若手とベテランの活躍に沸いた平昌パラ 東京と北京ではさらなる飛躍に期待

荒木美晴

光った若手選手の活躍

24歳の成田は今大会で「挑戦」を貫き、金メダルに結びつけた 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 20代の若手選手の活躍も光った。競技初日のアルペンスキー滑降で、日本選手団メダル第1号となる銀メダルを獲得した21歳の村岡は、報道陣にこう語っていた。「この大会は、私に始まり、私に終わる」。最終日に行われる種目にエントリーしており、この時点では「スケジュールとして」という意味合いの発言だと感じていた。だが、滑るたびに村岡がメダルを首にかけていくうち、複数種目の表彰台を意味するものへと変わり、そして有言実行を果たした。これからは追われる立場になるが、「またさらに上を目指して成長していきたい」と、ぶれない姿勢で4年後に向け、リスタートを切る。

 スノーボードの24歳の成田は、大会直前の2月のワールドカップ最終戦で総合優勝を果たし、その勢いを平昌までつないだ。3本滑走し、最速タイムを競うバンクドスラロームは通常、時間が経つにつれバーンが荒れることが多いが、実際は気温が上がらずコース状況にあまり変化が見られなかった。2本目までトップに立っていた成田は、他の選手がタイムを上げ、3本目勝負になることを想定。最後のランでは、苦戦する選手が多かった前半のバンクで上から下へと切るように滑るラインを選択してタイムを縮め、たったひとり圧巻の48秒台をマークした。パラリンピックという最高峰の舞台でも、冷静さを失わず、最後まで自分の滑りを追求した成田。自身の今大会の目標である「挑戦」を最後まで貫いたことが、結果につながった。

競技環境を整えさらなる強化を

帰国会見でポーズを取る日本選手団。4年後の北京でさらなる活躍を期待したい 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 一方で、世界との壁を痛感させられた種目も。前回ソチ大会で日本選手団が獲得した計6個のメダルのうち、実に5個がアルペンスキー男子座位陣によるものだった。だが今回、森井の滑降での銀メダル1個に留まった。日本代表の志度一志ヘッドコーチは、「ベテラン勢にまだできることがいっぱいあるとわかった」としつつ、「海外勢のように、チームとしてはスタッフの専門性をもっと高めていかなければならないと感じた。トレーナーやサービスマン、スタッフでチーム力を底上げし、選手に波及する形にしていかないと」と課題を挙げた。

 また、パラアイスホッケーは国内の競技人口が30人前後と少なく、今回も少数精鋭で戦ったが、5戦全敗で最下位の8位に終わった。この10年間言われ続けている人材の発掘と普及・育成は待ったなしの状況だ。北米などに比べると、国内にアイスリンクの数が圧倒的に少ないなど環境の問題も大きいが、キャプテンの須藤悟(日本パラアイスホッケー協会)が「3位決定戦と決勝を観たが、絶対に逆転するんだ、というメンタリティの強さを感じた。日本はまだそこが足りない」と話すように、競技者としての姿勢のあり方についても課題が残った。北京に向けて一度リセットし、心身共に強いチームの構築を目指していく。

 ところで、表彰台に登った選手に贈る報奨金はこれまでより増額。金メダルは150万円から300万円、銀メダルは100万円から200万円、銅メダルは70万円から100万円になった。日本パラリンピック委員会(JPC)の高橋秀文副委員長は「2020年東京大会での増額を決めていたが、平昌大会での日本選手の活躍により、前倒しで実施することに決めた」と説明。日本オリンピック委員会(JOC)が金メダリストに支給する報奨金は500万円。銀と銅は、オリンピックとパラリンピックで同額になった。

 今後、それぞれに競技環境の整備を進めながら、強化に取り組んでいく。それが2年後の東京、そして4年後の北京での活躍につながることを期待したい。

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著者プロフィール

1998年長野パラリンピックで観戦したアイススレッジホッケーの迫力に「ズキュン!」と心を打ち抜かれ、追っかけをスタート。以来、障害者スポーツ全般の魅力に取り付かれ、国内外の大会を取材している。日本における障スポ競技の普及を願いつつマイペースに活動中

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