配置転換に向き合ったDeNA救援陣 山崎康晃と須田幸太の1カ月

日比野恭三

須田の防御率は一時3ケタに

開幕3戦目のヤクルト戦でサヨナラ満塁弾を浴びた須田 【(C)YDB】

 7回を山崎、8回を三上朋也と砂田毅樹、9回をパットンが抑える。新たな“勝利の方程式”に、昨季チーム最多の62登板を果たした右腕の名前がない。

 須田幸太。

 2017年シーズンの開幕を、葛藤を整理しきれぬまま迎えていた。3月半ば、こんな話をしていた。

「去年の自分を超えなきゃいけないというプレッシャーと、でも去年の実績があるっていう慢心もどこかにあって。そういうのがごちゃごちゃになってますね、いまは」

 不安は的中する。

 3月31日の開幕戦で2番手としてマウンドに上がると、1アウトを取っただけで3人の走者を残したまま降板。結局、須田が出した走者は全員が生還し、「自責3」が記録された。

 さらに4月2日には、延長10回裏、1死満塁のピンチで登板。その初球はレフトフェンスを越えるサヨナラ本塁打となり、さすがに精神的なダメージの大きさは隠しきれなかった。

 そこからの須田は、一歩ずつ、復調へと向かっていった。一時、108.00まで膨らんだ防御率は、5月3日の試合を終えた時点で5点台まで落ち着いた。

大きな気づきを与えた江尻氏の言葉

 その途上、いったい何があったのか。須田は言う。

「きっかけは、元ベイスターズの江尻(慎太郎)さんからのアドバイスでした。解説の仕事で来られていた時に、『去年の自分とばかり勝負していて、相手と勝負できてないんじゃないか』と言われて。自分と勝負するんじゃなくて、バッターと勝負すること。防御率とか自分の成績を考えずに、一人ひとり、1アウトずつ取っていけ、と」

 江尻氏も現役時代、シーズン50試合、60試合と登板した中継ぎ右腕だった。早稲田大の先輩でもある江尻氏の言葉は、須田に大きな気づきを与えた。

「それからはマウンドに上がる時の気持ちが全然違うものになりました。“どういう球を投げよう”じゃなくて、“どうやってこのバッターを抑えよう”になったんです」

 勝ちパターンの一角からは外れたが、僅差のビハインドで出番がめぐってくることが多くなった。須田は「ベストな立ち位置」と言い切る。

「勝ち継投で投げたいとも思わないし、相手にいってしまった流れをこっちにもってこさせる、それが生きがいです。今年も絶対にチーム最多登板したいと思ってるんで。ここからはそこに向かって、バッターと勝負していきます」

 5月6日のヤクルト戦、2点ビハインドの場面で登板した須田は塁を埋めてイニング途中でマウンドを降りた。その後、3人の走者は本塁を踏み、防御率は8点台へと逆戻りした。

 同じ日、山崎は延長10回のマウンドに立ち、3つのアウトをすべて三振で奪った。総力戦の一員として、0−5の劣勢をひっくり返してのサヨナラ勝利に貢献した。

 打たれる日もあれば、抑える日もある。打たれては苦しみ、学び、抑えては拳を握り、また次もと手綱を締める。1シーズンに何十試合もマウンドに上がるリリーバーたちは、そうやって日々成長し、強くあらねばならない選手たちだ。

 開幕早々、試練と対峙したDeNAの救援陣。配置転換という現実に正面から向き合い、それぞれの仕事場で再び輝こうとしている。

(取材協力:横浜DeNAベイスターズ)

2/2ページ

著者プロフィール

1981年、宮崎県生まれ。2010年より『Number』編集部の所属となり、同誌の編集および執筆に従事。6年間の在籍を経て2016年、フリーに。野球やボクシングを中心とした各種競技、またスポーツビジネスを中心的なフィールドとして活動中。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント