日本ボッチャ界に刻まれた大きな一歩 東京につながる8年越しのメダル

荒木美晴/MA SPORTS

強化を図った“3人の特性を生かした戦術”

準々決勝の中国戦、相手のボールを弾き飛ばしたうえにジャック(目標球)の近くに置くショットを放った廣瀬。日本のエースとして銀メダル獲得に貢献した 【写真は共同】

 個々のレベルがそのままチームの強さに比例するわけではない。チームワークと戦術で、ランキング上位の国にも勝つことができるのが、チーム戦だ。1チームは3人で、その中により障がいの重いBC1クラスの選手が最低一人いなくてはいけないというルールがある。

 日本は杉村がチームの司令塔。相手の何手も先を読んで戦術を練り、誰がどこに投げるかを的確に指示していく。BC1クラスながらロングボールも投げられる藤井友里子(北陸銀行事務センター)と豊富な経験値でチームを支える木谷隆行(太陽の家)、そして相手ボールを弾き飛ばす力強いショットが持ち味のエース・廣瀬と、バランスの取れたメンバー構成だ。

 パラリンピック初出場だった2008年の北京大会は予選敗退。メダルを狙って挑んだ前回ロンドン大会は7位に沈んだ。悔しさをバネにさらなる強化に着手。練習では技術で上達を目指すより、わざと厳しい局面を作って、それを打開していくトレーニングに時間を割いた。海外遠征の回数も増やし、実戦でさらに磨きをかけた。この4年間で、もっとも力を入れたのは、コミュニケーションを密にすること。チーム戦はひとり2球だ。その2球からさまざまなイメージを膨らませ、3人それぞれの特性を生かした戦術を考え、共有し、その積み重ねでリオでのメダルに行きついた。

「ボッチャブームを巻き起こしたい」

 ボッチャはパラスポーツ特有の競技であるためか、日本では一般的な認知度は残念ながら高くない。そのため、選手は自らが講師となって学校やイベントなどでボッチャの魅力を伝えながら、競技活動を続けている。今回の銀メダル獲得で、競技のことを初めて知ったという人も多いのではないだろうか。

 廣瀬はこう語る。

「東京パラリンピックでも応援してもらいたい。そのためには、選手が最高のパフォーマンスをし、まずは日本選手権を満員にする。そこから東京に向けて、日本でボッチャブームを巻き起こしたいです」

 現地時間13日にスタートする個人戦でも、メダル獲得なるか。「火の玉ジャパン」の愛称のように、熱く、魂を込めて、前に向かって進んでいく選手たちに注目したい。

2/2ページ

著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント