近鉄を失い16年、ホーム最終戦を振り返る 「本当のラスト」はあの日ではなく…

三和直樹

延長サヨナラ勝ちで全選手での場内一周

延長11回、星野がサヨナラ打を放つと全選手がベンチを飛び出した 【写真は共同】

 最後まで近鉄らしく――。球団55年の歴史の中で数々のドラマを演じてきた“いてまえ軍団”は、この日も諦めなかった。絶対に負けられなかった。5回まで投げた高村のあと、加藤伸一が6回、小池秀郎が7回を無失点に抑えると、7回裏に近鉄が代打・川口憲史の犠牲フライで同点に追い付く。8回からは岡本晃、福盛和男とつなぎ、9回裏2死の場面ではこの年限りで現役引退となった赤堀元之が登場した。そして延長に入り、高木康成が2イニングを無失点に抑えると、迎えた11回裏の1死二塁から星野おさむがライト線を破るサヨナラタイムリー。3対2。近鉄らしく、劇的な形で本拠地最後の試合を締めくくった。

 近鉄ナインは勢いよくベンチから飛び出した。歓喜の輪がセカンドベース横で出来上がる。スタンドは総立ち。そして拍手。その後、所属する全選手がグラウンドに姿を現し、サインボールを投げ入れながら場内を一周。近鉄の球団歌が流れ、「ありがとう!」の声が飛ぶ。選手たちは目を潤ませ、ファンは涙した。それが歓喜の涙でないことは、誰もが知っていた。

本当の近鉄最終戦は…

グラウンド一周後、目を赤くはらし涙をこらえた中村紀洋(写真左) 【写真は共同】

 当時、私は関西のスポーツ新聞の編集局に所属していたが、現場で取材する立場にはいなかった。だからこそというべきか、完全にファンの目線で、この日を迎えた。小学2年で近鉄の野球帽を手に入れ、小学4年の時にテレビで見た「10・19」に魂が揺さぶられ、翌1989年の日本シリーズでは第3戦目までの新聞記事をスクラップした。以降、昼間は外でサッカーボールを蹴り、夜はAMラジオで雑音混じりの「バファローズナイター」に耳を尖(とが)らせる日々を過ごし、2001年には私がいた右斜め上のスタンドに北川の打球が着弾した。もちろん合併反対に署名。そのままの気持ちで見入った本拠地最終戦。劇的なサヨナラ勝ちも、決して「有終の美」という気持ちにはなれなかった。

 この年を境に、選手たちの野球人生は大きく変わった。それはファンも同じだった。礒部選手会長は「近鉄への愛着や誇りは絶対に消えません」と言い、梨田監督は「お前たちがつけている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」と選手たちを送り出したが、ファンの心情は、より複雑であり、ある意味で選手たちよりも深刻だった。結果的に「合併・消滅」は阻止できなかったのだ。結果的に選手たちに「行く先」はあったが、ファンにはなかった。「置き去りにされた」というのが、私を含めた多くの近鉄ファンの正直な気持ちだろう。

 それでもプロ野球は続き、元近鉄戦士たちはそれぞれの道で懸命に働いた。「オリックスと楽天、どちらのファンにもなれなかった」私は、仕方なくチームではなく選手個人を応援し、コンピューターゲームの中で元近鉄戦士をかき集めて「架空の近鉄」を作った。しかし、年月が流れ、年々引退する選手が増えることで、それも不可能になった。それでも2020年現在、岩隈久志、坂口智隆、近藤一樹の3人が現役を続けている。近鉄消滅から16年、彼らが引退した時、ようやく、本当の意味で、「近鉄ラストゲーム」を迎えるのかもしれない。逆に言えば、それまでは最低限、「近鉄は存続している」ということでもある。

【お知らせ】プロ野球復刻試合速報を実施

 スポーツナビではこの度、プロ野球過去試合の速報を再現します。

「スポーツナビ 野球編集部」Twitterアカウントのリプライにていただいた、「あなたの印象に残る試合・思い出の試合」を参考に選出し、近鉄含む13球団の試合とオールスター名試合を復刻いたします。

 今回取り上げた「2004年9月24日 近鉄vs.西武」は、5月6日(水)13時より速報開始!

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著者プロフィール

1979年1月1日生まれ。大阪府出身。学生時代からサッカー&近鉄ファン一筋。大学卒業後、スポーツ紙記者として、野球、サッカーを中心に、ラグビー、マラソンなど様々な競技を取材。野球専門誌『Baseball Times』の編集兼ライターを経て、現在はフリーランスとして、プロ野球、高校野球、サッカーなど幅広く執筆している。

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