- スポーツナビ
- 2020年3月23日(月) 13:30
大相撲はスポーツであるとともに神事である

世界中のスポーツイベントが軒並み中止や延期となる中、日本の大相撲が無観客とはいえ、そこまでして開催する意義とは何なのか。八角理事長(元横綱北勝海)による初日の協会挨拶でそれは語られた。異例の長さとなる4分超の挨拶でまず、こういう形で本場所を開催せざるを得ないことについて、ファンに理解を求めるとともにこう続けた。
「古来から力士の四股は邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また、横綱の土俵入りは五穀豊穣(ごこくほうじょう)と世の中の平安を祈願するために行われてきました。力士の体は健康な体の象徴とも言われています。床山が髪を結い、呼出しが柝(き)を打ち、行司が土俵を裁き、そして力士が四股を踏む。この一連の所作が人々に感動を与えると同時に、大地を鎮め邪悪なものを抑え込むものだと信じられてきました。こういった大相撲の持つ力が日本はもちろん世界中の方々に勇気や感動を与え、世の中に平安を呼び戻すことができるよう、協会一同一丸となり15日間全力で取り組む所存でございます」
大相撲はスポーツであるとともに神事でもある。また、国技として古くから老若男女に幅広く親しまれ、日本人にとってはなくてはならない存在と言ってもいいだろう。横綱・白鵬は以前「相撲が終われば、日本という国もなくなると思う」と発言したことがある。2011年の東日本大震災で甚大な被害を被り、がれきで埋め尽くされた岩手県陸前高田市で大地を鎮めるために行われた横綱土俵入りは当時、一人横綱の白鵬にしかできない大役であった。
その白鵬が非常事態の今場所も優勝戦線を引っ張り、場所を引き締めてきた。無傷で勝ち越しを決めた8日目も「今場所は本当に一番一番を心掛けてやっている。それが1週間できたのかなという感じがする」と表情が緩むことはなかった。「とりあえず中日(なかび)が無事に終わった」と今場所はその日その日を無事に乗り切ったことに安堵(あんど)するコメントが目立った。
"無観客場所"に戸惑いを隠せなかった力士たち

過去、誰も経験したことがなかった"無観客場所"にほとんどの力士が戸惑いを隠せなかった。いつもは大声援を浴びている関取最軽量の炎鵬も初日は「いつもと違う雰囲気で闘争心やアドレナリンが出なかった。何のために戦っているのか」と普段の声援の後押しを実感した様子であった。制限時間いっぱいで大量の塩をまき、館内が湧くことによって自身の気持ちを高めていた照強も「声援を力に変えようと思っても声援がないから、お客さんがいると思って気持ちを引き締めるしかない」と通常の場所とはやはり勝手が違うようだ。
「お客さんがいないから緊張もしない」という声も少なくない。歓声も拍手もない土俵はまるで稽古場に似た雰囲気でもあり取組は淡々と進む。波乱が波乱を呼ぶ連鎖反応もおそらくは館内が独特な空気に包まれるからこそ起こる現象であり、今場所はそんなムードが醸成されることはなかった。
稽古場での強さは以前から定評があった碧山が一時優勝争いの先頭に立つほど絶好調だったのは、まさに今場所を象徴していると言えるだろう。この場所を「稽古場と一緒」と話すブルガリア出身の巨漢は強烈な突き放しから怒とうの出足で連日、相手を圧倒。勝ち残り形式で行われる巡業の申し合い稽古では10連勝以上して土俵を占拠することも珍しくないが、本場所になると気負い過ぎるのか、普段の実力がなかなか発揮できずにいた。そういう意味では今場所は稽古場の力量がそのまま表れた場所なのかもしれない。
大関取りに挑んだ朝乃山にとって、近畿大時代の4年間を過ごした大阪は言わば“第2の故郷”。本来であれば大声援による後押しもあったに違いない。しかし、そんなプラスアルファがなくとも順調に白星を重ねたのは、すでにその資質に見合うだけの実力を有しているからなのであろう。
史上初の"無観客場所"は無事に15日間を終えた。こんな場所は本当に最初で最後であってほしいと願うばかりだ。