Sフェザー級の頂点へ始動した伊藤雅雪 世界へ続く尾川とのライバルストーリー

船橋真二郎

異色のボクシング経歴を持つ伊藤

東京の下町・亀戸の伴流ジムでキャリアをスタートさせた伊藤。その経歴はほかの強豪たちとは異色なものである 【船橋真二郎】

 高校3年の秋、東京の下町・亀戸の伴流ジムで初めてグローブを握り、大学1年の春にプロデビュー。伊藤の歩みは、他のスーパーフェザー級トップの面々と比べれば、異色とも言えるのかもしれない。

 全日本選手権3連覇を含むアマチュア4冠の内山、元日本フェザー級王者の三政直(さん・まさなお)を叔父に持ち、高校時代に国体優勝の三浦、父で元東洋、日本ミドル級王者のカシアス内藤が開いたジムで中学1年からボクシングを始め、高校で3冠を果たした内藤のようなアマチュアの実績はない。

 中学卒業と同時に大きな野心を抱いて上京した金子のような、いかにも典型的なたたき上げとも違う。師範だった父の日本拳法の道場で幼少の頃から鍛錬し、大学では日本拳法部の主将を務めた尾川のような格闘技歴もない。

 小学6年からバスケットボールに熱中し、高校にはスポーツ推薦で進学。常にチームの中心選手だった。高校時代は東京都の支部選抜に選ばれ、支部対抗大会で優勝したこともあった。だが高校のチームでは、試合の前半に伊藤が得点の大半を決めながら、後半に徹底的にマークされて負けることも多く、「完全に冷めた」のは高校3年の春だった。

高い身体能力をボクシングでも発揮

 バスケットボールで挫折した自己表現の欲求は、やがて1対1の闘いで決着をつける格闘技に向かった。従兄弟が練習に通っていたボクシングジムについて行き、すぐにのめり込むが、伊藤が夢中になったのが実戦練習のスパーリングだった。

「最初の頃は、ディフェンスもなく、ケンカみたいな感じで鼻血をお互いに出しまくりながら(笑)。それがめちゃくちゃ楽しくて。学校が終わったら、すぐジムに行って、そのためだけに生きているみたいな」

 スパーリングの中で、さまざまなことを試し、発想をふくらませ、伊藤のボクシングは洗練されていく。バスケットボールでは174センチの身長でダンクシュートをやってのけた。3歳から小学6年まで器械体操と水泳を続け、幼稚園の頃にはバック宙ができた。高い身体能力はボクシングでもいかんなく発揮された。

 瞬時のステップワークとボディワーク、軽やかな身のこなしでパンチをかわし、切れ味鋭い右カウンターを打ち込むのが、伊藤のスタイル。ここ2年は世界を意識し、攻撃的なスタイルを自らに課して5勝4KO。だがテーマを意識し過ぎるあまり、「型にハマって、つまらない選手になりそうだから、また、いろいろなことをやるつもりです」と、近づく勝負の時を前に対策プラス、原点の自由な発想にも返りたいという。

世界王座獲得に向けて本格始動

米国でライバルが一度は超えた壁。今度は自分の番と、本格的に動き始めた 【船橋真二郎】

 ここ数年、何度も米国ロサンゼルスに武者修行に出かけ、WBO世界フェザー級王者のオスカル・バルデス(メキシコ)など、世界のトップレベルとスパーリングで手合わせしてきた。

「いろいろな選手とやって、自分が世界レベルで戦えることは分かっています。ただ世界チャンピオンになるには、そこからさらに一歩超えないといけない」

 世界的に層の厚いスーパーフェザー級の壁が高いことは理解している。だが、その壁を尾川が目の前で超えてみせた。

「同じレベルにある尾川くんが、あの舞台で一歩を超えてきた。だから僕だって超えられると思うし、超えなきゃいけないと思っています」

 失意の底から立ち上がろうとしている尾川が、「忘れられない瞬間」と表現した一戦の記録は取り消されてしまったが、あの瞬間の記憶は伊藤の中にもしっかり刻まれている。

 尾川に送る言葉はないという。

「先を越されたと思わされた分、今度は僕が獲って、上で待っていられたらいい」

 それが「今もライバルだと思っています」という尾川への最大限のエールだろう。

 伊藤は4月下旬、静岡で走り込み中心の合宿を張り、来たるその時に向けて、本格的に動き出した。5月上旬からは約1カ月間、ロサンゼルスでスパーリングを重ね、世界の舞台で何ができるか、勝つために何が必要なのか、自分と向き合い続ける。

 スーパーフェザー級のライバル・ストーリーは、まだ終わらない。


■伊藤雅雪(いとう・まさゆき)プロフィール
1991年1月19日生まれ、東京都江東区出身。23勝12KO1敗1分の右ボクサーファイター。駒澤大学高3年の秋に伴流ジムに入門し、駒澤大1年の2009年5月26日にプロデビュー。デビュー戦は本名の「雅之」で戦うが、2戦目の直前に交通事故に遭い、試合は中止に。ジムの先代・団元気会長から勧められ、リングネームを「雅雪」に変更した。12年の全日本フェザー級新人王、翌年9月にはWBCユース・ライト級王座を獲得。15年2月、内藤律樹の日本スーパーフェザー級王座に挑戦し、判定で敗れるが、同年8月に東洋太平洋同級王座、翌年12月にWBOアジア・パシフィック同級王座を獲得。世界主要4団体でランク入りし、世界挑戦をうかがう。13年に結婚した妻との間に2女。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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