合格した、その日のことだった。「やると決めてからは、ほんとに真面目に人一倍、必死で練習した」(中屋トレーナー)。学校は4年制の定時制昼間部を選んだ。午前中はトレーニング、午後の授業を終え、夕方からジムワークという日々に邁進し、自分の人生の中心にボクシングを据えるためだった。

 基礎となるフォームをつくり上げることは、型にはめることとは違う。彫刻家の顔も持つ中屋トレーナーは彫刻になぞらえた。「石を削って、削って、最後に残ったものが、その石の魂であり、本質」。磨きに磨き抜いたフォームの上にこそ、ボクサーの真の個性は輝く。アドレナリンを放出しようと、冷静に戦おうと、体に染みついた“攻防同態”の真髄とともに佐々木はある。

 30年以上に及ぶ指導歴で、まだ果たしていないのが世界王者の育成。今年で69歳になる中屋トレーナーは「尽で最後(の大きな仕事)になるかもしれない」と最高の素材に磨きをかける。ケガもあってミットは三男の中屋廣介トレーナーに任せ、傍らで見守り、助言を送る。

一緒に夢を見てもらいたい

中屋廣隆トレーナーと“攻防同態”の格言が見守る中、中屋廣介トレーナーのミットにパンチを打ち込む佐々木 【写真:船橋真二郎】

 佐々木に海外への道筋をつけるのは、語学留学でニューヨークに5年在住し、また2年かけて50ヵ国を巡り、各地のボクシングジム、試合を見て回った経歴もある中屋会長が担う。かつてもライト級の荒川仁人、スーパーウェルター級のチャールズ・ベラミーを北中米のリングで勝負させるなど、海外戦略はジムの基本路線だが、今までにない海外進出の形を考えているという。

「例えば、井上尚弥選手のように世界チャンピオンになってから海外のプロモーターと契約するのではなく、向こうのプロモートのもと、海外で世界チャンピオンに育ててもらう。Aサイドの選手として、一緒に育てたいと思ってもらう。まだ若く、伸びしろのある尽には、その可能性があると考えています」

 昨秋には、初のラスベガス合宿でウェルター級の世界ランカーの力を体感し、「思っていたよりやれた」(佐々木)と手応えをつかんできた。ここからは試合の合間にアメリカでスパーリングを重ね、海外基準の中で揉まれ、実力を養いながら、23歳になる頃には思い描くような海外進出を実現させたい、というのが中屋会長の青写真になる。

 相手を豪快にぶっ倒してきた試合映像は、海外のプロモーターへのアピールにもなる。ちなみに新人時代の佐々木にリングを自由に躍動させていたのは、その戦略の一環でもあったというのだから恐れ入るばかりだ。

「誰だって、ボクサーになれる!」が八王子中屋ジムの掲げてきたスローガン。アマチュア何冠、何十戦という実績を持つトップ選手が主流になる中、ジム歴代の王者は1人目の田中光輝以外、本格的なアマチュア経験がない叩き上げばかり。八王子在住のアメリカ人で、フィットネス会員からスタートしたチャールズ・ベラミー以来、9年ぶりにメジャータイトルをジムにもたらした佐々木もそうだった。

 小学校低学年の頃は「結構、太ってて、運動神経は悪いし、足も速くないし、力が強いわけでもなかった」という。佐々木が「変身した」のは、父親に勧められ、小学5年生のときに柔道を始めてから。厳しい稽古に心と体を鍛えられ、体の大きな大人との「最初はめっちゃ怖かった」という乱取りを何度も何度も繰り返すことで、相手に立ち向かっていく闘争心が培われた。

 固い決意で人生を託したボクシングも最初からうまくいったわけではない。高校1年生で出場したアマチュアの公式試合では1勝3敗と振るわなかった。

「俺の人生ないじゃんって。それぐらい本気だったんで、ショックがデカすぎましたけど。でも、絶対に世界チャンピオンになるって決めたから、諦めるっていうのは自分の中にはなかったですね。とにかく練習して、練習しまくって、ちょっとずつ強くなっていった感じです」

 そんな何者でもなかった若者が八王子から世界へ羽ばたいていく、それも中量級という海外が中心の階級に挑んでいく過程、そのストーリーを見てほしいと中屋会長は言う。

「夢があると思いますし、一緒に夢を見てもらいたいですね。僕らは夢を現実に近づけていくので」

 まずは4月8日。佐々木は小原佳太という国内最難関を突破できるか。注目である。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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