[連載小説]アイム・ブルー(I’m BLUE) 第28話 ラストピース
これを記念して、4年前にスポーツナビアプリ限定で配信された前作をWEB版でも全話公開いたします(毎日1話ずつ公開予定)。
木崎f伸也、初のフィクション小説。
イラストは人気サッカー漫画『GIANT KILLING』のツジトモが描き下ろし。
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オラルがフランクフルトで事故に遭ってから約2カ月――。当初の診断結果によれば肩、背骨、骨盤、大腿骨を骨折し、まだベッドから動けない状態のはずだった。だが、オラルは長い黒髪を後ろでまとめ、シャツにジャケットを羽織って車椅子に座っている。奇跡の回復力と言っていい。
どこにいるのだろう? 上原丈一は人垣の一番後ろから、画面に目を凝らした。車椅子の背後にはコンクリートの壁が見えるが、ありふれた壁で場所までは特定できない。屋外だが日が当たっておらず、病院の渡り廊下のようにも見える。「これ、生中継?」。今関が聞いてきたが、解像度が粗いため分からない。
「ミンナ、ヒサシブリダネ」
オラルの第一声は日本語だった。このドイツ人監督から日本語を聞くのは初めてかもしれない。
ここでさらなるサプライズが起こった。パーソナルアシスタントのユリア・フックスが画面内に現れ、車椅子の横に立ったのだ。なぜ昨晩までチームにいた女子大生がオラルと一緒にいる? 丈一は不思議に思った。合宿地からフランクフルトまで車で約5時間、十分に移動できる距離だが、わざわざ会いに行く理由はないはずだ。
オラルはドイツ語で話し始めた。
「おそらく画面の前で、みんな驚いているだろう。だが、私にとっては驚きではない。医者が決めた全治など、覆せると信じていたからだ。不屈のリハビリによって、車椅子で動けるまでになった。まあ、まだ背中に痛みがあるがね」
相変わらず自信に満ちている。ただ、以前とは少しだけ印象が違った。目つきが穏やかになっただろうか。とにかく単に入院生活で痩せただけではない変化を、丈一は感じた。
「ここにいるユリアから聞いたぞ。君たちは私のミーティングが長いと文句を言っていたそうだな。私は相手の裏をかくプロだ。みんなの予想を裏切って、今日は無駄な話をせず、結論から入りたいと思う」
「キツネちゃん、言っちゃだめでしょ……」
今関が頭を抱えた。どうやら不満をフックスにもらしたのは今関らしい。
「君たちが私の戦術に疑問を持っていたことも聞いた。だが、私は自分の戦術が間違っていたとは、今でも思っていない。なぜなら日本代表は、教育の場ではないからだ。確かに私は、ゾーンディフェンスの基礎ができない選手を、できるようにしたいと思った時期もあった。だが、代表の活動は時間が限られている。君たちの今の実力に合った戦術を選ぶべきだと考えた。それがマークを割り振って、責任を明確にするやり方だ」
以前であれば、監督が言い訳を始めた、と感じたかもしれない。しかし、今日は不思議と、そういうネガティブな印象を丈一は受けなかった。
「私にとって最大の正義は、W杯で日本のサポーターたちに勝利をプレゼントすることだ。その実現のためなら、使えるものは何でも使う。もし会長が私を解任しようとしていたら、メディアを使って先手を打つ。私は会長よりも、日本の勝利に執着している自信があるからだ。極論すれば、日本の勝利のためなら選手すらも犠牲にする」
オラルは目を1度閉じ、大きく息を吐いてから続けた。
「だが、私は認めなければならない。あまりにも君たちを駒として見ていたことを。個性や創造性を無視しすぎていた。そして選手に従ってもらえず、焦りを感じていたことも。焦りが焦りを呼び、力づくで言うことを聞かせようとしてしまった。最も後悔しているのは、何人かの選手に『W杯のメンバーに残りたかったら、指示に従え』と言ってしまったことだ。本当に恥ずかしいやり口だった」
丈一も言われたことがある。だが、今関が受けた仕打ちに比べたらマシだろう。今関は戦術の問題点を指摘したために、一時期、代表から外されてしまったのだ。「これってパワハラじゃね?」。今関はネタにしていたが、もし記者がこのコメントを大げさに報じていたら、騒動に発展していてもおかしくなかった。監督が人事権を使って、選手を脅していたと。オラルはついにその不条理さを認めたのである。
「いかん、話し出すと止まらなくなるな。やはりミーティングが長くなる性分らしい。画面越しではらちがあかない。直接、顔を合わせて話したいことがある。今からそちらに向かってもいいかな?」
「今から来るって、何時間かかるのよ」
みんなの疑問を今関が代弁した。最短で5時間。そもそも長距離移動にオラルの体は耐えられるのだろうか?
選手のざわめきが、画面の向こうに伝わるはずがない。オラルが目配せすると、フックスが車椅子を押し、2人は画面からフェードアウトした。
カメラがガチャリと揺れた。おそらく三脚から外されたのだろう。すぐに追いかけ、再び2人が画面に収まる。次第にピントが合い始め、画面の奥に緑色のピッチが見え始めた。見覚えのある日本語の看板がある。日本代表のスポンサーの看板だった。
最初に気づいたのは、秋山大だった。
「あの看板、ここにあるのと同じ!?」
そんなまさか。丈一がピッチの入口を見ると、車椅子の男性が金髪の女性に押されてこちらに向かってきている。
クルーガーが大きな手で太陽の光を遮り、誰かを見極めた。
「Oral ist wieder da!」(オラルが戻ってきた!)
ずっと芝生にあぐらをかいていた松森虎も、立ち上がって声を漏らした。
「オラルのオヤジ、やるな」
選手がスクリーンの前から離れ、オラルが通るスペースを作った。クルーガーが「Sie sind nicht totzukriegen!」(倒れたままのはずがないと思ってましたよ!)と叫んで抱きつくと、オラルは「wie stirb langsam?」(ダイハードみたいだろ?)と笑い返した。
オラルを中央に、向かって左にフランク・ノイマン、右にフックスが立った。初めて並んだはずなのに、妙にしっくりくる。まるでスパイ映画の3人組だ。
【(C)ツジトモ】
オラルは選手の顔を順番に見ながら言った。
「みんな、久しぶり。元気そうだな。毎日、練習の様子を映像で見させてもらっていた。病院のベッドの上で、ずっと日本代表のことを考えていたんだ。フランクのエッセンスが加わることで、どんなチームになるのだろうとワクワクしていたよ。私も負けていられないと、リハビリの強度を増した。ドクターからは、今無理をしたら一生足を動かせなくなる可能性もあると言われた。だが、私はそれでも君たちとW杯へ行きたいと思った」
オラルが右手を掲げた。藍色、水色、紺色という3つのブルーで編まれたミサンガが手首に巻かれていた。
「私の心はブルーに染まっている。みんなの青とは違うかもしれない。でももう1度、みんなの青に加わるチャンスがほしい」
オラルが監督復帰を希望している? そうだとしたら現監督のノイマンはどうなるのか? 丈一の頭にたくさんのクエスチョンマークが浮かんだ。他の選手もそうだっただろう。