岡崎慎司と先輩が立ち上げたドイツクラブ 渡独する選手が順応するためのサポートを
球際の激しさを学んだ渋谷和平
9部昇格が決まり、試合後に喜ぶ選手たち 【提供:バサラマインツ】
高校を卒業した渋谷はブラジルのパラナ・サッカー・テクニカル・センターに移籍するも、ビザの関係で日本帰国を余儀なくされた。外国好きの両親の影響もあり、小学校から英語を勉強するなど、海外志向の強かった渋谷は、ジュニアユース時代の恩師、鈴木正治(シュートJrユースFC監督、元横浜マリノス/当時)が岡崎と知り合いだったことからバサラマインツを紹介され、15年7月にドイツへ渡った。
「最初は正直、『10部かあ』と思いましたが、ドイツ人は体が大きいし強いので、慣れるのに半年かかりました。喬さん(山下)や拓哉さん(日高)に『もっと球際いけ!』って言われ続けて、最近ようやく戦えるようになりました。そのきっかけは冬に7部リーグのチームの練習に参加したこと。別に練習そのものは激しくなかったんですけれど、スピーディーだったので、球際を激しくいかないとボールを奪えなかった。そこから球際への自覚が生まれた。7部という違う環境を経験したことで、いろいろな人から『球際、強くなったね』と言われるようになりました」(渋谷)
渋谷は7部のチームと8部のチームのテストに合格した。7部はレベルが高い。8部は給料がいい。「貯金も減っているので、どっちのクラブに行くか悩んでいます」と言っていた渋谷だが、結局、7部のチーム、TSGブレッツェンハイムを選んだ。プロになることはもちろん、幼少のころから学ぶ英語、ブラジルで覚えたポルトガル語、現在習得にいそしんでいるドイツ語を生かし、将来は通訳になることも夢見ている。
山下「僕と同じ失敗をしてほしくない」
「僕はお父さんみたいになりたかったんです。父も日体大卒業で、教員になってサッカーの指導者をやっている。自分の中で残念だったのが、父の『俺の息子は自分の母校でサッカーをやっている』という期待を裏切ったこと。父は僕がドイツに行くことに反対していたのですが、インディペンデントリーグ(大学の2軍以下のチームのリーグ)の最終戦に『引退試合だから来てくれ』と父を招待し、そこで2ゴール1アシスト決めた。そこで『自分は大学で中途半端だったけれど、サッカーを続けてドイツでプロになりたい。その経験を将来、地元に落とし込みたい』と説得してドイツに来ました。
教師になったら子どもたちに教える責任が生まれる。僕は下手なサッカー選手でフィジカルコンタクトと気持ちしかありませんが、それでもプロサッカー選手になれるんだということを示したい。その経験を教育に使いたい。アルバイトで200万円貯めてきましたが、将来、教師、指導者となった時、(合わせて)2万人の子どもを教えることを考えたら1人当たり100円の投資。安いものです」(園田)
ドイツはちまたの小さなクラブでも100年以上の歴史があることはザラだ。一方、バサラマインツはスタートしてまだ2年。クラブの会長を務め、コーチをし、選手を集め、スポンサー探しやあいさつ回りをし、資金繰りを考え……と奔走する山下は「今までは『ああ、100年の地元のクラブってすごいな』と思ったけれど、自分でやってみて、1年ってこんな長いんだと思った」としみじみ語る。
「僕はドイツでプロになれなかった。僕には、バサラマインツに来る選手たちの気持ちが分かる。慎司は高校からプロにいって、その後、活躍して今がある。慎司にはアマチュア選手の葛藤は絶対に分からない。僕にしか伝えられないことがいっぱいある。でも、慎司は僕にできない話を選手にしてくれる。『上のレベルの選手はこう思っているんだ』とみんなにとって刺激になる。僕は自分ができなかったこと、失敗したことを伝えたい。そして僕と同じ失敗をしてほしくない」(山下)
毎年、大きく選手が入れ替わることが宿命のバサラマインツ。優勝、そしてシーズン終了の安堵(あんど)もつかの間、山下は新シーズンのチーム編成に奔走している。