- 週刊ベースボールONLINE
- 2017年7月28日(金) 10:00

今年のペナントでセ・リーグ2位につける横浜DeNA。キャプテンであり主砲の筒香嘉智と、ショートのレギュラーとして全試合スタメン出場する倉本寿彦は、名門・横浜高で同じ甲子園を経験した。1学年先輩と後輩が振り返る9年前の夏の光景──。
強豪校を撃破して4強進出

1年から名門の4番に座った“怪物”筒香の甲子園出場は、2年春夏の2回(3年夏は神奈川大会の準々決勝で敗戦)。倉本ら才能豊かな先輩たちと聖地に立った。
──横浜高が4強に進出した2008年夏、甲子園の記憶は残っていますか。
倉本 よく覚えています。「勝つんだ!」という強い想いでプレーしていましたし、「勝てる」と思って戦っていました。あの年、センバツでは初戦敗退(2回戦・北大津高)。それが夏は、1回戦の浦和学院高に始まり、広陵高、仙台育英高、聖光学院高と強豪ばかりの中で、勝ち進むことができたのは良かったかなと。
筒香 先輩たちにとって最後の大会だったので必死でやるだけでした。僕の一つ上の学年は、倉本さんはじめエースの土屋さん(健二/元北海道日本ハムほか)らすごい選手が多かったんです。僕らが3年になったときは、先輩たちをお手本にしていたし、あらためて先輩たちのすごさが分かりました。
──倉本選手は当時「1番・ショート」でした。
筒香 はい。めちゃめちゃ打っていました。
倉本 そんなに打ってない(笑)。
筒香 プレッシャーばかりかけられましたから。(4番の自分の)前で出塁して「俺をかえせよ」というプレッシャーですね(笑)。
倉本 そんなことないだろ。ゴウ(筒香)は初対面のときからインパクトがすごかった。入学当時から飛距離はハンパなかったし、すぐに試合に出るようになった。体も大きかったけど、パワーというよりバランス。ボールの飛ばし方を分かっている感じでした。
筒香 いや、それほど違いはなかったです。高校の1年間というのは大きくて、入学したばかりの1年生と2年生の差は大きいですから。でも、横高(横浜高)は上下関係が厳しいというよりは、野球に関しての厳しさがありました。
倉本 あの夏はとにかく、甲子園に行きたい、甲子園で勝ちたいという想いで厳しくやっていた記憶ですね。打順では自分が1番を打っていましたが、どんな形でも勝ちにこだわる野球をしていました。
筒香 でも、厳しくはあったけれど先輩たちは優しかったですし、楽しみながらも、思い切ってプレーさせてもらっていました。
──筒香選手は、浦和学院高との1回戦では7番を打つなど打撃で苦しんでいました。そうした状況で甲子園では大会3本塁打を放つなど、プロにつながる大きな経験を積んだのではないでしょうか。
筒香 確かに苦しんでいましたけれど、僕は甲子園がプロの世界につながるかといえば、それは別モノだと思います。練習をしたこと、野球に対する考えはつながりますけど、甲子園がそのままプロに生きているかといえば、そうは思えないです。ホームランに関してもそうですね。もちろん、打ったホームランはうれしかったですよ。
倉本 でもチームとしては、苦しいときのゴウの一発だったので、頼もしかったです。こういう存在がチームにいると大舞台では勝っていけるんだな、と感じました。
筒香 初戦の浦和学院高に勝って結構いけるんじゃないかと僕は感じました。先輩たちの戦力もそろっていましたから。自分が2ランを打ちましたが、それよりもチーム全体に勝っていこうという、流れがあったんです。