熱戦を繰り広げてきた岩隈とダルビッシュ 明暗分かれた米3度目の対戦
日本時代は6度対戦
過去名勝負を繰り広げたダルビッシュとの直接対決だったが、今回は不完全燃焼に終わった岩隈 【Getty Images】
2度目の対決(2008年4月10日)では、ダルビッシュが9回完封。岩隈は8回完投。被安打はともに3本。犠牲フライ1本で決着がつき、岩隈が敗戦投手となったが、わずか2時間8分という試合時間だった。
4度目の対戦――10年4月24日に行われた試合では、岩隈が9回完封。ダルビッシュは8回を完投したが、5安打4四球で3失点(自責点1)だったのに対し、岩隈が2安打、無失点の快投で投げ合いを制した。
11年5月10日に仙台で行われた日本時代最後の対戦では、ダルビッシュが9回完封。岩隈は9回2死一、二塁の場面で右肩に違和感を覚えて降板。試合は6回表に飛び出した日本ハム・中田翔の一発で決まった。
さて、そうした完投、完封が当たり前の6度の対戦の中で、米国にも聞こえた名勝負がある。
10年5月8日、函館。
5度目の投げ合いは、両投手譲らず、そろって9回無失点。11三振を奪ったダルビッシュの球数は156球に達し、岩隈も127球だった。ともに9回で降板し、勝ち負けはつかなかったが、両者譲らずという展開は米記者からも後に確認の連絡があったほど。あの時点で「2人はいつメジャーに来ると思うか?」とも聞かれた覚えがある。
ただ先日、岩隈と雑談しているときにその話をしていると、「あぁ、そんなこともありましたねぇ」と反応が鈍かった。
次の言葉を待つと、静かに言っている。
「確か、延長で負けたんですよね」
結果はその通りで、日本ハムが延長10回にサヨナラ勝ちを収めるが、いいピッチングをしようが、悪いピッチングをしようが、試合の結果がすべて。岩隈はそういった割り切った考え方ができる。
レンジャーズが岩隈を攻略
12年9月14日のメジャー初顔合わせでは、7回を投げて2安打1失点のダルビッシュが、5回1/3を投げて7安打2失点の岩隈にまさった。翌13年4月12日の対戦では、6回2/3を投げて、レンジャーズ打線を3安打1失点に抑えた岩隈が、初回に3点を失い、6回を3安打3失点だったダルビッシュに雪辱を果たした。互いに失点は最多でも3点。大リーグ移籍後は、球数制限の問題もあって、さすがに2人とも完投はないが、試合をつくっている。
そういう中で迎えた3度目となる29日の対戦は、異例の展開となった。トミー・ジョン手術からの復帰後、肩の違和感で一度故障者リストに入ったが、7月16日のカブス戦で復帰してからは徐々に状態を上げているダルビッシュに対し、ここ2試合は連敗しているものの、自己最多タイの15勝目を懸けてマウンドに上がる岩隈――という構図は、十分、注目に値するものだったが、驚くほどあっけなかった。岩隈は3回裏、4連打を含む5安打を許し、一挙4点を奪われると0対5となる。この回だけで40球を投げた岩隈はそのままマウンドを降りる。2人の投げ合いで、どちらかが5回を投げきれなかったのは初めてだった。
岩隈にとって痛かったのは、1点を追加され、なおも無死三塁という場面でイアン・デスモンドに許した左中間への二塁打ではなかったか。あそこを抑えていれば流れに乗れたのでは、というところだったが、あの回を振り返って岩隈は試合後にこう口にしている。
「あそこを最少失点で切り抜けていればゲームをつくれたかもしれない」
ただ、ア・リーグ西地区を独走するレンジャーズも老獪。今季は直接対決で岩隈に好投を許しているだけに、徹底して研究してきた。ジェフ・バニスター監督が試合後にその一端を明かしている。
「今日の岩隈はいつもと同じだった。しかし、(打者に)ボールになる球に手を出さないとか、高めの失投を待つ、という対策を徹底させた」
今回に関しては、その岩隈対策が功を奏したということか。