川崎宗則が振り返る米国挑戦の5年間 「日本のリズムを壊していかないと」

菊地慶剛

米国での5年目が終わった川崎、今年はカブスのワールドシリーズ制覇の瞬間にも立ち会った 【写真:USA TODAY Sports/アフロ】

 川崎宗則選手が米国挑戦5年目のシーズンを終えた。

 今季はカブスに所属し、ポストシーズンでは出場枠に入ることはできなかったが、最後までチームに帯同し108年ぶりのワールドシリーズ制覇の瞬間にも立ち会った。

「こんな経験はしたことないよ」

 かつて福岡ソフトバンク時代には日本一も経験している川崎だったが、1勝3敗からの逆転勝利にシャンパンファイトの中でも興奮を抑えることができなかった。まさにプロ野球人生の中でも最高の思い出に残る形でシーズンを締めくくることができた。

 ただ今季は川崎にとって決して簡単なシーズンとは言えなかった。この5年間でメジャー出場試合数は過去最低で、しかも9月にロースター枠25人が拡大されるまでは、2度のメジャー昇格で出場数はわずか3試合。9月以降を含めても合計14試合と本当の意味でメジャーの戦力になったとは言い切れない一年だった。

「今年が一番充実していた」

 それでも川崎は、彼なりの視点で今季を以下のように振り返る。

「今年も十分に楽しめた。ファームでたくさん試合に出させてもらったし、試合数に関しては一番出たんじゃないかと思う。何より今年が一番充実していたと感じている。(ファームで)ショートを守ることができて守備がすごく良くなってきた。見えない(部分の)プレーが良くできていたし、結果よりも今年のプレーに満足しているし、自信になった」

 今年はメジャーの試合数こそ過去最低だったが、川崎が説明する通り、マイナーではレギュラー遊撃手として十分な出場機会が与えられた。メジャーとマイナーの合計試合数、打席数は14年のブルージェイズ在籍時に次ぐ多さで、しっかり実戦を積み重ねることができた。

 もともと川崎のメジャー挑戦は、憧れのイチロー選手と同じチームでプレーすることが最大の目的だった。望み通り2012年はマリナーズと契約できたが、シーズン途中でイチローがヤンキースにトレードされ、その夢はほんの一瞬だった。

 すでに本来の目的を果たし、今後は再びイチローと同じチームでプレーできる可能性が低くなったことを考えれば、翌年から日本球界に復帰する気になればできていた。それでも川崎は今も米国の地で野球を続けている。そこには野球選手として飽くなき向上心があるからなのだ。

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著者プロフィール

栃木県出身。某業界紙記者を経て1993年に米国へ移りフリーライター活動を開始。95年に野茂英雄氏がドジャース入りをしたことを契機に本格的にスポーツライターの道を歩む。これまでスポーツ紙や通信社の通信員を務め、MLBをはじめNFL、NBA、NHL、MLS、PGA、ウィンタースポーツ等様々な競技を取材する。フルマラソン完走3回の経験を持ち、時折アスリートの自主トレに参加しトレーニングに励む。モットーは「歌って走れるスポーツライター」。Twitter(http://twitter.com/joshkikuchi)も随時更新中。

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