山本篤、悔しい銀も「楽しめた」 パラ走幅跳で、もう一度世界記録を

高樹ミナ

8センチ及ばず悔しい「銀」。それでも試合後は日の丸を手に笑顔を浮かべた 【Getty Images】

 3度目のパラリンピックに挑戦した山本篤(スズキ浜松AC)には、金色に輝くメダルしか見えていなかった。初めて出場したパラリンピックで、走り幅跳びの銀メダルを手にしたのは8年前。しかし、4年後のロンドン大会では5位入賞にとどまり、山本の金メダルへの思いは強くなった。

 あれからまた4年。今度の舞台はリオデジャネイロ。試合当日は大会最後の週末だったこともあり観客の出足が良く、会場のオリンピックスタジアムは大歓声に包まれた。

「金以外のメダルは負け」

 6本の試技のうち、最初の2本はファウルで始まった。だが3本目は6メートル47を記録。本人いわく「攻めにいった」という4本目は自己ベストタイの6メートル62を跳んだ。

 手応えをつかんだのだろう。山本にガッツポーズが出た。しかし、その直後、ライバルのハインリッヒ・ポポフ(ドイツ)が1回目に6メートル70を跳んでいたことを知る。山本は自身の跳躍に集中するため他選手の試技を極力見ないようにしているからだ。

「自分は2番手だと分かったが、70オーバーは跳べるのではないか、8センチぐらいならいけるだろうという気持ちだった」と、その時の心境を振り返っている。

 しかし、山本の動揺はゼロではなかったようだ。5本目は、やや力みが出て6メートル50と失速。最後の6本目も6メートル57にとどまり、思うように記録は伸びなかった。

「悔しいの一言。金メダルを目指してやってきたのに銀で終わってしまった。(優勝したポポフとの差は)8センチだが大きな差。自分に実力が足りなかった。ぶっちゃけ、金以外のメダルは負けだと思っている」

 ストイックに競技に向き合う山本らしいコメントだ。また、日本選手団が金メダルを1個も取れていない現状を受け、「ここで僕が(金メダルを)取れれば英雄になれると思った。でも僕に英雄になる権利はなかった」と、これまた山本らしい率直な気持ちを語った。

助走スピードを上げ挑んだリオ

 ロンドンパラリンピック以降の山本は着実に進化してきた。13、15年の世界選手権を連覇。6メートル62の自己ベストおよびアジア新記録も今年7月に出したものだ。

 進化の理由について、「義足をよりうまく使えるようになったことで、助走スピードが去年より秒速0.2メートルぐらい上がった」と話す山本は、大阪体育大学に練習拠点を置き、スポーツバイオメカニクス研究の第一人者である伊藤章名誉教授に師事。運動力学に基づく科学的な研究と分析をトレーニングの基盤にしている。

 中でも「腸腰筋」と呼ばれる腰まわりの筋肉の使い方や、ストライド(歩幅)を伸ばす方法を模索する中で、短距離スピードが上がり、それに伴って走り幅跳びの助走スピードもアップした。さらにアスリートであり義肢装具士でもある自身の感覚と知識も生かし、理想のフォームを追求してきた。

 今回のリオパラリンピックでは走り幅跳びの他に男子4×100メートルでも銅メダルを取った山本だが、効率的かつ効果的なトレーニングの積み重ねが2個のメダル獲得につながったと言える。

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著者プロフィール

スポーツライター。千葉県出身。 アナウンサーからライターに転身。競馬、F1、プロ野球を経て、00年シドニー、04年アテネ、08年北京、10年バンクーバー冬季、16年リオ大会を取材。「16年東京五輪・パラリンピック招致委員会」在籍の経験も生かし、五輪・パラリンピックの意義と魅力を伝える。五輪競技は主に卓球、パラ競技は車いすテニス、陸上(主に義足種目)、トライアスロン等をカバー。執筆活動のほかTV、ラジオ、講演、シンポジウム等にも出演する。最新刊『転んでも、大丈夫』(臼井二美男著/ポプラ社)監修他。

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