パリもダカールもないのにパリダカ!? 第40回ダカールラリーの見どころ紹介
ビーフがおいしく、死ぬまでに見たい絶景も
南米の過酷な自然の中を走るダカールラリー 【写真:ロイター/アフロ】
しかし、10代から20代の方からは、「ダカールラリーって何?」「何かのグループ名?」という、とてもストレートなリアクションをいただきます。
残念ながら、以前ほどの認知度がないダカールラリー。そんな時、私はこんな説明をします。
40代以上の方には「南米の魅力的なマーケットに向けて、今では南米で開催してるんです。特にアルゼンチンは牛肉とワインがおいしいんですよ」。
若者世代には「約2週間、キャンプしながら9000キロくらい走るレース(ラリーとはいわない)で、エクストリーム系スポーツの要素が強くて、スポンサーの多くはエナジードリンク系がついているんです。あと、死ぬまでに一度は見たい絶景と言われている『ウユニ塩湖』も通るので、とてもきれいなんですよ」と、伝えるようにしています。
そうすると、「へえー、そうなんですね」と、身を乗り出してくる率がグッとアップします。
死ぬまでに一度は行きたいと言われる絶景が広がるウユニ塩湖もコースの一部 【写真:杉山友輝】
肉でもワインでも絶景でも、ダカールラリーへの入口は何でもOK! 私はぜひ一人でも多くの方に、このラリーの魅力を知ってもらえたらありがたいです。
ということで、皆さん初めまして、『J SPORTS』のダカールラリー担当者プロデューサーの杉山友輝(通称:スギP)と申します。
今回チャンスをいただきまして、ダカールラリー2018にあたり、コラムを担当させていただくことになりました。
始まりはある青年の呼びかけから
そして彼はこんな言葉を残しています。
「冒険の扉を開くのは君だ、望むなら連れて行こう」
旅をしながらラリー競技をするという、スケール感の大きな「パリダカ」は多くの冒険家やモータースポーツ関係者から支持され、倍々ゲームのように人気は世界的に拡大していきました。
スタート地がポルトガルになったり、ゴール地も基本ダカールを中心としてエジプトや南アフリカになったりと、常に新しい冒険を求めて、変遷を重ねていきました。
81年の第3回大会からは日本人も出場し、バブル景気が背中を押す形で多くの日本メーカー&選手が参戦。日本国内大手音響メーカーが大会のメインスポンサーになったり、三菱パジェロで出場した篠塚が優勝したりと、日本でのパリダカ知名度は一気にアップしました。
しかしバブル崩壊により、出場する日本車メーカーも減少。日本におけるパリダカはだんだんと「知る人ぞ知る」的なモータースポーツへと形を変えていきました。そして、2008年1月、ダカールラリーはアフリカへ別れを告げます。大会を中止に追い込む事態が発生したのです。