2016年 吹田スタジアムの価値<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

「スタジアムを10年で10個、造ってくれ」

Jリーグ・スタジアムプロジェクトの責任者である佐藤仁司。当時のチェアマン、鬼武健二から新たなミッションを託される 【宇都宮徹壱】

 もうひとりの証言者である佐藤は、80年に三菱自動車工業に入社。当時としては珍しく、学生時代から欧州を旅行して現地でサッカー観戦をするのが趣味だったという。日本サッカーリーグの主務兼運営委員だった経験を買われ、Jリーグ開幕直前に浦和レッズの立ち上げに関わり、そのままスタッフとして05年まで活躍。その後はJリーグに籍を移し、アカデミーの立ち上げやイレブンミリオンプロジェクトに参画する。この時の経験が、のちのスタジアムプロジェクトにつながっていったというのが本人の弁である。

「(プロジェクトの)きっかけは2つありました。まず、Jリーグ事務局の藤村(昇司)部長による「欧州におけるサッカースタジアムの事業構造調査」。大変よくできたレポートで、Jリーグとしてもスタジアムにもっと目を向けなければならないという意識が共有されました。もう1つが「イレブンミリオンプロジェクト」。試合前後のファンサービスやアトラクション、グルメ。お客さんを集めるために、各クラブはさまざまな努力をしてきましたが、最後はどうしてもハードの問題にぶち当たっていました。屋根がないとか、アクセスが悪いとか」

 藤村による、スタジアム事業構造調査のレポートが作成されたのは08年。この時、Jリーグは開幕から15年が経過していた。初代チェアマンの川淵が提唱した「全国に芝生のグラウンドを」というスローガンは、すでに着実に実行されている。「芝生の次はスタジアム」──そんな機運がJリーグの中で共有されていったのは、時代の必然だったのかもしれない。そして09年、佐藤は当時のチェアマン、鬼武健二から新たなミッションを託される。

「鬼武さんの言葉は、よく覚えていますよ。『あんたは海外のいろいろなスタジアムをよう知っとるんだから、欧州にあるようなサッカースタジアムを10年で10個、造ってくれ』という感じでしたね(笑)。まあ、さすがに10年で10個というのは無茶な話ですが、私は鬼武さんに『予算は少なくていいので、長いスパンでやらせてください』とお願いしました。イレブンミリオンは、4年間でJリーグの総入場者数を1100万人にするというプロジェクトでしたが、スタジアムというのは4年でどうこうできる話ではない。ですので、長いスパンで取り組むことが肝要だと感じていました」

 かくして09年、Jリーグでは佐藤をリーダーにしたスタジアムプロジェクトが、わずか2名の小所帯でスタートする(2人体制は現在も同じ)。そして前年の7月には、金森が社長に就任したG大阪が新スタジアムの建設プロジェクトをすでに公表していた。この時、すでにクラブ側は、可能な限り寄付金によって建設費を賄うという方針を固めている。「スタジアム建設募金団体」が設立されるのは、10年3月のこと。ただし募金団体の設立には、強力な後ろ盾が必要である。金森はさっそく、協力者となってくれる「同志」を得るための行動を開始した。

<後編につづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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