ソフトB千賀滉大の長くて濃い1年 苦しみの末に手に入れたもの

週刊ベースボールONLINE

WBCではベストナインを獲得した千賀。ペナントレースでは背中の痛みに苦しみながらも、13勝4敗、勝率7割6分5厘で最高勝率のタイトルを獲得して日本一に貢献した 【写真=BBM】

 プロ7年目を迎えた福岡ソフトバンクの千賀滉大。2017年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でベストナインに選ばれ、開幕してからも先発ローテの軸として好調な滑り出し。しかし、ある試合を境に状況が一変する。登板するごとに襲われる背中の張りと痛み。それでも最後まで腕を振り続け、念願のタイトルと日本一にたどり着いた。

すごいものを見てきたWBC

――今季はチームの2年ぶりの日本一奪回に大きく貢献しました。

 これまでと比べてもチームに貢献することができたと思います。日本一になった直後は「おめでとう」という声援をたくさんいただいて、あらためて日本一を実感することができました。長い1年だったので、日本一で終わることができて良かったです。

――WBC出場から始まったシーズン。あらためて振り返ると?

 長くて濃い1年でしたね。3月にWBCで違う野球を見ることができて、日本の野球との違いを実感できたし、野球の見方が広がったような気がします。だからといって日本でのプレーに変化や影響があるわけではなかったですし、具体的に何かと言われると説明するのは難しいのですが、すごいものを見てきたなという感覚はありますね。

――メジャーへのあこがれにつながるものだったのでしょうか。

 まあ、そうですね。自分がもしこの世界に飛び込んだらどうなるんだろう、という気持ちは正直ありましたね。すごく、不思議な感覚でした。

――迎えたペナントレース。どんなシーズンにしたいと思って開幕を迎えましたか。

 WBCがあったので、とにかくケガをせずに1年間、先発ローテーションを回りたいという思いが一番強かったです。

出力に対しての筋力が足りなかった…

――しかし、背中の張りに苦しめられることになってしまった。

 シーズン中はほとんどずっと背中が痛かったので、苦しかったですね。特に登板したあとは張りと痛みが一番強く出ていたので、なかなかしんどかったです。

――疲労の蓄積が原因だったのでしょうか。

 もちろんそれもゼロではないと思いますけど、それ以上に自分の出力に対しての筋力というものがまだまだなのだと思います。1試合だけなら何とかなっても、1年間投げるという意味ではまだフィジカルが足りない。しかも今年はその1年間がいつもより長かったので。

――背中の痛みにより9球で降板を余儀なくされた5月16日のオリックス戦(京セラドーム)のあと約1カ月の離脱がありましたが、復帰後もしっかりと試合を作っていました。

 でもやっぱり自分の投げたいようにはなかなか体が動いてくれないことも多かったです。それでも要所で気持ちが込もったときにはしっかりと投げることができていたので、その点は良かったのかなと思いますけど。

――体が万全なら、と思うこともありましたか。

 う〜ん、打たれたときにそういう気持ちになることもありましたけど。でも、それが今の自分だと思っていたので、「万全だったら」ということよりも、「万全ではない中でどうするか」ということに必死でした。

拓也とのバッテリーは楽しかった

――17年はストレートの割合が少し減り(16年52パーセント→17年48パーセント)、フォークの割合は増えています(16年20パーセント→17年25パーセント)。フィジカルの問題もあって組み立てが変わったのでしょうか。

 やっぱり(甲斐)拓也とバッテリーを組み始めたことで、そういうふうになったのかなと思います。真っすぐがいいときは拓也がしっかり真っすぐを使ってくれますし、拓也の中で「今日は真っすぐが来てないな」と感じたら、変化球に切り替えていたのだと思いますね。

――4月11日の北海道日本ハム戦(札幌ドーム)では史上初の育成選手出身の先発バッテリーとして勝利を飾りました。やはり甲斐選手の存在は大きかった?

 拓也は本当にいいですね。1年間、先輩キャッチャーではなくて同級生と一緒に組むというのはすごく楽しかったですし、だからこそ最後までやっていけたんじゃないかなと思います。それに何と言っても肩が強い。ランナーを気にしなければいけない場面も減ったので、それも僕には大きかったですね。

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