高津臣吾「明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと」

令和初の三冠王・村上宗隆と2021年ブレイク奥川恭伸に、高津監督が求めたもの

高津臣吾

「将来のエース」奥川恭伸の育成プラン

 若手選手と接する際に心がけていることがある。

 それは、何としてでも「経験」を積む機会を数多く提供することである。モチベーションを高めること、成長させること、そのために一番必要なのはやはり「経験」だと思う。

 プロ野球の世界というのは「勝敗」が大きなウエイトを占めているので、実力もないのにその舞台に立たせるわけにはいかない。けれども、実力だけを評価基準にしていると、いつまで経っても若手の出場機会はなかなか増えない。

 理想を言えば、結果を度外視してでもどんどん試合に出して、勝つ喜びを知り、負ける悔しさを知ることで、選手たちは一気に成長する。しかし、そういうわけにもいかない。結果を求めつつ、若い人にチャンスを与えるというのは、とても難しいことなのだと、1軍監督になって痛感している。

 先述したように2軍監督時代には「育てるためなら負けてもいい」と考えていた。

 それは当然、1軍監督にはあり得ない考え方である。けれども、僕はそれを承知の上で、1軍の舞台でも長期的な育成を何とか実現させられないかと試行錯誤している。

 あくまでも「勝利」にこだわりながら、その一方で、3年後、5年後も見据えていきたい。さまざまな試合展開や状況の中で、期待の若手を使う機会を見つけて、積極的に起用しながら何かをつかんでほしい。常にそんな思いでいる。

 コロナ禍に揺れた2020年シーズン、スワローズはなかなか勝てなかった。だからこそ、ペナントレース終盤には若手選手の積極的な起用を心がけた。もちろん、翌年以降を見据えてのことだった。

 若い選手にとって、「経験」というのは本当に貴重なものだ。たとえ1打席でも、たとえ1イニングでも、1軍の試合で経験を積むことは、2軍で何試合に出場するよりもずっと多くのことを学べる。

 村上がプロ2年目にあれほどの活躍を見せたことは、その前年の1年目の終盤に1軍経験を積んだことが大きく影響しているからだ。もしも、ルーキーイヤーの2018年終盤に1軍経験がなかったら、村上の2年目の活躍はもっと遅れたかもしれない。お客さんでいっぱいの1軍の球場、1軍投手のスピード、変化球のキレ、ベンチやロッカーの雰囲気、そういうものを経験しているかいないか、慣れているかどうかで、結果は大きく変わっていたことだろう。

 1軍監督初年度となった2020年も同様の意図を持って起用した選手がいる。

 奥川恭伸である。

 2019年夏の甲子園で大活躍し、「準優勝投手」の肩書きを引っ提げて、この年のドラフト1位でスワローズ入りをした。奥川もまた村上同様に、ひと目見てその才能がわかる逸材だった。彼を大成させなければ、投手経験者として恥ずかしい。

 ケガすることなく、本来の実力をさらに伸ばしていくためにはどうすればいいのか? 奥川もまた「指定強化選手」となり、チーム全体が一丸となって考えていた。2020年ペナントレースの最終戦となる11月10日、僕はこの日をゴールデンルーキー・奥川恭伸のプロ初登板とすることを決めた。

 今だから言えるけれど、この年2月の沖縄キャンプでも、最終クールには奥川を2軍キャンプから呼び寄せるつもりだった。それは、たとえ最終クールだけでも経験させておいた方が、「来年の沖縄キャンプのためになるだろう」と考えたからだ。翌年のキャンプをゼロからスタートするよりも、たとえ「0.5」でも、「0.1」でも、一度経験しておけば「0」よりはずっと意味があると思ったからである。

 結果的に彼が故障したことで見送られることとなったが、故障さえなければ僕は奥川に1軍キャンプの雰囲気を経験させるつもりだった。

 これは奥川だけに限ったことではない。高校卒業1年目、2年目の20歳前後の若い選手に関しては、条件が整えばできるだけ1軍の試合に出場させてあげたいという思いはずっと持っている。

 まったく「0」で翌シーズンを迎えるよりも、その前年に1打席、1イニングを経験しておけば、それは来るべきシーズンに大きな意味を持つことになる。そう考えていたからだ。プロの世界というのは、2軍でたくさん練習をしても、1軍で結果が出なければどうしようもないものだ。

 これは僕自身も経験があるが、コーチが「ひじが下がっているぞ」とか「身体が開いているぞ」とアドバイスするよりも、ひょっとしたら1軍で1本ヒットを打たれたり、失点したりした方が多くのことを学ぶこともあるかもしれない。

 どんな組織においても、若手を最前線に送り込んで、「経験」を積ませることはとても大事なことだと思う。

 未熟であっても、自分の目で敵を見ること、仲間を見ること、その場の空気を味わうこと、一流の「戦い」を肌で感じることは、たとえそれがどんなに短い時間であったとしても必ず次に繋がる。

 言葉で教える以上に、本人が直に味わう感覚は重要なのだ。そういった「経験」を積ませることこそが僕らの役割であり、そして才能を開花させるための近道だと考えている。

「明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと」

【写真提供:株式会社アルファポリス】

 2021年、東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監督は前年最下位だったチームをセ・リーグ優勝、さらに20年ぶりの日本一へと導いた。若手選手が次々と台頭し、主力・ベテランが思う存分力を発揮するそのチーム力は、スワローズの新黄金時代の到来すら予感させる。全ての選手が明るく楽しく野球を楽しみ、かつ勝負にも負けない。髙津監督はこの理想のチームをどのようにつくり上げたのか――

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著者プロフィール

1968年広島県生まれ。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より東京ヤクルトスワローズ監督。

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