「愛されたスケーター」村上佳菜子の引退 浮き沈み激しい競技人生も、最後は笑顔で

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以前は跳べていたジャンプが決まらず

現役最後となった、昨年12月の全日本選手権は8位。「すべてにおいて限界を感じていました」と苦しみながらも、精いっぱいの演技を見せた 【写真:坂本清】

 14−15シーズン、村上は明らかに無理をしていた。「GPファイナルには絶対に出場したい」とこれまでは口にしなかった目標を語ったり、「五輪に出場した選手として、日本の女子を引っ張っていきたい」と自らを奮い立たせる言葉を発したり、はた目に見ても力が入り過ぎているように感じられた。自覚が出てきたと言えば聞こえはいいが、その責任感がかえって村上の持ち味でもある笑顔や溌剌(はつらつ)さを奪い、重石になってしまったように思う。

 結局、目標としたGPファイナル出場はかなわず。初優勝も期待された全日本選手権では5位と、シニアに移行してから初めて表彰台を逃した。そして、その後の2シーズンは苦難に満ちたものとなる。

 20代に入り、かつては跳べていたジャンプが思うように決まらない。「小さいころから感覚で跳ぶタイプだった」という村上は、その感覚を失い、ジャンプの跳び方が分からなくなった。「もっとこうしたらきちんと跳べるというのを研究しておけばよかった」と悔やんでさえいた。「自分には表現がある」。そう考えても、競技である以上、ジャンプは跳ばなければいけない。

「今のフィギュアスケート界はレベルが上がっているので、それ(表現力)だけでは厳しいなと感じました」

 最後の試合となった昨年末の全日本選手権のFSで、村上はジャンプの難易度を下げ、完成度の高い演技を狙った。「選手としては悔しい決断ではあったんですけど、皆さんの心に残る演技をしたいと思ったんです」。その言葉通り、村上は万雷の拍手を浴びてリンクを降りた。

「手のかかるスケーターだった」

山田満知子コーチ(左)と樋口美穂子コーチ(中央)のもと、指導者としての勉強を始める村上。写真は13年12月、全日本選手権 【写真:坂本清】

 今後はプロスケーターとして、アイスショーなどに出演していく予定だという。同時に自身が教えを請うていた山田満知子コーチや樋口美穂子コーチの手伝いをしながら、指導者になるための勉強もしていくそうだ。

「私は満知子先生に育てられたと言っても過言ではないくらい、先生に付きまとってやってきました。スケートだけではなく、人としてもいろいろなことを教えてもらったし、『愛されるスケーターになりなさい』と言われてきたので、自分がコーチになったときも、スケートだけではなく、人としても愛される人間に育てたいです。そしていずれは五輪に選手を連れていけるコーチになりたいと思います」

はつらつとした笑顔と、情感あるスケーティング。「愛されたスケーター」はその魅力を存分に発揮し、選手生活に区切りをつけた 【写真:坂本清】

 五輪や世界選手権といった大会でメダルを取ることはできなかった。それでもこの日、多くの選手が彼女の新しい門出を祝い、ファンが温かい声援を送ったように、村上が「愛されたスケーター」であることは間違いない。

「自分でも本当に手のかかるスケーターだったなと思いますし、ここぞというときに失敗して、皆さんにも迷惑を掛けてきたので、本当に申し訳なかったなと思うんですけど、五輪にも出させていただいて、フィギュアスケートを通して、いっぱい成長させてもらったなと思います」

 かつてはよく泣いていた村上が、この日は精いっぱい涙をこらえて、自身の思いを言葉に乗せた。そして最後までトレードマークのあどけない笑顔を崩さなかった。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)

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