イチロー狂騒曲〜シアトル凱旋編〜 自身もファンも印象に残る本塁打

丹羽政善

球場全体に広がったイチローコール

イチローの一発に客席全体が興奮のるつぼと化した 【写真は共同】

 その初戦は、3打数無安打に終わり、第2戦はスタメンを外れると、最後まで出場機会がなく、シアトルのファンは肩透かしを食らった格好。第3戦は「9番・ライト」で出場し、2打席目にレフト前ヒットを放ったものの、試合は一方的な展開となり、どこか盛り上がりを欠く。そのまま静かに幕か――と思われた9回、先頭でイチローが打席に立った。

 すると、客席のファンが、1人、また1人と立ち上がり、さざ波のように広がっていく。やがて、誰彼ともなく、「イ・チ・ロー!」、「イ・チ・ロー!」と声を張り上げ、最初は統一感のなかったそれがやがて一つとなると、球場全体を覆い尽くすほどになった。

 一瞬、昔に戻ったかのような錯覚に陥ったが、イチローはあくまで敵の選手である。試合の大勢が決まっていたから、ということもあるのだろうが、どうだろう、ひょっとしたらマリナーズが逆転されるかもしれないという場面でイチローが打席に入っても、シアトルのファンは、51番の背中に声援を送ったのではないか。

 イチローはといえばその時、思うところがあった。

「全部、期待以上のもので表現してくれるから、本当に打てて良かった。これだけ盛り上げてくれて、寂しい感じで帰りたくないから、そりゃもう、ゲーム展開、勝ち負けに関係なく、今回はそれ(期待に応える)をしたかったという思いが強かった」

 ファンの熱い思い、そして、セレモニーやボブルヘッド人形を配るなどして、イチローのホームカミングを演出してくれたマリナーズの配慮。その気持ちに応えたかった。

 とはいえ、「狙った」とは口にしなかった。しかし、「そのイメージはあるじゃないですか」と暗に匂わせ、続けた。

「そうなったら、いいなあ」

「詰まった」打球はライトスタンドへ

ライトのスイートルームの廊下にあるボブルヘッドコレクションコーナー 【丹羽政善】

 初球。見逃せばボールという高めの真っすぐに合わせると、打球はライトスタンドへ。イチローの手応えとしては、「詰まった」そうだが、背走するミッチ・ハニガーの頭上を超え、白球がスタンドに吸い込まれる。記者席からはそれが見にくかったものの、そのライトスタンドを起点として 悲鳴にも似た声が放射線状に拡散すると、客席全体が興奮のるつぼと化した。 

 イチローもまんざらではない。

「印象に残るわね、これは」

 一塁を回ったところでスピードを緩めた。すると、ヤンキース時代にチームメートだった二塁のロビンソン・カノーが、アイコンタクトをしてきた。三塁の手前では、2011年、12年とチームメートだったシーガーが、やはり、目を合わせてきた。シーガーは試合後に言っている。

「相手選手のホームランなのに、ちょっと鳥肌が立った」

 おそらくそう感じたのは、彼1人ではない。イチローがダグアウトに消えても、歓声が鳴り止まなかった。イチローコールも続く。ファンは、カーテンコールを求めている。しかし、イチローが姿を見せることはなかった。現役最後の打席でホームランを打っても、それをしなかったテッド・ウィリアムスのように。

 ジョン・アップダイクはかつて、その様子をこう記した。

「神は、手紙に返事を書かないものさ」

 ところで、この日配られたイチローのボブルヘッド人形は、ライトのスイートルームの廊下にあるボブルヘッドコレクションコーナーに加わることになるという。

 2001年から12年まで11体(2004年のみプロモーションがなかった)。今回の特別バージョンを加えて計12体。同様にマーリンズ・パークでも展示される見込みとなっている。
■イチロー、ボブルヘッド人形コレクション

左から01年、02年、03年に配布されたもの 【丹羽政善】

左から05年、06年、07年に配布されたもの 【丹羽政善】

左から08年、09年、10年に配布されたもの 【丹羽政善】

左から11年、12年に配布されたもの 【丹羽政善】

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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