日本リレーが「走力」で勝つ時代へ 世界陸上初のメダル獲得が示した未来

高野祐太

台頭した多田の存在、今後の成長テーマ

今季、一気に台頭した多田。大舞台でもその勢いは発揮された 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 その観点では、今年の5月までは無名に等しかったのに日本選手権で2位に入る“下克上”を演じた多田は注目すべき存在だろう。
「僕が走っていると人一倍足音がすごいと言われるんですよ。アップシューズで走っていると音がすごいと言われることが多くて」
 自分の走りについて、多田はそう語っていた。

 接地時の破裂音が大きい。これは、動作分析の専門家によれば「地面に与える力が大きいということになり、彼の速さの特徴を表している」という。
 また、大阪桐蔭高校時代の花牟禮(はなむれ)武監督は「当時、ミニハードルを等間隔で10台置いて片足でジャンプするホッピングで、彼は4.2メートル間隔をこなしていました。高校レベルでは突出したデータです」と語っていた。
 跳ね上がるような脚力を、さらに効率的に走るスピードに変換できたとき、多田のタイムはもっと上がっていくに違いない。

 ただ、今大会の多田に関して言えば、複数の関係者が「走りに疲労の蓄積が見られた」と指摘している。開幕直前、多田を知る関係者は「彼は練習で自分の走りを作り上げた自負がある。だから、世界選手権の直前でも手を抜くのが怖いのでしょう」と話していた。努力家の一面が裏目に働いたのかもしれない。「万全の状態ならもっと良い走りができたはず」(関係者)なのだ。

 狙ったレースで最高の状態を作り上げるという、ピーキングに成功することは一流の証しと言える。例えばボルトがそうだった。五輪や世界選手権で勝って“伝説”を紡ぐとき、いつもそのシーズンのベスト記録をたたき出してきた。そして、最後のロンドンでもそれは果たしたが、皮肉と言うべきか勝てなかった。
 ピーキング術は今後、世界と渡り合う上で隠れた大事なテーマになるかもしれない。

サニブラウンの合宿不参加と陸連の判断

足の具合により、リレーは回避したサニブラウン。しかし、100で準決勝、200では決勝に進出した 【写真は共同】

 そこに一石を投じる形となったのが、サニブラウンだった。

 7月中旬に山梨県富士吉田市で男子短距離の代表合宿が組まれた際、オランダに拠点を置くサニブラウン陣営は不参加を表明した。代表合宿に参加することはリレーメンバーに選ばれるための実質的な条件であり、これまでの代表合宿ではあまりなかったことだった。だが、今までにない地理的な壁という状況が生まれ、長距離移動による負担を回避するのが賢明だと考えた。
 日本陸連の男子短距離部は、その意向を了承し、サニブラウンについてはロンドンに現地入りしてからの練習参加だけで臨むことにした。それは陸上競技が本来は個人競技であるという原点を大切にした判断であり、今後の代表合宿のあり方のモデルともなる対応だったと言える。
 そのおかげもあり、ピークを合わせたサニブラウンは世界にとどろくパフォーマンスを見せてくれたのだった。

 日本代表は五輪と世界選手権に臨むに当たり、これまでシーズン前と大会の1カ月弱前にリレーのための合宿を組んできた。そこでお家芸のアンダーハンドパスを磨き上げ、走力の不足を補ってリオ五輪銀メダル、08年北京五輪銅メダル(ドーピング違反で銀に繰り上がる見通し)などの成果を上げてきた。
 だが今後は、選手の活動形態がグローバル化する流れにある。サニブラウンはこの9月から米国のフロリダ大に進学し、拠点は完全に米国に移るし、ケンブリッジも春の時点で今秋以降に海外に拠点を移す計画を語っていた。

 少し先のことを考えて、海外を中心にした活動を選択する選手が増えたとすれば、日本に集まって合宿を組むのはどうしても無理が生じてくる。そのときどきの候補選手たちの拠点の場所に応じて、合宿場所を海外にした方が無駄がないということだってあるかもしれないし、場合によっては思い切って1カ月前の合宿は現地入り後の練習に集約する手もあるかもしれない。
 しかも日本には、多少、練習不足でも、それを補うノウハウやデータの蓄積がある。リオ五輪で銀メダルを獲得したときも、新たに代表チームに参入したケンブリッジが当初はバトンワークがこなれていなかったが、本番までにスキルを身につけることができた。そうした蓄積が日本の強みとして機能し得る。

“4継”の素晴らしき悩み

バトンをつなぐ、藤光(左)と桐生 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 伝統の“4継”を洗練させるのか、個人種目を優先するのか。これは個人種目で決勝が狙える時代を迎えたとき、頭を悩ませる問題になるかもしれない。だが、簡単ではなくとも両立は可能だし、それは何と素晴らしい悩みだろうか。
 ロンドンのトラック上で歴史に残るパフォーマンスをしたサニブラウンは、そんなモデルを提示するきっかけを作ったという意味でも革新だったのだ。

「この場の6人、ここに来られなかったみんなでこれから先、これぞ日本の陸上という走りで盛り上げていきたい」

 テレビカメラの前で桐生が語った言葉が、未来を明るく照らしているように響いた。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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