関東1部で再出発、岩政大樹が目指す道 「選手は“仮の姿”だと思っていた」

元川悦子

見える世界が広がるような指導を

「鹿島と岡山でも個々のベースは違った。5部の東京ユナイテッドならば指導すべきことはより多くある」と岩政は言う 【写真:アフロスポーツ】

――東京ユナイテッドでは指導者の第一歩も踏み出しますが、ご自身の考え方は?

 東京ユナイテッドのコーチングスタッフは監督の福田さん、元Jリーガーのプロコーチである林健太郎さん、平日午後に事務職員を兼務する星(貴洋)さんと浅海(友峰)さん、そして自分です。もちろん僕もミーティングにも入りますし、練習や試合運営の意見も出していくことになります。

 岡山では選手代表という立場ではありましたけど、自分が仕切ることはなかったので、やはり立場は全く違います。社会人チームですので、選手個々がサッカーをやる意味を見いださなければモチベーションは上がらない。ただ「頑張ろう」とか「必死に走ろう」と言っても選手は動かない。彼らが「このチームに来て良かった」と思えるようにどう導くか。それが僕ら指導者の仕事だと考えています。

 今は平日の火・水・木の夜と土日の週5回活動しているんですが、平日は仕事があって来られないメンバーも多い。その中でできることを日々考えています。

――具体的にはどんなことをピッチ上で教えたいですか?

 サッカーの見方を教えて、プレーすることが面白くなるように、見える世界が広がるように仕向けていきたいですね。試合をするにしても、どうしたらうまくいくか、ゴールが奪えるかといったアイデアを伝えれば、彼らにとっても新たな発見になるし、「もっと知りたい」という気持ちも湧いてくるはず。そういう指導を心掛けたいですね。

 Jリーグが発足して25年が経過したとはいえ、日本サッカーは欧州に比べたらまだ発展途上。全ての選手に個人技術・戦術の基本がたたき込まれているとは言い切れない状況だと思います。僕がプレーした鹿島と岡山でも選手個々のベースが全然違った。5部の東京ユナイテッドだったら指導すべきことがより多くあるでしょう。

 そういうアプローチを通して彼らが少しずつ前進し、サッカーを面白く感じるようになってくれれば、それこそやる意味がある。クラブがJに上がるという目標も大事ですけれど、僕はチームメートがいい顔をしてくれて、楽しく幸せになってくれれば一番いい。身近なところから輪を広げていくのが僕の喜びなんです。

 今までサッカーをやってきて多くの人との関わりがありましたけれど、自分にとって最も重要だったのは、常にチームメート。その考え方は決して変わらない。

「オリジナルの道」にこだわり続けたい

「オリジナルの道」を追求したいという岩政。今後はどのような道を歩むのだろうか 【スポーツナビ】

――鹿島や岡山での経験を踏まえて東京ユナイテッドが「20年のJリーグ参入」という目標達成するために、何が必要ですか?

 今はまだクラブ運営に携わっていないので具体的なことは言えませんが、まずは選手として、指導者として、現場ですべきことをきちんとやることだと思います。ただ、東京都心のクラブということで、スピード感は大事かなと。過去2年間は東京都1部、関東2部で勝って昇格できましたけれど、ここから3年間停滞したら風化する恐れがある。今年か来年のうちにJFLに上げなければ、3年後のJという目標には届かない。自分も責任を持って取り組むべきだという自負があります。今季リーグの開幕戦は4月中旬、Vonds市原戦からスタートしますけれど、気を引き締めて臨みたいです。

 そうやって少しずつ力をつけて、最終的には「強くて面白いチーム」を作りたい。今の日本には僕の見方では「強いチーム」か「面白いチーム」のどちらかしかない。都心にプロクラブを作るなら、そこにトライすべきだと思います。

――岩政大樹の未来像については?

 先ほども言った通り、まだどうなるか分からないし、現場に行くのか、フロントに回るのかも想像がつきません。ただ、一般的に言えば、監督をずっとやり続けるのは難しいし、強化部門で結果を出し続けるのも簡単じゃない。自分が柔軟に対応できるような「多様性」を身に付けておきたいですね。

 岡山から東京ユナイテッド移籍を決めた時、「まだJ1やJ2でできるじゃないか」という声も結構ありました。でも僕は、今後の飛躍のための準備期間を設けたかった。もし選手だけをやろうと思うのなら、他のJクラブに移籍していたでしょう。そういう人生を選ばないのが自分。もともと僕は、サッカー選手は「仮の姿」だと思っていたし、天職だと感じたことは一度もなかった。むしろ、こういう時期を早く迎えたかったというのが本音でもあります。

「オリジナルの道」を追求して、自分の未来を切り開いていこうと思います。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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