すべては平昌金メダルのために―― 限界に挑んだ森井大輝の最終戦略

瀬長あすか

トヨタの最新技術でチェアスキーを開発

パラリンピック2連覇の狩野(右)やソチ回転金メダルの鈴木(左)も、森井の後を追っていくことで成長してきた 【写真は共同】

 現在37歳の森井は1980年、東京のあきる野市に生まれた。幼いころから家族とスキーに親しみ、中学ではモーグル、高校ではバイク事故で車いす生活になるまでアルペンスキーに熱中していた。入院中、長野パラリンピックをテレビで見たことがきっかけでチェアスキーを始め、スキー技術を磨くとともにチェアスキーの開発にも取り組み、日本を世界的な名門チームに押し上げた。チェアスキーの心臓部であるシートの位置をミリ単位で調整できるよう、独自のパーツを作るなどメカニックの面でも日本チームを引っ張った。

「家業が大工だったというのもあるんですが、幼いころ、テレビが壊れたりすると、祖母が部品をバラバラに解体させてくれたんです。それがマテリアルにこだわる僕の原点になっていると思います。うちは大工だから大抵のものはつくることができる。だけど、水道管を設置するのはやっぱり専門業者にやってもらったほうが断然良い。そこで思ったんです。スキーとバイクを足して二で割った感じのチェアスキーは、モータースポーツに携わる方々にお願いしたらいいんじゃないかなって」

 これまでのように自分でできないことはない。でも、平昌で金メダルをとるためにはプロフェッショナルの高い技術が必要だった。森井は自ら門をたたき、トヨタ自動車に移籍した。

 そして、昨年9月、2年以上の月日を経て、軽量化を追求した最新のマシンに空気抵抗を少なくするカーボンファイバーのカウルを携えた森井モデルが完成した。現在、トヨタでは約40人の特別チームが森井をサポートし、大舞台に向けて調整を続ける。

「今は操作性と滑走性を天びんにかけて、限りなく操作性を失わないセッティングを追求しているところです。やっぱり今まで僕がやってきたものとエンジニアさんによるセッティングとは深さが違う。エンジニアさんのノートを見ると英語と数字やグラフしか書いていなくて、説明してもらっても半分も理解できませんが(笑)、とにかく僕が驚くようなアイデアを提示してくれるし、こういう支えてくれる人たちの存在が本番でスタートバーを切るときのパワーになるんだなと思います」

「まだいける」新境地の発見

技術、道具、肉体を限界まで成長させてきた森井。いよいよ平昌パラリンピックに挑む 【写真は共同】

 もちろんチェアスキーの改良だけではない。ソチ以降、森井はさらなる肉体改造にも取り組んだ。緩斜面が特徴の平昌のコースでは、体格の良い選手が有利になると考え、体重を58キロから64キロに増量。科学的トレーニングで、長いシーズンの終盤でも疲れにくい体づくりも行った。その結果、昨年3月に平昌で行われたプレ大会は滑降と大回転の2種目で優勝を果たしている。

 だが、パラリンピックはそれだけでは勝てないことを森井は知っている。4年に1度しかない大舞台では爆発力も求められる。

「だから、今までとはガラッと変えた過激なセッティングで、誰にもまねできない領域にチャレンジすることも考えています」

 実は、昨年、目からうろこが落ちるような発見があった。トヨタ自動車の工場でテストドライバーが運転する車に同乗し、260キロのスピードを体験したというのだ。そこで、未知のスピードでも目線に気をつけるだけで意外な安定感が出ることや、コーナーを曲がる際に重力が発生する理屈をドライバーに聞かされた。

「それを聞いた瞬間、怖いものが怖くなくなった。雪上でこれまでブレーキをかけていたところを『まだいける』と思えるようになりました。スピード感覚が上がって本当にうれしかったし、正直もっと早く乗っていればって悔やんでいるくらいです」

 そう穏やかに語る森井は、この4年間、競技と正面から向き合い、自らの限界に挑んできた。平昌で狙う悲願の金メダル。それは森井にとってこれまで費やした時間と、たゆまぬ研さんを称える価値あるメダルになるはずだ。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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