IDでもっと便利に新規取得

ログイン

元日本代表・山田隆裕がYouTuberに!?
「メロンパン」から現在に至るまで

アプリ限定

考えさせられるセカンドキャリア

メロンパン販売以後、山田隆裕はどんな人生を歩んできたのか。現在はサッカーとの関わりも増えている
メロンパン販売以後、山田隆裕はどんな人生を歩んできたのか。現在はサッカーとの関わりも増えている【栗原正夫】

 2003年の現役引退とほぼ同時に仙台でメロンパンの移動販売業を始めた。もちろん、山田隆裕がパンを売り歩いていたわけではない。フランチャイズ経営である。


 オーブンを積んだバン(車)をスーパーの駐車場などに停めて、焼き立てのメロンパンを売る。焼き立てという物珍しさ、涼しい仙台の土地柄、広告塔となったトップの山田がJリーグで最後にプレーした地だったこともあり、地元メディアにも取り上げられるなど瞬く間に店舗は約20店までに拡大した。

 事業は順風満帆で、軌道に乗ったかのように見えた。しかし、想像以上のスピードで拡大したことでの不備や、もちろん流行りがあれば廃りもあるわけで、長くは続かなかった。


 サッカー選手のセカンドキャリアについては、現在でもたびたび議論の的となるが、山田にとっては自身が幼少期に苦労した経験からも、事業を起こすことは自然な流れだった。


「うちは恵まれた家庭じゃなかったから、僕は中学の頃からサッカーをしながら土木工事などのバイトもしていました。だから、将来、何か事業を起こしたいという考えは常にあったんです。結局、Jリーグってプロ野球のような高額な契約金もなければ、最初はどんな選手であっても年俸の上限が決められていたり、ほとんどの場合は一生食べていけるほどは蓄えられないんです。そんな背景もあったので、現役の頃からビジネス書を読んだり、経営者や実業家の講演会に行くなど、いつも起業の準備だけはしていました」


 選手が現役の頃から将来のビジネスのことを考えたり、準備していることに対して、時にマイナスな見方をする人もいるが、山田の指摘は、長くクラブやリーグが放置してきた見過ごせない課題とも言える。


「僕はまだ31歳までプレーできたので幸せでしたけど、なかには1、2年でクビを切られてしまう選手もいます。こんな言い方はアレですが、サッカーしかやってこなかった“サッカーバカ”と契約して、契約が切れたら『勝手に生きていってください』っていうクラブやリーグのやり方は、少なくとも僕には無責任に見えました」

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

スポナビDo

新着記事一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント