日本女子マラソン、復活せず 不発に終わった陸連の強化策

中尾義理
 日本勢のメダルと入賞が期待されたリオデジャネイロ五輪の陸上女子マラソン。日本時間14日にスタートしたレースで、福士加代子(ワコール)が14位、田中智美(第一生命)が19位、伊藤舞(大塚製薬)が46位に終わり、日本は3選手全員が8位以内に入った2004年アテネ大会(優勝、4位、7位)以来の“復活”は実現しなかった。レースはジェミマ・スムゴング(ケニア)が2時間24分04秒で制覇し、母国に五輪女子マラソン初の金メダルをもたらした。

25キロで万事休した日本勢

日本勢の最高は福士加代子の14位。この日のベストを尽くしたとはいえ、日本女子マラソン界の復活は果たせなかった 【Getty Images】

 トップから福士が5分49秒遅れ、田中が7分08秒遅れ、伊藤が13分33秒遅れ。日本勢のこの結果をどう評価したらいいだろうか。フィニッシュ後の表情からは、3人とも“今日の全力”は尽くしたことが読み取れたが、五輪は勝負の舞台。甘い採点はできない。

 レース後のテレビ中継で、00年シドニー五輪優勝の高橋尚子さんが「立て直さないといけない」と言い、アテネ五輪優勝の野口みずきさんも「日本の女子マラソン、復活してほしい」と願いを込めたように、期待された結果ではなかったことは確かだ。2人の金メダリストのコメントに集約された「立て直しと復活」。難しい宿題は解決されないままになってしまった。

 レースを振り返ろう。日射しが強く降り注ぐものの、警戒された海からの風が弱く、ケニア勢、エチオピア勢、バーレーン勢を中心に先頭集団は最初の5キロを17分23秒で通過。日本勢3人は集団後方で全体を見ながらレースを進めた。

 8.5キロすぎにペースが上がると、先頭集団が2つに分裂。集団後方にいた日本勢は前の集団に残るタイミングを逃してしまった。福士がなんとか追いかけ、12.4キロで先頭集団に戻った。「ここにいなくちゃ」との意識の表れだったが、流れの中で先頭集団に入っておくのと、後から追いかけて加わるのとでは、消耗度が違う。

 20キロを過ぎるとダメージが来た。福士は先頭と中間点で7秒差、25キロで1分11秒差。福士に続いて14.7キロで先頭集団にいったんは追いついた田中も25キロで1分07秒差。伊藤は既に10キロすぎに先頭集団から脱落していた。こうなると万事休す。後半の日本勢は追走の機会を作れないまま、歯を食いしばるしかなかった。

 暑さや勝負重視の五輪マラソンではあるが、2時間19分台、20分台の実力がメダル争いに加わる条件だと思える。高橋さんも野口さんも五輪を制した翌年ではあるが、2時間19分台で走った。2人とも金メダル獲得当時、実質的にその記録レベルにあったと想像できる。

「ナショナルマラソンチーム」の成果は

 今回のマラソンは、北京&ロンドン両五輪の入賞ゼロに危機感を持った日本陸連が14年4月に発足させた、ナショナルマラソンチーム(NT)の成果が問われるレースでもあった。NTは選手が所属チームの垣根を越えて合宿を重ね、日本陸連の医事委員会や科学委員会などと連携して暑さ対策や体調管理などを行いながら、リオ五輪でのメダル&入賞を目指すプランを描いていた。

 NT発足同年のアジア大会では木崎良子(ダイハツ)が銀メダル、翌15年の世界陸上選手権では伊藤が7位入賞と期待に応える結果を残し、リオ五輪の女子マラソン代表は3人全員がNTメンバーで占められた。

 NTといっても、練習の方針も方法も、狙ったレースまでのアプローチ法も同じではない。スピードと国際経験が豊富な福士、粘り強さに定評がある伊藤、勝負勘が冴える田中。それぞれの個性とスタイルを、所属チームの永山忠幸監督(福士)、河野匡監督(伊藤)、山下佐知子監督(田中)が引き出し、鍛えてきた。しかし、福士は6月に予定していたハーフマラソンを右足指の炎症で回避し、伊藤もリオ直前に脚を痛めてしまったという情報が流れた。リオ五輪の結果だけに限れば、NTは不発で終わってしまった。

日本女子マラソン界に求められる変化

復活を果たせなかった日本勢。左から福士、田中、3人空けて伊藤 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 メダルを獲得したケニア、バーレーン、エチオピアだけでなく、日本勢最高順位の福士の前には、アメリカ勢が6・7・9位、北朝鮮の双子姉妹が10・11位でフィニッシュした。

 日本勢に何が足りなかったのかを考えると、思い切りに欠けたのではないかという気がしてくる。序盤、メダルの有力候補とされるケニア勢、エチオピア勢、バーレーン勢に接近する位置でマークしなかった。福士と田中が先頭集団に復帰した12〜15キロの走りは意欲的なシーンだったが、後手に回っていたことは否めない。チームとしての観点では、トラック種目で力を付けて実績を積み、計画的にマラソンに移行してきたアメリカの手法も参考になるかもしれない。

 また、五輪のたびに議論になる代表選考レースについて、目新しい案ではないが、例えば、気候的に走りやすい冬ではなく、本番を想定した夏のレースで五輪選考をする、あるいは、埼玉、大阪、名古屋など“ホーム”である国内レースではなく、アフリカ勢などが野心的に高速レースを演じる“アウェイ”の海外マラソンで代表選手を決めるというのも一手だろう。実現するには選手が所属する実業団の事情、テレビ中継やスポンサー、遠征費用など課題は多いが、同じことを繰り返さないためには「変化」が必要ではないだろうか。

東京五輪へ強化は間に合うか

 強い日本女子マラソンの復活を期して迎えたリオ五輪。メダルや入賞を争う瞬間に、「金メダルが欲しい」と言っていた福士も、粘って活路を見出したい伊藤も、「(91年世界陸上銀メダルの山下監督を超える)一番きれいな色のメダル」を目指した田中も、その姿はなかったことは、残念だった。

 NT創設をはじめ、「なんとかしなければ」から出発した道のりは、後退こそしていないが、まだ半ば。いや、半ばにも到達していないかもしれない。ただ、福士がフィニッシュ後のインタビューで言った「金メダルを目指したから頑張れた」という素直な感情は、後に続く挑戦者の重要な指針になるはずだ。

 東京五輪まで4年。「4年もある」「4年しかない」の捉え方で結果は違ってくる。妥協はせず、練習と経験値を積み重ねるには、もう走りださなければ。日本はメダルの輝きを忘れたわけではない、と信じている。
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著者プロフィール

愛媛県出身。地方紙記者を4年務めた後、フリー記者。中学から大学まで競技した陸上競技をはじめスポーツ、アウトドア、旅紀行をテーマに取材・執筆する。

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