「ノアの聖地」ディファ有明の歴史に幕 記憶と記録に残る思い出を振り返る
「ノアの聖地」とも呼ばれた東京・ディファ有明が来年6月を持って閉鎖 【写真:SHUHEI YOKOTA】
ディファ有明は、ディスコやライブハウスが入ったイベント施設「MZA有明」として1988年7月にオープン。当時の「ウォーターフロントブーム」の先駆けとして、外国人タレントのライブやディスコ客で賑わい、80年代後半から90年代前半のバブル時代の象徴となったが、バブル崩壊による運営会社の倒産などがあり、2000年に格闘技アリーナとして改名・改装された。
「ノアの聖地」ながら、こけら落としは全日本
ノアは旗揚げ後も同所で定期的に興行を行い、若手主体の興行「プロレスリングSEM」なども実施。ノアだけではなく、他団体も使用しており、最近では、新日本プロレスが1.4東京ドーム大会の直前に行う「大プロレス祭り」の会場としても認知されていた。そのほか、パンクラスやZST、DEEPといった総合格闘技、キックボクシングやボクシングの格闘技団体も定期的に興行を開催。花道が常設されていることや、元ディスコであったことから、アイドルのイベントや映画・ドラマの撮影など、さまざまな用途で需要があった。
会場の作り自体は東京・新木場1stRINGに似ており、ステージ側だけにひな壇が組まれ、選手は立体花道を歩いてリングイン。売店フロアの広さと、女子トイレの数の多さが特徴で、会場2階にはバルコニーもあるが、基本、立ち見は禁止となっている。
会場の横にかつてのノア事務所&道場があり、00年の発足会見で選手たちの記念撮影が行われた階段を上り、ディファ事務所の横を抜けていくとノアの事務所、さらに1フロア上に道場があり、トレーニング機材やリングが設置されていた。
「プロレスの聖地」後楽園ホールは、東京都のど真ん中、JR総武線の水道橋駅から徒歩5分程度の好立地にあるが、ディファのある場所は、01年にりんかい線、06年にゆりかもめが開通するまでは「陸の孤島」であり、公共交通機関を利用して会場に行くには、都営バスなどを利用するしかなかった。当時の最寄り駅であった営団地下鉄有楽町線・豊洲駅からは徒歩約30分。また、会場のオープン当初は会場横にコンビニエンスストアもなく、ファンは会場名物のディファカレー(500円)で腹を満たすのが恒例となっていた。
そんな昔の思い出も、もうじき過去のものとなってしまうかと思うと、淋しさが増すばかりである。