中島翔哉、個人技を武器に欧州の舞台へ FC東京からポルトガルへ続く“わが道”
ハードワーク路線での再出発
パスへの意識を高め、中島(23番)は再び主力選手の座に躍り出た 【(C)J.LEAGUE】
パスの判断について「それは意識しています。自分が点を取るだけでなく、ほかのプレーもできる。それを出しながらゴールだったりアシストだったりを、毎試合やりたいと思っています」と言うようになったのは、そうしないと試合に出られないことを自覚していたからでもある。
篠田監督は常々「ゴールへと向かう思いきりのよさを失ってほしくない」とただし書きをつけながらも、球離れの遅さ、パスかドリブルシュートかの判断についての改善を願っていた。その期待に中島は応えようとした。
他人を使うことを覚えたうえで、ドリブルシュートの“わが道”に復帰した中島は、3−1−4−2の採用とともに、再び主力選手の座に躍り出た。
前からボールを追う、猛烈にプレスバックする、ボールを奪ったらショートカウンターで一気に攻め上がる。昨年の後半にできていて、今季の第1節と第2節にもできていた、激しく上下動するサッカー。それは一時、失われていた。サマーブレーク後、活気を取り戻すために3−1−4−2へとフォーメーションを変更すると、消えていた風景が帰ってきた。結局、中島もチームも回帰したのである。だが、ただ元通りになったわけではない。
螺旋(らせん)状の進歩。回り道をしてひとまわり大きくなっての、ハードワーク路線での再出発だった。
スピードに乗ったなかで個人技を発揮できるか
リオ五輪でも喝采された中島。1対1の勝負が求められるポルトガルで、高い個人技を発揮できるか 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
今シーズンの半分を折り返し、中島のゴールは2。数字は物足りない。それでも橋本が「翔哉が(欧州1部のクラブに)行けたということは、ここまで残してきた結果が素晴らしいものなのだと、あらためて感じた」と言うのは、ここまでの中島の働きを認めたからだろう。
それはファンも同じだ。夏の移籍ウインドーが閉まりかけた8月23日になり、ようやくポルティモネンセへの移籍が成立。現時点ではFC東京で最後の試合となる26日のJ1第24節、横浜F・マリノス戦を前に慌しく設定された「ふれあい」には、急な呼び掛けにもかかわらず、23日に250人、24日に335人ものファンが詰め掛けた。関心がなければ、そんな行動はとらない。
「FC東京で速いサッカーをしてきたことが結果的に欧州へ行くための積み上げになったのか」と尋ねると、中島は同意した。
「それはあると思いますし、いつでも行けるようにはプレーしてきたつもりです」
スピードとパワーは明確に増した。すっかりたくましく、男らしい顔つきになったと思ったら、移籍の発表と同時に結婚も発表していた。「ひとりでいるより心強い」「そばにいてくれるだけでいい」と、歌い上げるように夫婦仲をかみ締めた。
その礎に支えられて挑むのは、1対1の個の勝負で勝つことが求められる南欧のフィールドだ。リオデジャネイロ五輪でブラジル人から喝采された中島は「けっこうブラジル人に好まれるプレースタイルだと思う。それはポルトガル人にも言えると思いますし。日本人に好かれるというよりは、そっち系(ポルトガル語圏)の国の人たちに好まれるプレースタイルだと思います(笑)」と言った。
組織的なプレッシングが年々広まる現代にも「やあやあ、われこそは」と、名乗りを上げるかのような1対1の光景が色濃く残る“ラテン風味”の世界に、プレースタイルの変遷をめぐる中島翔哉の物語は続いていく。スピードに乗ったなかで精度の高い個人技を発揮できるか否か。異国を舞台にした新章が楽しみだ。