岡崎慎司と先輩が立ち上げたドイツクラブ 渡独する選手が順応するためのサポートを

中田徹

球際の激しさを学んだ渋谷和平

9部昇格が決まり、試合後に喜ぶ選手たち 【提供:バサラマインツ】

 今季、左サイドバックとして活躍した渋谷和平(19)は、優勝祝勝会の会場で誰よりもドイツ人選手たちと一緒になって喜びを爆発させていた。渋谷は尚志高の一員として2年前の高校選手権に出場。2回戦の聖和学園との“東北ダービー(3−0で尚志の勝利)”で2点目のゴールを奪ってメディアにも注目された。

 高校を卒業した渋谷はブラジルのパラナ・サッカー・テクニカル・センターに移籍するも、ビザの関係で日本帰国を余儀なくされた。外国好きの両親の影響もあり、小学校から英語を勉強するなど、海外志向の強かった渋谷は、ジュニアユース時代の恩師、鈴木正治(シュートJrユースFC監督、元横浜マリノス/当時)が岡崎と知り合いだったことからバサラマインツを紹介され、15年7月にドイツへ渡った。

「最初は正直、『10部かあ』と思いましたが、ドイツ人は体が大きいし強いので、慣れるのに半年かかりました。喬さん(山下)や拓哉さん(日高)に『もっと球際いけ!』って言われ続けて、最近ようやく戦えるようになりました。そのきっかけは冬に7部リーグのチームの練習に参加したこと。別に練習そのものは激しくなかったんですけれど、スピーディーだったので、球際を激しくいかないとボールを奪えなかった。そこから球際への自覚が生まれた。7部という違う環境を経験したことで、いろいろな人から『球際、強くなったね』と言われるようになりました」(渋谷)

 渋谷は7部のチームと8部のチームのテストに合格した。7部はレベルが高い。8部は給料がいい。「貯金も減っているので、どっちのクラブに行くか悩んでいます」と言っていた渋谷だが、結局、7部のチーム、TSGブレッツェンハイムを選んだ。プロになることはもちろん、幼少のころから学ぶ英語、ブラジルで覚えたポルトガル語、現在習得にいそしんでいるドイツ語を生かし、将来は通訳になることも夢見ている。

山下「僕と同じ失敗をしてほしくない」

 園田龍喜(23)は日体大のセレクションに受かって入学早々1軍だったが、5月に大けがをして完治まで1年半かかり、3軍と4軍を行き来するようになった。卒業したら教師になって、サッカーの指導者をしようと思っていたが、教育実習先の高校でコーチをしていて、「自分のサッカーの好きな気持ちが現役の高校生より勝ってしまって、『彼らが選手でやっているんだったら、自分も現役で続けたい』という欲が生まれてしまったんです」と、引退を撤回した。しかし、日本は経歴社会。「大学は日体大。じゃあ、関東大学リーグの実績はあるの?」「ありません」と行き先が決まらない。ならば、ドイツで勝負すると、バサラマインツにこの4月やってきた。

「僕はお父さんみたいになりたかったんです。父も日体大卒業で、教員になってサッカーの指導者をやっている。自分の中で残念だったのが、父の『俺の息子は自分の母校でサッカーをやっている』という期待を裏切ったこと。父は僕がドイツに行くことに反対していたのですが、インディペンデントリーグ(大学の2軍以下のチームのリーグ)の最終戦に『引退試合だから来てくれ』と父を招待し、そこで2ゴール1アシスト決めた。そこで『自分は大学で中途半端だったけれど、サッカーを続けてドイツでプロになりたい。その経験を将来、地元に落とし込みたい』と説得してドイツに来ました。

 教師になったら子どもたちに教える責任が生まれる。僕は下手なサッカー選手でフィジカルコンタクトと気持ちしかありませんが、それでもプロサッカー選手になれるんだということを示したい。その経験を教育に使いたい。アルバイトで200万円貯めてきましたが、将来、教師、指導者となった時、(合わせて)2万人の子どもを教えることを考えたら1人当たり100円の投資。安いものです」(園田)

 ドイツはちまたの小さなクラブでも100年以上の歴史があることはザラだ。一方、バサラマインツはスタートしてまだ2年。クラブの会長を務め、コーチをし、選手を集め、スポンサー探しやあいさつ回りをし、資金繰りを考え……と奔走する山下は「今までは『ああ、100年の地元のクラブってすごいな』と思ったけれど、自分でやってみて、1年ってこんな長いんだと思った」としみじみ語る。

「僕はドイツでプロになれなかった。僕には、バサラマインツに来る選手たちの気持ちが分かる。慎司は高校からプロにいって、その後、活躍して今がある。慎司にはアマチュア選手の葛藤は絶対に分からない。僕にしか伝えられないことがいっぱいある。でも、慎司は僕にできない話を選手にしてくれる。『上のレベルの選手はこう思っているんだ』とみんなにとって刺激になる。僕は自分ができなかったこと、失敗したことを伝えたい。そして僕と同じ失敗をしてほしくない」(山下)

 毎年、大きく選手が入れ替わることが宿命のバサラマインツ。優勝、そしてシーズン終了の安堵(あんど)もつかの間、山下は新シーズンのチーム編成に奔走している。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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