コーチも称賛する宮原知子の“辛抱強さ” 全日本フィギュア4連覇で涙の初五輪

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濱田コーチ「私があの子に引っ張られた」

演技後の宮原を迎える濱田コーチ。その目には涙があふれていた 【写真は共同】

 宮原はけがをして以来、今できること、今すべきことを精いっぱいやってきた。氷の上に立てないのであれば、映画や音楽を聴き、自身の感性を磨いた。休みが必要なときは休み、骨密度を高くするために食べる量を増やした。濱田コーチはその姿勢を称賛する。

「けがをしてから次々といろいろなことが起きたんですけど、そのときにやれることをやるというのが一切ぶれなかったし、泣き言ひとつ言わなかった。右足がだめなら左足でできること、ジャンプが跳べなかったらステップをやる。足が痛いときは、真っ直ぐ滑るだけでもリンクに降りていましたね。普通だったら、同じ練習仲間がトリプルアクセルや3回転+3回転をばんばん跳んでいる中、自分は足や体の状態のせいでスケーティングしかできないとなったら焦ってしまうものです。できることをやり続けるすごさというのは、私も勉強になりました」

 宮原は宮原で、その苦しい状況を支えてくれる濱田コーチに感謝の念を抱いていた。リハビリ中は自宅のある京都と、東京にあるJISS(国立スポーツ科学センター)を行ったり来たりしていたが、濱田コーチはたびたびJISSを訪れ、宮原を激励した。それに対し、宮原は「感謝してもしきれない」と振り返る。

 そうした宮原の思いを報道陣から告げられた濱田コーチは、再び涙を見せた。

「そうですか。あの子がそんなことを……。努力は報われるんだなと思いましたね。初めて出会ったときは本当に鈍かったから、まさか五輪に行ける選手になれるなんて思わなかった。ただ、ひたむきにすごく練習するので、私の方があの子の気持ちに引っ張られてここまで来たんです。よく辛抱したと思います。本当に我慢ばかりだったと思います」

「自分の一番良い演技で」代表内定

けがをしても辛抱強く努力を続けた宮原。目指してきた「自分の一番良い演技」で五輪切符をつかんだ 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 宮原は10月、GPシリーズに向けたテーマを「初志貫徹」とした。そして、その言葉に込めた思いをこう説明していた。

「昨季はけがもあって、今までにはないような大変な思いや、さまざまな経験をしました。そうした中で、どんなことがあっても、最後は自分の一番良い演技をして、全日本で悔いのないように終わることを目標にしているので、このテーマがぴったりだと思っています」

 参考記録ながら今大会でマークした合計220.39点というスコアは、自己ベストを上回る。回転不足などもあり、決して完璧ではなかったものの、「自分の一番良い演技をして」、全日本選手権を終えた。有言実行したことにより、平昌五輪の代表内定という最高の結果も付いてきた。

「もし五輪に出られるのであれば、もう1回泣いちゃうかもしれないです。そして本当に行けるとなったら楽しみで仕方がないです」

 苦難の道を歩んできた日本女子フィギュアスケート界のエース・宮原知子。自身を「1つ1つの技をコンスタントにこなしていく地味なタイプなスケーター」と評する彼女は、その“辛抱強さ”で氷上に大輪の花を咲かせた。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)

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