サッカー少年だったスラムダンク奨学生 ホール「理想は米国で活躍し続けること」

平野貴也

畔川HC「本当の意味での壁には当たっていない」

高校1年で関東エンデバーに選出され、将来に手応えを感じたと振り返る 【平野貴也】

――ルールも分かっていない状況から、米国挑戦を勝ち取るまでに飛躍した高校3年間を振り返っていただけますか? 成長や自信のきっかけを得たのは、いつだったでしょうか?

ホール 最初に手応えを得たのは、高校1年のときに関東エンデバー(※日本バスケットボール協会は、世界に通用する選手育成を念頭にエンデバー制度という一貫指導システムを02年度から採用。関東エンデバーは、全国9ブロックで行われているブロックエンデバーの1つ)に選んでもらったときです。選抜された選手の中でもある程度通用して、自信がつきました。もっと高いレベルでプレーしたいと思うようになりました。

 全国大会にいきたいと思ってやってきたのですが、最後まで出られなかったのは悔しいです。ウインターカップ予選決勝の正智深谷戦は、自分が第1クオーター(Q)でファウルを3つしてしまい、第2Qにも1つして4ファウルになってしまって第3Qは出られなくて、一気にチームの士気を下げてしまいました(※個人のファウルが5つになると退場になるため、通常3つ、4つ目からプレータイムを制限する)。

畔川HC 入部当初は、パワーがあって勢いがありました。でも、プレーをしていくうちに失敗もして、パニックになっていた時期がありました。もともと素人同然ですから、やらなければいけないことをどんどん知っていくのに、どれもできないということで、怖さを知ったのです。伝統のあるチームのプレッシャーも感じていたと思います。

 ただ、2年生になったころには初心者と言ったらウソになるというレベルになりました。彼を指導することで、私自身も指導方法が変わっていきました。彼は、自分でしっかりと理解できないと、実践できません。「やれ、頑張れ」と言って「はい」と答えてやってみるタイプではありません。理解させることが最初は難しかったですね。

 でも、他の全国の名だたる強豪校の指導者に見てもらっても、やっぱり潜在能力は高いと言ってもらいましたし、私が過去に見てきた選手の中でもトップです。我慢をしながら試合で起用して、指導をしていきました。実際、教えていくと吸収力はすごかったです。彼は性格が明るいし、最後はチームを救う存在になっていました。他にもいい選手がいたので、今年の全国大会に連れていってあげられなかったのは痛恨でした。

――プレー面の強みや特長、課題はどのように捉えていますか? サッカーの経験が生きている部分はあるのでしょうか?

ホール サッカーをやっているときから体幹トレーニングはやっていましたし、体の強さはあると思いますけれど、それが強みかと言われると普通かなと思います。まだ、強みと言えるものはありません。課題は、ハンドリングとシュートです。サッカーをやっていて良かったと思うのは、当たりの強さと走力です。

――畔川先生は、どのように育成していこうと考えたのですか?

畔川HC アレックスに限らず、うちのチームでは、特定のポジションだけで鍛えるということは考えていません。アレックスもオールラウンドにできる選手にしたいと思ってやってきました。特に、彼がやりたいと思うプレーをまずやらせて、壁にぶつかったら教えるという形にしました。

 彼が好むのは、ミドルレンジからシュートに持ち込むプレーです。オフェンスの幅は、どんどん広がっていきました。パワーでは身長2メートルを超える留学生にも負けません。ただ、大学生相手の練習試合などはありましたが、全国大会に出られませんでしたし、本当の意味での壁には当たれないままだったかもしれません。

 精神的な部分では、インターハイやウインターカップで経験したと思いますが、全国大会に出られなかったので、U−18日本代表なども経験させられませんでした。彼のプレーを見てもらう意味でも、彼に経験を積ませるためにも、全国大会に出してあげたかったですね。指導者としては、申し訳ない気持ちがあります。

ホール「米国の大学に進みたい」

――ウインターカップの予選で敗れて、高校バスケ界での挑戦は区切りを迎えました。現在は、米国での挑戦に向けてどのように過ごしているのですか?

畔川HC 向こうでスムーズにプレーをするためにも、プレップスクール(進学の準備教育を行う学校)で活躍した後に米国の大学に進もうとするためにも、とにかく英語ができなければなりません。過去に英語のレベルが追いつかずに苦しんだ選手もいます。ですから、現在は英会話の塾に通っています。

ホール 授業前に自主練習でハンドリングのトレーニングをして、授業後は英会話の塾に行っています。英語は、リスニングはある程度できるのですが、話すのは少ししかできません。父親が日本語交じりの英語で、僕が英語交じりの日本語で話すような感じで、小さい頃から父親の英語を聞いているからリスニングができるのだと思います。

――プレップスクールへの留学から先の夢は、どのように描いていますか? NBAやBリーグといったプロチーム、あるいは日本代表で五輪を目指すといった活躍につながればと楽しみですが、最後に米国での挑戦に向けた期待と意気込みを聞かせて下さい。

畔川HC すぐに帰ってきてBリーグを目指すということではなく、できれば少しでも長く米国で挑戦してほしいなと思っています。パスもシュートもディフェンスもやれる選手になってきましたが、彼のようなプレーができて、さらに彼よりも大きいという選手がたくさんいるのが米国です。

 もちろん、すぐに帰ってくることになる可能性だってあります。でも、本人にも言っていますけれど、人生は一度ですから、やりたいならチャレンジする価値はあると思います。

ホール 厳しいチャレンジであることは、覚悟しています。でも、楽しみの方が大きいです。不安は2、3割です。代表で五輪……。ちょっと、まだ想像がつかないですね(笑)。あんまり、先のことまで見ずに、目の前のことを考えていくタイプなので。プレップスクールで活躍して、米国の大学に進みたいというところまでで、その先はまだイメージしていません。ただ、理想は、日本に戻ってくることなく、向こうで活躍し続けることだと思っています。


 ホールは、高校卒業後の3月に米国へ渡り、セントトーマスモアスクールへ留学する。目標とする大学などに進学するための準備を進める学校であるプレップスクールだ。バスケットボールで評価を得て、当地の大学に進み、NCAAでプレーすることが現在の目標。チーム活動に参加できるのは9月から。それまでは、もっぱら語学研修と自主トレーニングで準備を進めることになる。サッカーとバスケットボールという二刀流から生まれたダイヤの原石は、父の母国で何を得るのか。大きな可能性を持つ挑戦に注目だ。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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