ネイマールがW杯で真の英雄になるために 重圧も批判も受け入れ、涙を超えていけ

大野美夏

「そっとしておいて欲しい」は虫が良すぎる

ネイマールはピッチ外でも一挙手一投足が注目される存在 【Getty Images】

 昔のように個人技でどうにかなるものではなく、システマチックで戦術的に規律が整ったサッカーでなければ、勝てない時代になった。と同時に、ある意味エゴイストで、ある意味頼りになるキャラクターの選手は生まれなくなってきている。

 W杯優勝を経験していないネイマールは、ブラジル人にとってまだ何者でもない。が、注目度は破格だ。9000万人のインスタフォロワーを持っているのは、サッカー界を超えてブラジル人としてナンバーワン。クリスティアーノ・ロナウドには負けるが、リオネル・メッシよりもフォロワーは多い。仕事と人生の成功、大金、美しい女性、高級車と、人々の憧れを全て手に入れている彼は、良い意味でも悪い意味でも関心の対象である。

 髪型ひとつとってもインターネット・ミームで常に格好のネタとなる。賞賛よりも批判、皮肉、からかい、風刺の対象として注目が集まるのだが、その注目度を利用してマーケティングやコマーシャルに利用するのが“ネイマール株式会社”の戦略でもある。一度、インスタに宣伝を載せるだけで約1億円の収益があると言われる。広告塔になっている企業は10社以上。マクドナルドから、ブラジル最大の投資運用会社XP社のCMまで、さまざまな分野でW杯が近づくにつれ、露出度は増えた。話題になればなるほど収入は増える。

 サッカーの質以上に“マーケティング王子”としての評価が高いと言われるのも、無理はない。それで「そっとしておいてほしい」というのは、虫が良すぎるという話だ。注目度をビジネスで最大限利用しているのなら、もっともっと図太い人間にならないといけない。

 それでも、才能ある少年たちのほとんどが消えていく中、彼は他人に見えないところでたゆまぬ努力をし続けているし、弱いと言われがちなメンタルだって弱いわけがない。相当に強いメンタルでなければ、サントスをペレの時代から48年ぶりにコパ・リベルタドーレス優勝に導き、悲願の五輪金メダルを獲得し、バルサでレギュラーになり、チャンピオンズリーグ優勝にも貢献するなんて、誰にでもできることではない。

 また、サッカーという団体競技の中で生きてきた彼が、チームメートの存在を軽んじることだってないはずだ。ネイマールと初めて会った時、お父さんが建てた普通の家にはサントス育成部のチームメートたちが何人も遊びに来ていた。「週末に帰れないほど遠くから来ている子たちは、うちを実家と思って遊びに来るのよ。家族のようなものよ」と母親のナジーニは優しいまなざしで言っていた。

怪物ロナウドに見る「真のクラッキ」の資質

02年W杯のロナウドは、セレソンのエースにしてムードメーカーだった 【Getty Images】

 怪物ロナウドは、98年W杯フランス大会で、試合当日に発作によって病院に運ばれたが、ドクターの許可が出て試合には出場した。しかし、他の選手は心配のあまり心ここにあらずで、ブラジルはフランスとの決勝戦でボロボロに負けた。しかし、ロナウドは4年後にリベンジを果たした。けがから復帰して間もなかった02年の日韓大会では、みんなを心配させることがないよう、変な頭で笑わせて人々の関心を引きつけ、チームをリラックスさせた。

 今のネイマールは、自分が全てを背負う立場にあるのが耐えられないと口に出してしまっている。自分だけ格好つけて、自分だけが悲劇のヒーローぶってはいけない。どの選手もそれぞれがいろいろな思いや、重圧を背負ってやっている。プレッシャーも批判も知らん顔して、自分が全てを背負うから、みんなはリラックスしてやって。そう言えるくらいにならないといけない。

 W杯への重圧? この王国は、そうやってW杯を何回も経験してきたし、どの選手もその洗礼を受けてきた。今年などは、政治混乱と経済不況があまりに大きく、娯楽の多様化にも伴い、W杯への関心はここ数大会の中で最も低いというデータも出ている。露出を増やしてプレッシャーを大きくしているのもネイマール自身だし、もしタイトルが取れなくても世界の終わりではない。

 自分が矢面に立って、笑いに変えるくらい全てをのみ込んで、笑顔でチームを引っ張れるのなら、彼は真のクラッキ、真のリーダーになれるだろう。

 涙を流すのは、テレビの向こうにいるおばさんたちだけに任せておけばいい。あなたの努力を分かっている人は、たくさんいるのだから。

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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