小塚崇彦の「凝縮された」スケート人生 今あらためて振り返る栄光と挫折

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ソチ五輪には行けなかったけど

ソチ五輪を懸けた2013年の全日本選手権は3位に入りながら、5位の高橋(右)に出場権を譲った 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――逆にスケート人生で一番悔しかったことは何ですか?

 悔しかったのはジュニアで1つ、シニアでは2つあります。ジュニアのときは2003年の全日本ジュニア選手権で、5位までが全日本選手権に行けたんですけど、6位が小塚だったと(笑)。あのときはある程度歳を取ってから初めて人前で泣いたかな。

 シニアになってからは、2004年に新横浜で全日本があったんですけど、SP(ショートプログラム)で1位だったんですよ。FS(フリースケーティング)が良くなかったので最終的には4位でした。そこでは世界ジュニアと世界選手権と四大陸選手権の代表が決まったんですけど、4位を飛ばして1、2、3、5、6位が選ばれたんですよ。それは悔しいというか憤りを感じました。

 あとはやっぱりソチ五輪ですよね(編注:全日本選手権で3位に入りながら、5位の高橋が代表に選ばれた)。ただ今となっては、ソチには行けなかったけど、その後も競技を続けたことによっていろいろ経験もしましたし、そこで辞めていたら諦めたような形になったので、もう1回スケートを通して成長できた瞬間だったかなと思いました。五輪に行ける経験もでき、行けない経験もできた。そこは良い経験をしたと思っています。

――スケートをやっていて一番達成感を得た瞬間はいつですか?

 う〜ん、去年の全日本で最後にポーズを取ったときかな。たぶん「終わった」という達成感ですよね。

最後の演技となった昨年の全日本FS。終わった瞬間こみあげてくるものがあり、必死にこらえていたようだ 【坂本清】

――結果的に最後になった演技の瞬間が最も達成感を得たときだったのですね。

 そうですね。なんかやっぱりこみ上げてくるものがあって、実はちょっとウルウルしてたんです。ただ、それは「絶対に見せない」と思って、わさびがつーんとしたときみたいに息を全部抜いたんですよ(笑)。「ふぅー」って言いながら。よく見てもらったら分かるんですけど、鼻が詰まってるんです(笑)。

『ボレロ』は僕の年齢でやるべきではない

――これまで多くの振付師の方に師事してきましたが、彼らは小塚選手にどのような影響を与えてきましたか?

 それぞれの先生に個性があり、その先生たちが振り付けてくれるプログラムというのは僕のレベルの少し上を目指すものでした。最初はできないんですけど、それに追いつくことで成長していくというその繰り返しでやってきたと思います。今は何が必要で、この先はどうすべきか。それを気づかせる振り付けをしてくれているんだなというのは感じました。それぞれに得意、不得意な分野があると思うんですけど、その先生の色に染め上げられることによって自分のキャパシティーが広がっていき、どんどん成長していったのは感じます。

――振付師の方々との印象的なエピソードがあったら教えてください。

(佐藤)有香さんに振り付けてもらっているときは、ほぼ同じ系統なのですごく滑りやすいかな。自然に滑れる。カート(・ブラウニング)に振り付けをしてもらうときは、憧れていた人なのでうれしかったですし、かつアイデアがどんどん出てくるので、やっていて楽しかったですね。

 ローリー(・ニコル)はいろいろなことができる。「あんなことができる、こんなことができる」と言って、パーツを作りながら、パズルのように組み立てていく。またそれがきれいにピースとしてハマっていくんですよね。ちゃんと音と合っている。デヴィッド(・ウィルソン)は本当に天才肌なので、ワーッて感じでいつの間にかプログラムができてるし、サンドラ(・ベジック)は、僕を変えた2008年のプログラム『テイク・ファイブ』を手伝ってくれました。あとは『Save the Last Dance for Me』。あれは僕のスタイルができ上がった瞬間かなと思っていて、そういう意味では起点を作ってくれた人だと思います。

 どの先生にもいろいろな思い出がありますけど、何よりも(宮本)賢二先生は、ここ2シーズン振り付けをお願いしていて、かつ練習が終わった後に焼肉に誘ってくれたりしてね(笑)。いろいろな悩みの相談にも乗ってくれたし、公私ともにお世話になりましたね。

いつか滑ってみたかった『ボレロ』は結局実現に至らず。「僕の年齢ではやるべきではない」と語った 【スポーツナビ】

――競技生活を通じて、プログラムで実現できなかったジャンルや曲はありますか?

 以前「いつか『ボレロ』をやりたい」と言ったような気がするんですけど、あれはやるんだったらこの若さではないなと思うんですよね。いつか戻ってくるなんて言えないですけど、もっと歳がいっていろいろな経験をしないと、あの曲は滑れるものじゃないと僕は思っています。あの曲に負けますよね。いろいろな人がやっているけど、本当にトーヴィル、ディーン組の『ボレロ』がすごく印象に残っているので、やるんだったらあれを超えるくらいじゃないと(編注:ジェーン・トーヴィルとクリストファー・ディーン。1984年に行われたサラエボ五輪のアイスダンスで金メダルを獲得)。中途半端にやると結局印象に残らず、「そう言えばボレロをやってたね」で終わっちゃうと思います。僕の年齢ではやるべきものではないと思っているんですけど、「じゃあ、いつかやるの?」と言われても僕はもう出ないので(笑)。それはそれでいいんじゃないですか。ちょっと心残りくらいの方が。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)

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