いま、巨人に必要なのは「象徴」 かつての“特別な球団”に戻れるか!?

菊地高弘

「象徴」と「地方」の両輪

1996年、「メークドラマ」を完結させ、逆転優勝を果たした巨人。胴上げされる長嶋監督や、若き日の松井秀喜の姿が見える 【写真は共同】

 巨人が巨人たりえたのは、「象徴」と「地方」の両輪がそろっていたからだ――。

 現役時代は巨人、横浜(現横浜DeNA)で通算2006安打を記録した名打者・駒田徳広さん(高知ファイティングドッグス監督)はそう言った。

「時代を象徴する選手がいるということです。そんな象徴と、地方から出てきた高校生、つまり“ジャパン・ドリーム”の選手たちの融合なんですよ」(イースト・プレス刊『巨人ファンはどこへ行ったのか?』より引用)

 1960年代から70年代にかけての「V9」時代には長嶋茂雄と王貞治。80年代から90年代前半には原辰徳。そして90年代中盤から2002年まで松井秀喜。巨人には常に、野球界はおろか日本中の誰もが知っているような「象徴」的な存在がいた。

 そして、駒田さんの言う「地方」とは、地方都市から巨人に入団した叩き上げで、「象徴」の脇を固める選手のこと。奈良・桜井商高(現奈良情報商高)出身の駒田さんは、自身も「地方」に分類する。

「僕なんか、甲子園にも出たことがない田舎から入ってきて、最初は打てなくて。地元の人から『高校ではあんなに打っても、やっぱりプロは厳しい世界だね』なんて思われているところに、1軍の試合に出てきて、いきなり満塁ホームランを打ってデビューして。『あぁ〜、よく打ったねぇ!』と地元は驚き、喜んでくれました。そういうところで地方の巨人人気を支えていたものがあったと思うんです」(同上)

もはや「生活の一部」ではない巨人戦

 駒田さんが巨人に在籍した当時、チームには原という象徴がいた。甲子園で活躍し、甘いマスクの「若大将」。その脇を固めたのは、駒田さんのみならず、篠塚利夫(現和典)、吉村禎章、岡崎郁、川相昌弘といった高卒の叩き上げ。自己犠牲をいとわず勝利に貢献し、地方の巨人人気を支える。

「象徴」と「地方」が両輪となった結果、巨人は強いチームであり続け、国民的人気球団になったと駒田さんは見ている。

「まずは象徴が先ですよね。今はやたらと『育てろ、育てろ』と言う。もちろん育てることも大事なんだけど、象徴的なプレーヤーを入れて、活躍することも大事。この両立がないと、世間的な注目が薄れてしまうということは言えると思う」(同上)

 しかし、生活様式や娯楽が多様化した現代、巨人というコンテンツは日本人にとってもはや「生活の一部」という感覚ではなくなった。かつては巨人の全試合が地上波生中継され、20%前後の視聴率を誇っていたが、今や中継自体が年間数えるほど。よほどの巨人ファンがいない限り、学校や職場で「昨日の巨人の試合、見た?」と話題になることはなくなった。

 東京ドームは今も連日満員が続いている。だが、以前まで「話題についていくため」という教養感覚で巨人を応援していたライト層は、巨人はおろか野球そのものへの関心を軒並み失っている。この状況は巨人にとっても野球界全体にとっても看過できないだろう。

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著者プロフィール

菊地高弘

1982年生まれ、東京都育ち。野球専門誌『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。元高校球児で、「野球部研究家」を自称。著書『野球部あるある』シリーズが好評発売中。アニメ『野球部あるある』(北陸朝日放送)もYouTubeで公開中。2018年春、『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)を上梓。

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