傷が癒えるごとにたくましさを増す――三嶋一輝は必死に“重い1アウト”を取る

日比野恭三

マウンドでしゃがむほどの痛恨の一球

「悪いことは忘れる」と話す三嶋だが、悔しい一球は忘れることができないという 【(C)YDB】

 今シーズン、特に春から初夏にかけて、茨の道を歩いてきた。三嶋のスネは傷だらけだろう。

 5月3日の甲子園での阪神戦、延長10回サヨナラ負けの敗戦投手となった。2日後の同カードでも、同点の9回、福留孝介にサヨナラ2ランを浴びた。3日後の5月8日、新潟での巨人戦では4点のリードを吐き出した。

 29歳は苦笑交じりに振り返る。

「新潟では国吉(佑樹)と2人でボコボコに打たれて、2人とも防御率が7点ぐらいになって……。東京経由で広島まで、いっしょに6時間ぐらいの地獄の移動をしましたね。なかなかナイーブな移動でしたよ」

 今シーズンの痛恨の一球はどれかと尋ねた時、三嶋が「痛恨の一球しかないぐらい」とつぶやいたのも無理はないのかもしれない。悔しい思いを数えきれないほどしてきたなかで、答えとしたのは6月22日、東北楽天戦でのストレートだ。

 初回に楽天が6点、DeNAが7点を奪うという異例の展開で始まったゲーム。互いに2点を加え、1点リードの6回に三嶋は登板した。三者凡退に抑え、回またぎの7回も、併殺で2アウト走者なしまでこぎ着けた。

 だが、次打者を四球で歩かせると、山下斐紹に151キロの直球を本拠地・横浜スタジアムの左翼席まで運ばれる。打球の行方を見届けた三嶋は、思わずその場にしゃがみこんだ。

「マウンドでしゃがんだのは初めてですね。それほどショックだった。ゲッツーを取ってからのフォアボールからの逆転ホームランですから。『情けねえなあ』って……。あれは一生忘れないと思います」

 甲子園で、新潟で、横浜で。幾度も打ちひしがれながら、そのたびにどうやって立ち直ってきたのか。三嶋はさらりと言う。

「悪いことは忘れます。次の日になったら、『そんなことあったっけ』というぐらいに。そうじゃないと、次のピッチングに影響しますしね」

救われたラミレス監督の言葉

首位・巨人を追いかけるため、今日も三嶋がマウンドに上がる 【(C)YDB】

 一夜での切り替え。それを象徴していたのは、阪神に2度のサヨナラ負けを喫した直後のことだ。

 5月5日、甲子園で福留にサヨナラホームランを打たれた三嶋は、横浜に戻った翌6日、球団のイベントに登場した。夏恒例の『YOKOHAMA STAR☆NIGHT』で着用するスペシャルユニフォームの発表会だ。着慣れぬユニフォームに身を包んだ三嶋は、会場に詰めかけた大勢のファンの前で笑顔を浮かべてみせた。

 実はこの時、同じイベントに参加していたラミレス監督から、ある言葉を授けられていた。三嶋が明かす。

「ぼくも、最初は(イベントへの参加を)どうしようかと思いましたけど、打たれたから行きませんというのもね……。会場で、監督が言ってくれたんです。『打たれたからといって、使わないつもりはない。どんどん使うから、お前は自分の持ってるものを出せばいい。どう終わるかが大事なんだ』って。その言葉に救われました」

 打たれども、打たれども、「終わり」に照準を合わせると、不思議と前を向けた。勝って喜び、負けたとしても次があるなら、そこでまたがんばろうと思えた。

 気がつけば、登板数はチーム最多のエスコバー(46試合)に次ぐ45試合に達していた。7月の月間ホールドポイントはリーグ最多の10(2勝8ホールド)に到達。そう聞いて、本人が驚く。

「マジですか。ぼくが? ……がんばってると、いいことがあるんですね(笑)」

 2年連続の60試合登板も射程圏内だが、三嶋は関心を示さない。心にあるのは、7.5ゲーム差の首位・巨人を追うチームの一員として、勝負の日々を駆け抜ける覚悟だけだ。

「勝つためには、ぼくら登板が多いピッチャーがしっかり仕事をしないといけない。そういう責任があるし、それだけの期待に応えなきゃいけないと思う。いま、いい位置にいるし、僅差で勝っているという事実がピッチャー陣にとってはすごくいいことだと思う。どんな場面でも気持ちを出して戦う姿を、打者、首脳陣、ファンの皆さんに見せていけば、流れが良くなって、もっと勝てるようになると信じています。これだけ疲れたり、考えたり、勝ち負けに左右されたりすること自体が、本当に幸せなこと。中継ぎ陣を少しでも引っ張っていければと思いますし、チームとしても、ここまで来たからにはしっかり上を目指していきたい」

 終わりよければすべてよし――。そう言えるシーズンにするために、傷が癒えるごとに逞(たくま)しさを増す7年目右腕は、目の前の重い1アウトを必死になって取りにいく。

(取材協力:横浜DeNAベイスターズ、記録は7月23日終了現在)

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著者プロフィール

1981年、宮崎県生まれ。2010年より『Number』編集部の所属となり、同誌の編集および執筆に従事。6年間の在籍を経て2016年、フリーに。野球やボクシングを中心とした各種競技、またスポーツビジネスを中心的なフィールドとして活動中。

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