パリもダカールもないのにパリダカ!? 第40回ダカールラリーの見どころ紹介
前日に中止が決定した第30回大会
前回の17年大会、ボリビアの首都ラパスへ向かう道には40キロに渡って、約300万人が沿道に詰めかけた 【写真:杉山友輝】
主催者は安全確保の観点から、開催は不可能と判断し、スタート前日の1月4日に大会の中止を決定したのです。
選手、スタッフ、関係者など総勢1万人、誰もがあてどもない1月を過ごすこととなりました。私も当時、2週間連日放送する30分の番組プログラムが、ぽっかりと空いてしまい、各所への対応に追われた記憶があります。主催者から急遽送られてきた映像フィードは、3分程度の大会中止の記者会見映像。同時通訳をつけ、すぐに放送しましたが、スポーツが平和でなくてはできないと改めて感じた時でした。
新たなる冒険の舞台は「南米」
数カ月後、主催者がさらなる冒険を求めて、新しいパリダカの舞台として発表したのは南米でした。舞台を南米に移しても、ティエリー・サビーヌの提唱した「旅をしながらラリー競技をする」という冒険に挑む精神は変わりません。その象徴として「ダカールラリー」という大会名称が残されたのです。
09年に初めて南米で開催された「ダカールラリー」は、アルゼンチンのブエノスアイレスをスタートし、チリのバルパライソ(ユネスコの世界遺産にも登録されている美しい街並みを持つ港湾都市)で折り返し、再びアルゼンチンへ戻るというルート。
以後、ペルー、ボリビア、パラグアイなどをルートに取り入れながら南米に移って10年目、18年はペルー、ボリビア、アルゼンチンがコースとなります。
総走行距離9000キロのポイントは?
選手たちの多くは、南米に移ってから最も厳しい大会になるだろうと分析しています。難しさの要因、それは見どころとも言えるのですが大きく分けて三つ。
砂漠、高地、灼熱です。
そしてボリビアの首都ラパスを目指すコースは、富士山よりも高い標高4000メートル以上が主戦場となるため、選手たちは常に高山病のリスクと隣り合わせになります。その後、標高を下げながらアルゼンチンへと進むと、高山病から解放された選手たちをアルゼンチンの灼熱の太陽が襲います。
寒暖差、標高差の中での2週間、選手は風邪もひくし下痢もします。もちろんマシンも満身創痍になっていきます。常にベストがない状態の中、いかにコンスタントに毎日の競技に臨むかが、選手たちにとっての課題となるのです。しかし、だからこそ、この「ダカールラリー」が世界一過酷と言われるのかもしれません。
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【放送日】2018年1月7日(日)〜21日(日)
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