元メタボ100kmマラソンに挑戦!(5)
【みんアス】
五回目となる今回は最終回です。”いよいよゴール! 100kmを走って見えたものとは?!”
※リンク先は外部サイトの場合があります
当然のことながら日差しが強く、太陽がジリジリと身体を焦がします。
このあたりから完全に胃腸の動きは止まり(正しくいえば動いてますよ。あくまでも自分の気持ちの中でという意味です)、2.5kmごとに設置されたエイドステーションでなにも食べたくないどころか、携行しているゼリーすら口に入れるのがつらくなってきました。
川沿いの土手を走っていると疲労から頭もボーっとし始め、危うく土手から転げ落ちそうになることも。
完全に脚も身体も“売り切れ”状態に。
それでも以前に読んだ数多くの方のウルトラマラソンの体験記にもあり、私自身もこのコラムで書いていたように「一歩ずつでも進めばゴールに近づいていく」。これだけを考えながら前に進みます。
たった1kmを進むのに途方もない時間が経過しているような錯覚に陥り、あまり先のことを考えることができなくなってきていました。
そんなとき土手沿いに横断幕を掲げて“ゆず”の『栄光の架橋』を大音量でかけてくれている人たちが。もう横断幕になにが書いてあったのかも覚えていませんが、そのメッセージと『栄光の架橋』を聴くと、不覚にも涙が溢れだしてきました。(冷静に考えればここで感動している場合じゃなくて、あと25km近く走らなければならないんですけどね)
そのメンバーのお一人の女性が「コーラ飲みませんか?」と笑顔で語り掛けてくださいました。糖分が絶対的に不足していた状況だったので泣きながら御礼を言って一杯頂きました。50mlくらいしか入らない小さなカップでほんの1口、2口のコーラでしたが甘さが身体に染みわたり、『栄光の架橋』での感動もあり、もう一度前を向いて走り出すことができました。
しかし身体は相当疲労しているのでたった2口程度のコーラが喉につまりゲップが出ません。苦しいんですが、もうそんなに速いスピードで走れているわけでもないので「ゲップが出なくて苦しい」と考えているウチに77kmのエイドまでたどり着くことができました。
「このエイドではあまり休憩をするのはよそう」
エイド到着前からそんなことを考えていました。もう、座って休憩したら動けない気がしたんです。
そして『栄光の架橋』のあとから少しずつ気になりだしたのがタイム。
とても12時間は切れそうにありません。
しかし13時間は絶対に切りたい。
そう考え始めていました。
75kmで約9時間
つまりあと25kmを4時間以内に走れば13時間以内。普段なら楽勝です。
ところが休憩や歩きを入れ、完全に消耗していた私はこのころ10kmをおよそ1時間半近くかけて走っていました。
糖分が抜けてほとんど暗算ができない頭で考えてもこのペースで残りを走り切ってようやく12時間45分。これ以上ペースが落ちたり、エイドで時間をロスしすぎると危ない状況です。
なぜ13時間?
この『柴又100K』の制限時間は14時間です。関門での制限時間による失格はおそらくもう心配ありません。
しかし日本最大の100kmウルトラマラソン『サロマ湖100km』の制限時間は13時間。
つまり13時間を超えたら、サロマだったら失格ということになるんです。
サブ3.5ランナーなら10時間以内の完走を狙え、遅くとも11時間以内だ
そんな風に雑誌なんかにも書かれている中、もうプライドもなにもあったもんじゃありません。でもせめてサロマだったとしても完走できるタイム“13時間”は切ろうと。
そう心に決めて走っていました。
水はもう太陽に照らされてお湯になっていました。温かくて飲むこともできず、身体にかけることもできません。
だってエイドには冷たい水が飲む用、かぶり水用両方で用意してあるので……。
しかたなくその水で手を洗い、あとは河原に流します。
経口補水液だけはぬるくても脱水防止のためには少しでも飲まなければと思い、BCAAの粉末を溶かして半ば無理やり流し込みます。もう飲み込む力もあまりないのでゆっくりゆっくり飲みました。そして楽しみに入れていたおやつの『ルマンド』はとても食べることができず泣く泣くごみ箱に捨てました。この77kmエイドはランナーが使用しなかったものはすべて廃棄になるルールだったので仕方ありません。
最後に会社の人にもらった一口羊羹が残りました。せっかくの頂き物なのに見ているだけで吐き気がします。
でも羊羹をなぜこのエイドに置いたのか?
それは絶対に糖分を摂ったほうがいいからでした。
指先に力が入らないので歯を使って羊羹の包みを開け、一口かぶりつきました。
口の中が甘くて飲み込めなくて苦しいです。
それを経口補水液で流し込み、あとの残りはごみ箱に捨てました。(食べ物を粗末にして本当にごめんなさい)
それが精一杯でした。
もうこのエイドにこれ以上いる必要はありません。疲れているから休みたいけれど、休むと絶対に動けなくなります。
エイドを後にして再び歩き始めました。
歩いては走り、走っては歩き80kmを通過
80kmの通過タイムは9時間47分33秒→7:20/km
なんと75kmから80kmはエイド休憩もあり51分57秒もかかっていました。
このあたりになってくると本当に自分以外、人がいないんです。まだまだ空は快晴! ひたすら一本道を東京へ向かいます。 【みんアス】
ここからは5km単位で考えることにしました。
とにかく5kmを45分以内で走ること
できれば1キロ7分台で走ること
これを85kmまでやろう
次は90kmまでやろう
そうやってとにかく走り続けました。
途中苦しくなってきたら1kmごとに設置されている距離表示ポストまで走り、距離表示ポストを越えたら100mだけ歩いていいことにして少し歩く。
100m歩いたらとにかく次のポストまでゆっくりでいいから走る。これの繰り返しです。
それがそのうち500mで歩いてしまうことも。
もう身体が思うように動かないんです。
でもこのあたりから周りのランナーのサポーターの人たちがゴール地点から駆けつけて伴走をし始めました。
伴走者とおしゃべりをしながら走るランナーの背中にくっついて少しでも引っ張ってもらう。
1kmでも500mでもいいからくっついていく。
そしてエイドでうがいだけでもする。
そうやってようやく90kmが見えてきました。
90kmの通過は11時間18分47秒→7:32/km
時刻はまもなく夕方17時というあたりです。
90kmをなんとしても17時までに通過したい。そうすれば13時間は切れるはず。
そう思って走ってきたのでひとまず安堵しました。
少し夕焼けになってきました。 向かい風がきつかったです。 【みんアス】
風速は5m弱だったそうですが、向かい風で前に進めません。
汗と水で濡れたTシャツから体温が奪われ始めます。
でも幸い? なことに、首の力もなくなって下を向いて足元だけをみて走っていたので向かい風が身体を起こしてくれました。
残り10kmというのも力になったのかもしれません。このあたりは久しぶりに1キロ6分台まで回復することができました。
さあ、あと10km。
普段から練習で毎日走っている距離。皇居だったらたった2周です。
ま、でもあと2周皇居走るのか(笑)。あと1時間半くらい走るんだよな。
そんなことを考えて少し笑ってしまいました。ちょっと心に余裕ができていたのかもしれません。
きつくて苦しくて、もう止まりたいけれど、自分は90kmも走ってきた!
フルマラソンの時のように大半の人より先にゴールというわけにはいかないけれど、というか大半の人より遅いけれど、でも90kmまで走ってこられた。
あと10km走れば完走!
“ウルトラマン”です。(100kmマラソン完走者をそう呼ぶそうです)
もうここまで来たらとにかく脚を交互に出そう。そのうちゴールにたどり着くだろうから。
残り8kmで常磐道、外環道、そして首都高速が交差する三郷ジャンクションを横目にみながら通過しました。
あと8kmしかないのにまだ三郷?!
普段車で走っていて三郷って割と遠い印象がありませんか?
そうか、普段はランニングバカだから距離感がおかしくなってたんだな。
8kmって結構距離あるんだな。
そんなことを考えながら走り95kmまで来ました! 小さな女の子が家族とともに95kmポストのところで大きな声で応援してくれています。
「あと5kmだよぉ! がんばれー!」
もう声もそんなに出ないので少しだけ会釈をして、小さな声で「ありがとうがんばるね」そう言ってその場を通過しました。
95km通過は12時間1分35秒→7:35/km
まもなく日没の18時31分。私は95kmを通過しました。
スタート前“『サザエさん』が始まるまでには帰ってくるからね!”とSNSに投稿していたのに、『サザエさん』はゴールした頃には終わってそうです。
でもあと5km。
5kmは本当に体調が悪いときに軽く流すくらいの距離。もう大丈夫だろう。
自分で決めた13時間のリミットにもあと59分ある。
よしいける! ゴールできるぞ!
95kmのエイドでしっかり水分補給をして、もう一度走り出しました。
残念ながら5kmずっとは走り続けられなかったけれど、それでもこの5kmはとても印象深い5kmでした。
全身の力が抜け(というか力が入らない)、フォームもクソもない。
でも、もう人間が走るという行為を極限の状態で実施する、それはまるで原点のような状態でフォームはとてもキレイになっていました。
いままで何千キロと走ってきて、走るコツのようなものを見つけたのはこのときが初めてかもしれません。
97kmあたりで日が暮れて真っ暗になり、周りに人がいなくなったはずなのに、なんと残りの3kmから沿道には大勢の人が出て応援をしてくれていました。
周りに人がいないのが100kmのゴール付近。だから私だけのために応援をしてくれているような状況です。
「いいフォームだ」
「もう少しだぞ」
「がんばれ」
たくさんの声援を頂き、あと1kmというあたり、私のサポーターも駆け付けてくれて一緒に走ってくれました。
前方にゴールの明かりが見えてきます。
不思議と涙が出たり、感傷に浸ったりはしませんでした。
「あぁ、やっと帰ってきた!」
そんなことを考えてました。
最後のゴール前のパレードロードでたくさんの人から「おかえり!」という言葉をかけられてランナーはゴールに向かいます。
私も皆さんにありったけの大きな声で「ただいま!」「ありがとう!」そういいながらゴールを目指しました。
もう辺りは真っ暗。でもこの瞬間はうれしかったなぁ。 【みんアス】
ゴールの瞬間は愛するウチのワンコたちを抱きかかえてゴールをしたい!
そう思ってサポートさんたちにお願いをして待っててもらいました。
12時間47分3秒
大好きなウチのワンコたちを抱えて、なんだかわからない叫び声をあげながら100kmのゴールを駆け抜けました。
なんのことだかさっぱりわからず固まっているウチのワンコたち(笑) 【みんアス】
とても長い道のりでした。
100km
まさか48歳の誕生日に一日かけてこんな距離を走るとは思いませんでした。
5年前、メタボで医者から「このままだと死ぬよ」と言われ、はじめたランニング。
最初は300m走っただけで吐いちゃうくらいダメダメなランナーでした。
いつしか走ることが好きになり、記録を追って練習をするようになり、そしていつしか記録が伸びず、怪我に苦しみ、ランニングが嫌いになり始めていた自分。
でもすっかり習慣になって私の生活の一部になっていたランニングをやめようと思ったことはありませんでした。
なんとなく体調が悪くても「とりあえず5kmだけ走ろうか」そういってシューズを履いて近所を走る毎日。
きっとこれからも一生ランニングはやめないんだろうな。
だったらもっと好きになりたいな。
そう思って今回の100kmに挑戦しました。
結果は後ろから数えたほうが早い順位。
散々な結果でした。
でも私にとってはタイムより完走できたことがとてもうれしく、そしてランニングの奥深さを改めて知ることができました。
ゴールした直後は「もうしばらく走るのはいいかな」と思うくらいきつかったけれど、でも、日を追うごとに楽しかった想い出になり、辛かったはずのどの場面も「楽しかったなぁ」と振り返ることができます。
自分の力でここまでやれるんだ。
それを実感した一日でした。そして走ることの楽しさを改めて知った一日でした。
100kmになんども挑戦する人の気持ちが少しだけ理解できたような気がします。
「走ることが好き」
それをボロボロになるまで突き詰めて、それでも好きっていえるのか?
それを問いかけるレースだった気がします。
来年もう一度この場所に帰ってきたい。
いや、サロマも走ってみたいな。
その時はもう少し走り込んで、10時間台で走りたいな。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
ランニングバカの元メタボは、あんなに辛かったことを忘れて、もう来年の計画を立て始めています。
最後に100kmのレースのエントリーフィーは22,000円だったと初回の冒頭に書きました。これが高かったのか安かったのか?
結果はとても安かったんだと思います。
これだけの経験をさせてもらえたことは一生の想い出になると思います。
そしてこんなランナーを夜明けから夜半までずっとサポートし続けてくれる大勢のボランティアの皆さんがいて初めて、私たちは100kmを走って無事東京に帰ってくることができました。
あるエイドでボランティアのお兄さんが「俺、今日12時間もずっとコップに水汲んでるよ(笑)」と笑っていましたが、想像できますか?
見ず知らずの誰かのために12時間もずっとその場で水を汲むって?
本当にありがとうございました。
ランニングは一人でできるスポーツかもしれません。でもランナーはきっと一人では走れないんだと思います。
この100kmに、いやランナーを支えてくれる大勢の人に感謝を込めて、ありがとうございました!
終わり
100kmを一緒に走って文字通りボロボロ、ドロドロになったシューズと完走メダル 【みんアス】
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ